3皿目 大男ゴライアス=ガス2
ゴライアスは食っている。
はっふはっふむしゃむしゃぐびぐびとすごい勢いで『オデン』を食っている。
お婆さんがなんだか感心したような顔でゴライアスを見ている。
うまい。みんなうまい。ゴライアスはこんなにうまいもの生まれて初めて食べた。
3回名前を聞いた『ニギリメシ』はつるつるピカピカの甘いつぶつぶがきっちりと三角にしてあるのに口に入れればほろりと優しく溶けて、噛めば外の黒のつぶつぶとしょっぱさが口いっぱいに広がる。中のコリコリが可愛くてうまい。くっついてる黄色いのは甘くてうまい。
これまた聞き直した『イナリズシ』は甘い。優しい。噛みしめれば外側の茶色い皮からじゅわりと甘い汁が吹き出し中の白のつぶつぶに絡んで唾が溢れる。こんなの何個でもいける。
こんなうまい、くさみのないたまごをゴライアスは知らない。ダイコン、食べた気がしないくらい柔らかいのに、中の汁がこれでもかと溢れ口いっぱいに広がる。ギュウスジ。何本だろうが行ける。串が邪魔なくらいだ。こんな柔らかくてうまい肉があるなんて知らなかった。
ゴボーテン、サツマーゲ、ガンモドキ、ハン・ペン。ツミレ、ソーセージ、ヤキドーフ。
どれもこれも優しい。あたたかくてやわらかくて、何故か懐かしい。湯気が、滲み出る汁が、顔も、腹の中も、優しく温めてくれる。
冷たい酒を一気に飲んだ。
ちなみにまだ首にはちぎれた縄の輪がついているが、ゴライアスは気づいていない。
折れてしまったシェルディスの花はお婆さんがぱちんと鋏で切って硝子杯に立ててくれている。
「酒のおかわりは?」
「……ください」
「はいよ。冷たいのでいいかい」
「……」
「今飲んだやつと同じでいいかい」
必死でうなずいた。
透明な杯を透明な酒が満たしていく。
「2合までだからね。ここまでだ。あんたには少ないかもしれないけど、ゆっくり飲みな」
「……」
さっきは味もわからない飲み方をしてもったいなかったなと思い、ゴライアスはなるべくゆっくり杯を持ち上げて、ちびりとやった。
うまい
芯まで澄んだ、混ざりっけなしの本物の酒だ。にごった安酒しか知らないゴライアスにはきっともう二度と飲めないだろう酒だとわかる。
よく考えれば料理もそうだ。こんなにたくさんのものを煮込んでいるのに汁は澄み、ニギリメシの白いつぶつぶだって少しのざらつきも混じっていない。
どれも誰かが手間と時間をかけて不純物を取り取り除いた極上のものだ。ゴライアスには今までとんと縁のなかったもの。
ゴライアスはいつだって不純物だった。きれいで混じりけのないものを作るために取り除かれる、基準を外れた不必要なもの。
そんな自分が、今こんなものを食べている。
きっと王様だってこんな澄んだ味は知らないだろう。どうしてゴライアスのところに来てくれたのかはわからない。でも来てくれた。よくわからないが、こんなうまいものを食わせてくれる。誰もがいらないと言って捨てたゴライアスに。
「ぐ……」
涙がぼろぼろと落ちた。
「ぐおおおおおおお」
大声で泣いた。ビリビリと座っている木の椅子が震えたような気がする。
「ぐあああああああああああああ」
「うるせえなあ」
お婆さんは吐き捨てたが、決して泣くなとは言わなかった。
ゴライアスは泣いた。泣きながら食い、首に巻きっぱなしの縄に気づき引きちぎり、酒を飲むときだけ静かになってちびりとやり、また泣いて、ガンガン食った。最後の方はなんだかお婆さんは面白がっているように見えた。
食って食って食い尽くして、泣いて泣いて泣き尽くしてゴライアスは立ち上がった。金を払えと言われたらどうしようかと思ったが、いらないと言われてホッとした。
ごちそうさまでしたとゴライアスは深々と礼をした。頭を上げたらお婆さんと荷車の姿は消えていた。
夢でも見たのかという気持ちになったが、現に腹はいっぱいに膨れている。
右手に白いシャルディスの花を持っている。
さて、どこに行こうかと思った。
どこにも行けない気持ちでこの花を買ったときと何も変わりないはずなのに、今ならばどこにでも行けるような気がした。
なんだか高いところから世界を見てみたい気になって、森を抜け細い崖の道を歩む。腹一杯で、どんなに歩いても疲れない。
しばらく登るとゴロゴロゴロゴロ、と地響きがした。
「ん?」
「君! 逃げろ! 落石だ!」
猛烈な勢いで上から馬車が走ってくる。
その後ろを追うように、転がる大岩。
ゴライアスは岩肌のくぼみに身を入れ馬車を通した。
このままここにいれば、大岩に押しつぶされることもないだろう。
だが
先程の杯は、今このために頂いたような気がした。
ただ消えるだけだったゴライアスの命を、誰かを救うために、何かに役立たせるために。
きっとさっきの馬車には何か、とても大事な人が乗っているのだ。フーリィはきっと本当はその人を助けたかったのだ。だから力持ちのゴライアスを生かした。
ゴライアスはくぼみを出た。細い道の真ん中に、両の足を踏みしめて腰を落とす。
岩が転がる。
腹が燃える。
オデンとニギリメシ、イナリズシとあの透明な酒が、ゴライアスを強くする。
「がああ!」
叫び思い切り両腕を前に突き出した。
ダアンと大きな音がして、岩が弾けた。
「……え?」
ゴライアスは……無傷だとは言えなかった。両腕が痛くて、変な方向に曲がっている。だがそれだけだ。
「……ええ?」
きっと死ぬと思ってやったのに、どうしてこうなったのかゴライアスにはわからない。
「君! 大丈夫か!」
馬に乗った男がゴライアスに駆け寄った。
声がさっき聞いた声だ。馬車に乗っていた男だろう。
浅黒い、真面目そうな顔の30か40代くらいの男だった。
「……ああ、痛いだろう。今ポーションをかけます。それにしても……魔術師の方ですか?」
「いえ、おらただの……」
腕があたたかさに包まれ痛みが消え、真っ直ぐになった。
「ただの、力持ちなだけの、大飯食らいのでくのぼうです」
「……あなたに命を救われました。本当にありがとう。この先にある町に秘蔵の種芋があると聞いて向かっている途中あれに巻き込まれました。助けてくださってありがとう。本当にありがとう」
男はそう言ってゴライアスのでかい手を握り、そこに頭をつけるような不思議な仕草で礼をした。
「ホーカン=アッサールといいます。植物研究者です。お名前をお伺いできるでしょうか」
「ゴ、ゴ、ゴライアス=ガス」
「ゴゴ=ゴライアスさん。本当にありがとう。あなたは命の恩人だ。ところでゴゴ=ゴライアスさん、今お仕事は。ご家族は」
「船員だったけんども……おととい、み、港でおっぽり出されて」
「なるほど」
「家族は、いねえだです」
「それはそれは」
ホーカンと名乗った男が晴れ晴れと笑って立ち上がる。
「これぞ神の采配」
何を言われているかわからずゴライアスはぼうっと彼を見ている。
「今私はオルゾ半島で、新たな芋を植えようとしております。私と一緒に半島に渡っていただけませんか。まだ畑にできていない、やたらと大岩の多い、だかしかし栄養に満ちていると確信している場所を畑にする手伝いを、土を耕し、水を運び、種を植え育てる仕事をしていただけませんでしょうかゴゴ=ゴライアスさん。私達の仲間になってほしい。あなたの力を貸してほしい。もちろん給与は規定通りにお支払いします」
ゴライアスは話についていけなくて目を白黒させた。
「え、ええっと、あなたさまはどこだかで芋を育てでて」
「はい」
「おらに岩をどけさして、土ほじって、水を運んでけでと」
「おっしゃるとおりです」
まっすぐ見られてゴライアスはドギマギした。
「……おら、人の倍……3倍、食う、けんど」
「望むところです。オルゾはアステールが誇る食料庫です」
「……」
『これぞ神の采配』とさっき彼は言った。
ゴライアスは死ななかった。
二回も死にかけて死ななかった。
ひょっとしたらゴライアスにも、もしかしたら生きる意味はあるのかもしれない。
今ゴライアスに失うものなどなにもない。金はない。仕事もない。家族もない。あるのはこのでかい体と力だけ。
それが欲しいと彼は言う。
初めてゴライアスは誰かに言われた。力を貸して欲しいと。
それならば。
「…………行ぎます」
「ありがとう!」
ホーカンと名乗った男が白い歯を見せて笑う。
大事に持ってたはずのシャルディスの花はいつの間にか、どこかに行ってしまったようだった。




