24皿目 祝宴2
今日はお狐さんを睨んでいない。
なんだか睨みつけるだけで砕け散りそうなくらいのみすぼらしい様子だからだ。
もうこれはお狐さんと言うより石だろう。
だがしかしなんとなく、予感があった。
パン、パン
柏手の音が響き渡る。
春だ、と思った。
柔らかく暖かい。花の香りのする甘い匂いの風が吹いている。
祭りか何かかもしれない。大勢人がいる。
「あ?」
よくよく見れば見たことのあるやつばっかりだ。
皆しんと静まり返って、春子を見ている。
「これはご婦人。お変わりなく」
学生服を白くして長くしたような服を着て、じゃらじゃらと重たそうな勲章を揺らし爺さんが話しかけてきた。
「ああ、あんたか」
ざるから金のブローチを取り出した。
「もらいすぎだったから返すよ。何食う。酒は?」
「では受け取ろう。婦人のお勧めを3種類ほどいただけるかね。酒は冷たいので」
「はいよ」
ひょいひょいひょいと大根、昆布、がんもどきを置いて汁をかける。黄色いからしを乗せる。
とっとっとっとと一升瓶を傾けて、酒屋でもらったコップに注ぐ。
「おまちどうさん」
「ありがたく。おかげさまで命拾いをいたしましたよ」
「おでんくらいで拾うかってんだ。安いねえ」
「はっはっは」
皿とコップを持って爺さんは離れていく。
「お久しぶりです」
「ああ」
変な服を着て一人死にかけて、洞窟でギャーギャー騒いでたガキどもだ。
面構えが落ち着き、大人の顔になっている。
「出世したかい」
「自分達ではそう思っていましたが、まだまだでした。先日それを痛感させられました」
「そんなもんだろ」
「コン・ニャックをください。冷たい酒も。あとはおまかせします」
「はいよ」
「僕も」
「はいよ」
「婆さん酒!」
「あ゛?」
「……お酒をくださいご婦人。冷たいの」
「はいよ」
代わる代わるに皿を取っていく。
「白歌の民が来ているみたいだぞジーザス。話しに行かなくていいのか」
「……いいんだ。僕は白歌の役割を捨てたからここにいる。僕なんかに話しかけられても迷惑なだけだろう」
「そうかなあ」
「勇気出せよ」
「……いいんだ」
「行きたそうな顔だぞ」
「がんばれジーザス」
「……食べてから考える」
「そうだな」
「いっただきまーす!」
やっぱりギャーギャー騒ぎながら彼らは去っていった。
「……」
「……」
涙ぐんだ狸親父が春子を見つめている。
「なんだよ」
「……おかげさまで、ゴットホルトは後悔無く生きております」
「何よりだね。何にする」
「お任せで、……熱い酒をお願いします」
「はいよ」
酒を温める春子を狸親父が見ている。
「おかみさん」
「はいよ」
「今がどんなに熱かろうが、私はもうぬるむことを恐れません。誰になんと言われようとそのときそのときが全て、ゴットホルトなのだから。生きているうちにこの熱い魂を右手に込めて、私は打ち続けます」
「そうかい」
皿にたまご、こんにゃく、ちくわを乗せる。温まった酒に猪口で蓋をして、親父に手渡す。
「おまちどうさん」
「……」
親父はぺこりと礼をして去っていった。
高校生くらいのガキが数人歩み寄ってくる。
顔を見て春子はああ、と思った。
「でかくなったね。もう女に追い回されてるかい」
「……いえ、好きな人たちを追い回しています」
「そりゃいいや」
かつてアントン=セレンソンと名乗った男が目に涙を溜めている。
「泣き虫は変わらねぇなぁ」
「治そうと思っても治らないんです」
「いつか溶けるよそのでかい目ん玉。まだ飲める歳じゃねえな」
「いえ、飲める歳になりました。でも僕は弱いみたいで、友人にお酒を止められてます」
「やめとけ」
「やめとけ」
「やめとけ」
「ほらね」
昆布坊主を取り囲んだ背の高い男どもが一斉に言った。
こりゃあ、よっぽどだ。
「……やめときな。何にする」
「……コンブを」
「だろうね」
皿に昆布、たまご、はんぺんを。
「稲荷も食うかい」
「いただきます」
皿に稲荷をよそう春子を、昆布坊主はじっと見ている。
さらりさらりと髪が太陽の光を反射している。
「……友達が、できました」
「そうみたいだね」
「夢を叶える道の、初めに立ちました」
「がんばったじゃねぇか」
「……あの日、あなたが僕のところに来てくださったから」
ぽろぽろとまた彼は泣いた。
「自分の、真っ暗なものに飲まれずに光の方に進めた。……ありがとうございました……」
「……はいよ」
友人たちは彼の涙には慣れっこなのだろう。慌てず騒がず興味深そうにおでんを覗き込んでいる。
「お久しぶりです」
その中にいた体格のいい男が長い髪を揺らして微笑んで言った。
「……」
「パルパロの肉はありますか?」
「……あぁ」
爺さんと入れ墨のときに端っこに座ってた、あのふわふわした小さいのだ。
「ねぇよ。肉ならいいかい」
「はい。お願いします」
たまご、牛すじ、ソーセージ。
汁をかけてからしを乗せる。
「酒は?」
「飲むと友達が可哀想なので、やめておきます」
「そうかい。握り飯は」
「いただきます」
揃いも揃ってよく食いそうな連中だ。
春子は竹の皮に握り飯をまとめて包んだ。一番端のにたくわんの黄色の汁がつくが、大丈夫、ここがうまい。
「持ってきな。みんなで食え」
「ありがとうございます」
男が春子の手から包みを受け取る。
「外の世界は広かったです。自分が考えていたよりも、遥かに」
「へえ」
「僕はもっと、知らないことを、世界を知りたい」
「そうかい」
「地平線の先へ行く勇気を頂きました。ありがとうございました」
「おでん食わせただけだよ」
「ラント!」
しわがれた声が響いた。
爺さんと刺青が歩いてくる。
『先生! 父さん!』
『久しぶりだな。……友達と居るところにすまんなラント』
『同じ物を頼む。冷たい酒も』
『わしは柔らかいものをお願いします。冷たいので』
「はいよ」
「久しぶりだなアントン、ハリー。大きくなった。こちらの皆は初めてか。楽しんでるところ邪魔してすまん。ラントの父親のトゥルバ=テッラと師匠のヤコブ=ブリオートだ」
「お話はかねがねラントから聞いております。この度は侵攻の第一発見者となられたと。立派なお仕事尊敬いたします」
「わしは報告しただけで見つけたのはトゥルバよ。なんにもしておらん」
『なんて言っている?』
『敵を見つけて偉かったなと』
『なんだそんなことか』
『国を救ったのだトゥルバ。もっと誇ってくれ』
『パルパロを守っただけだ。誇るようなことではない』
『そうか』
「はいおまち」
『いっしょにあっちで食べませんか?』
『おお、いい発音だ。前より上達しておるぞアントン』
『最高の先生が同じ部屋にいますから』
『そうか……邪魔するようで悪いが、いいのか?』
「みんな。ラントのご家族をお誘いしてもいいだろうか」
「いいよ」
「大勢で食べたほうがうまい」
『だそうです』
『では喜んで。学校の話を聞かせてくれ』
『はい。たくさんあります』
『たくさん聞きたい』
『喜んで』
ぺこりとお辞儀して彼らは去っていった。
わいわいと楽しそうに、微笑み合って。




