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おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中【書籍化/コミカライズ企画進行中】  作者: 紺染 幸
二章 王トマス治世下

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1皿目 春子と爺さん1年生

「や」

「ああ。まいど」


 常連の白髪のサラリーマンが白い息を吐きながら暖簾を上げる。


「いつもの頼むよ。ぬる燗で」

「はいよ」


 今日は随分早いじゃねえかと言いかけて、春子は客が大きな花束の入った紙袋を持っていることに気づく。

 ああ、そんな歳だったかと春子は察した。客はふっと笑う。


「うん、今日で定年だ。気を使われる邪魔者はとっとと花道を渡って来たよ。ここにもなかなか来れなくなるなあ」

「お疲れさん」


 大根、昆布、玉子にたっぷりの汁とからしをつけた皿と箸を渡す。

 ちょうどよく温まったところでとんと銚子、猪口を置く。


「最後くらい美人に注いでもらえないかな」

「見当たらねぇなあ」

「50年前ならいたかなあ」

「どうだろうね」


 男は手酌で酒を注ぎ、くいと空けた。

 はあ、と息を吐く。

 肩が落ちて、一気に歳をとったような風情である。


「……これにておしまい。サラリーマン人生の幕引きだ。こんな気持ち、若いもんにはわからないだろうな。みんなつるつるでピカピカで。夢に満ちていて。無邪気で。これから何かが始まって、だんだん良くなるって信じて期待してる。体のどこも痛くなくて、酒を飲んでも次の日は朝から元気。若いってのは本当にいいね」

「……」


 男が大根を割り、口に入れてはふはふする。

 酒を飲む。


「取引先を若手に引き継いできたけど大丈夫かな……まあ、大丈夫なんだけどね。会社なんて誰が抜けたって回るもんだ」


 箸が玉子を割る。

 汁に黄身が広がる。ずっと男が皿に口をつけて飲んだ。

 また酒を飲む。

 はあ、と湿った息を吐いた。


「……明日からスーツも名刺もいらないんだな。何度も見送って来たけど、見送られる側はこんなに空しいもんなんだね。いずれ終わることなんてわかり切っていたのに、いざ終わればこんなに寂しい。さて、明日から何をしようか。仕事しかしてこなかったから、明日からは妻の掃除機の邪魔にしかならないだろうなあ」

「邪魔になってないでてめえがかけな。暇なんだから」

「……それもそうだ」

「爺さんになってからが長いんだ。せいぜいうまくやんなよ」

「……そうだね」


 客は白い息を吐きながらおでんを食べる。


「明日から、俺も爺さん一年生か」

「張り切って黄色い帽子でも被んな」

「いきなり惚けたと思われる」

「違いねえ」


 ふっふと笑って酒を飲む。

 客は愚痴を吐き、弱音を吐き、酒を飲む。

 おでんを食って汁を飲み、酒を飲む。


「終わりは始まり、か」


 呟いて客は帰っていった。


 常連客たちが今日ものれんを捲る。

 春子はただ来た客におでんを食べさせる。

 春子はいつだってただの、おでん屋である。






 翌日


 春子は今日も仕事の前にあの道を通る。

 あの日砕けた石はいつの間にかきれいに片づけられて、ぽっかりと空いた石の台座だけがそこにある。

 春子はあの日のあとも、主のいないこの場所にがんもどきを置き続けている。

 なんとなくである。


 祠の前に立った春子は目を見開いた。

 ピカピカの、新しいお狐さんが置いてある。

 前よりも一回り小さい。前掛けまで新品で、赤が目に鮮やかだ。


 同じお狐さんではないことがわかる。顔が違う。

 ふふっといたずらっぽく笑ったその顔が、自分は若くて元気いっぱいだと主張している。


 とても嫌な予感がした。


 春子は新しいお狐さんを睨みつけながらがんもどきを置いた。


 パン、パンと柏手を二つ。


 目を開けると、白い石造りの建物の中だった。


 ムラッと腹の底から怒りが沸き上がった。

 天井に向かって吠える。


「若手に引き継いでんじゃねえぞ!」

「……どちら様ですか?」


 出てきた男を春子は睨みつける。


「……おでん屋だよ」


 舌打ちしてごきりと奥歯を噛み締めた。

 なんだろう。実に、腹立たしかった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] >「若手に引き継いでんじゃねえぞ!」 最高!
[一言] 第2章開始そうそう最高かよぉ(」゜Д゜)」…かよぉ…かよぉ…
[良い点] 退職サラリーマンとお狐様の状況コラボレーション! そうよね、花道を飾るなら若手に引き継がないとね! [一言] 春子さん舌打ちじゃすまなかった! 「若手に引き継いでんじゃねぇぞ!」に吹き出…
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