6皿目 怪盗黄金仮面
今日も今日とてお狐さんを睨みつけている。
どうやら今度のはまだ子供のようだ、と察したので、今日はいなりとちくわを供えている。
毎回変なところに飛ばされるわけではない。曜日かなんかの規則性もない。こいつは思いついたときに適当にやっていると春子は睨みながらにらんでいる。
パン、パン
目を開けると、また夜だ。
「何者かね?」
頭の上から妙に格好をつけた声がかかった。
「おでん屋だ!」
「ほう!」
しゅたっと何者かが屋台の近くに飛び降りた。
「そうきたか。どうぞお見知りおきを」
きらんと顔が光る。金色の金属のお面だった。
結婚式でしか見ないような燕尾服。胸元で妙に長い白いネクタイが風にはためき、裏の赤い黒いマントが舞う。
男はマントを両腕で巻き取りこうもりのようなポーズを取った。
「われこそは怪盗黄金仮面」
「へえ」
春子は面倒だったのでそれだけ言った。
仮面の男は大根を食っている。仮面の下で。
「ほうほう、うんうん、うまいうまい」
「そうかい」
男は冷酒を飲む。仮面の下で。
「いやいやこう来るか、うまいうまい」
「へえ」
皿が空いたので春子は聞く。
「おかわりは」
「うん、お願いするとしよう。肉は食わない主義なのでよろしく頼みます」
「魚はいいのかい」
「ええ。足のあるものがダメでね。足がつくのは縁起が悪いでしょう」
「へえ」
つかめるしっぽのあるものもどうかとも思ったが、こっちでそう言うのか知らないから春子は突っ込まなかった。
たまご、昆布、こんにゃくを入れてやる。
「私をご存知ですかなご婦人」
「知らねえよ」
「そうですかそうですかそうきたか。名高き義賊、怪盗黄金仮面をご存知ない。汚職する貴族、汚い手法で肥え太った金持ちの家からしか盗まず、盗んだ金を貧乏人にばらまく正義の怪盗、アステールの義賊怪盗黄金仮面を」
「知らないねえ」
「つれないなあ」
はっはっはと男は笑った。
顔も、どこもかしこも衣装に覆われて見えないが、こいつは結構な歳だと春子は察している。無理に作って張った若い声がどこか痛々しい。
「病気の子供の薬代。今日の飯も食えなかった若者、家なし者、父なし子の枕元、目を覚ますとピカピカ輝く金貨があるよ。それは怪盗黄金仮面、黄金仮面の贈り物」
男は節を付けて言い始めた。
一合で酔いやがったかと春子は汁をかき混ぜる。
「悪いことした悪いやつ、悪い金だから届けも出せずに悔しがる。鍵をかけようが穴を掘ろうが黄金仮面は見つけ出す。悪い金を見つけ出す。黄金仮面は千里眼!」
そこまで歌ってから男はまたフォークを取って食いだした。
「うまいですねえ」
「そうかい」
「……」
また酒を飲む。
「……と、今では知らないものもいないほどの人気者怪盗黄金仮面ですが、どうにも参っておりまして」
「何が」
「長年私を追っていた警護団のライバルが、寄る年波には勝てず引退だというのですよ。私が優秀な怪盗すぎて一度も捕らえられず、それなのに私を捕まえることに血眼だから他で手柄も上げられず、引退を前に彼の評判はもはや地に落ちている。私が非常に優秀なだけで、彼もまた決して無能な男ではないにも関わらずです。彼には実際何度もヒヤリとさせられたのですよ。彼なくして、黄金仮面の名はここまで浸透はしなかったことでしょう。捕まりそうで、ひらりと間一髪で逃げる、そのハラハラドキドキが人を惹き付け、戯曲となって広まってきたのだから」
男は昆布を噛みしめる。
「……この世に黄金仮面がいることで、行われなかった悪いことはきっとたくさんあると自負しております。いつの時代も、それらが消えることは決してございませんが。いわばこれは私と彼の功績だ。それなのに私だけがこうも褒めそやされ、彼はひとつの評価も得ないまま今日が最後の出勤日。孤独にひとり、誰も待っていない家路につこうとしている」
「ふうん」
「そこで私は考えた」
男はごくんと酒を飲んだ。
「私に付き合ったがゆえに人生を棒に振った彼の花道に、最後に大きな一花を添えてやろうと」
「へえ」
「捕まればもちろん正体も知れる。えっまさかあの人がとなることだろう。幸い両親兄妹はなく独り身で、巻き込まれて罰せられるものは誰もない。よしいっちょやってやるかと壁の上で待っておりましたら貴方様が」
「病気でもしたかい」
「……ときどき血を吐きます。早逝した父親と同じだ。そう長くはありますまい」
「……へえ」
男は卵を食い、むせた。
咳はなかなか止まらない。
「失礼。親から子に伝わる、血の呪いの病です。うつるたぐいの病気ではありませんのでどうぞご安心を」
「はいよ」
ぜいぜいと口を拭った白い布に、血がついているのを男は手品のようにさっと隠した。
「……首を切られるのは痛いでしょうね。縛り首も苦しそうだ。どんなものか少しお教えいただけませんか」
「知らないよ。やったことがないからね」
「私もですよ」
ふっふと笑い、酒をぐびり。
「……彼は喜ぶかなあ」
「さあね」
「ところでご婦人その縛り首のようなものは?」
「餅巾着だけど、勧めないね」
「縁起が悪いから?」
「喉に詰まると死ぬからさ」
「それは困る。黄金仮面としてそれはあまりにも地味な死にようだ」
おでんの揺れる汁を見ながら、彼はじっと何か、通りすぎた景色を思い浮かべているようだった。
「いいかね?」
のれんの向こうから突然声がかかったので春子は菜箸を持ったまま顔を上げた。
現れたのはしょぼくれたおっさんだ。髪が薄くて、腹が出ている。
「……モーリッツ……!」
「よう黄金仮面。これは私もいただいていいもんなんですかね」
「食いたきゃ食いな。酒は冷たいのと熱いのと、ちょっとぬるいのだよ」
「こいつと同じもんを。こっちはよくわからないんで、おまかせで」
「はいよ」
「……捕まえないのかモーリッツ。腕はここだぞ。今日のは本物だ」
「さっき制服とバッジを返上した。俺はもうただの一般人だ」
「……なあんだ。君にいい贈り物を贈ろうと思って待っていたのに」
「俺は自分で捕りたい主義だ。人からもらうもんはどうにも趣味が合わん」
「……そうか」
「色々と聞きたいことがある。お前がこれまで入ってきたとこの、色々をだ。飲みながら話そうや。ところでおかみさん、他のもんにはこの店が見えなかったみたいなんだが、いったいどういうからくりです」
「あたしに聞くな。……わけのわかんねえ余計なもんつけやがって」
上を向いてちいっと舌打ちした春子を見て、親父は何故か勝手に納得した。
「ご婦人。やはりひさびさに肉が食べたい。いただけますか」
仮面の下の声が先程よりもうきうきと弾んでいる。
「はいよ。せいぜい精つけな」
「ありがとうございます」
牛すじをぽいと入れてやった。
目の前で親父が二人、何か若返ったような様子でおでんを食い、杯を交わしている。
なんだか今日の客も、長っ尻になりそうな予感がした。




