【32】女王の一日10
ロクレツァの王カンダハルは奥歯を噛み砕かんばかりに歯噛みしていた。
今日は勝利の日になるはずだった。
長きに渡る日を耐えに耐え、着々と推し進めていた画期的な兵器を世に出し、誰にも文句すら言えないほどの強大な力にてこの大陸を制する最初の日になるはずだった。
魔力を戦争に用いない? そのような甘えた話があるだろうか。
より強大な力で相手をただ叩きのめす。焼き尽くす。何が外法だ。何が畜生だ。強いほうが正義だ。目の前にある、一瞬で廃墟を作り上げるような強大な力を争いに使わないなど、頭のおかしいのはそちらだろうと笑いたくなる。
魔術師たちはカンダハルの考えを一様に強く拒んだ。魔法を人に向けるなんてできない。これは魔術師の生まれ持つ本能であると。
脅してもすかしても言うことをきかないので手法を変えることにした。なるほどそれが本能であると言うならば、本能のほうを殺すしかないと。
いい薬ができたので使った。最初は分量や成分に問題があったが、やがてちょうどよくカンダハルの言うことを聞くよき魔術師たちが完成した。こんなものは薬ではない、製薬の理念に反するなどとくだらないことを言って反抗する薬師もいたがそんなものは首を切ればたちまち黙った。
あちこちの国から魔術師をかき集め、よき魔術師に変え、今日というすべてが報われるはずの日を迎えたというのに。
何故効かない。何故彼らが倒れる。戦場に響いていたあの音なき音はなんだったのだ。
帰還し、策を練り直す必要があった。文官どもに文献を漁らせればきっとあの音がなにかもわかるはずだ。音が原因ならばそれのないところを狙えばよいだけだ。戦争の形にこだわる必要もない。一番弱いところ、一番柔らかいところを、一番強い力で踏みつぶす。カンダハルは何一つ間違っていない。
「陛下、前をお歩きにならないでください! ここは我々が!」
「やかましい。余は今荒ぶっておる。前に立つな。斬り捨てるぞ」
「……」
無能な側近たちが後ろで暗い目を見合わせている。
腰抜けどもめ、と王は思う。
魔法の研究を始めてから彼らは、時折魔物を見る目をカンダハルに向けるようになった。
狂ったか、と正面から止めにきた古い家臣もいた。当然斬って捨てた。
カンダハルは狂っていない。狂っているのはお前たちだとカンダハルは笑った。
力こそが正義。強さこそが真実。
カンダハルは狂っていない。当然のことを言っているだけだ。
洞窟を抜けた。背の高い草が茂り風に靡いている。
「ん?」
一部その草の中に、不自然な盛り上がりがあった。カンダハルはにやりと笑う。
「ずいぶんと不自然な形の草があるものだ」
剣を抜き歩み寄った。
頭をかちわるつもりで縦に振り抜いた剣の先で、伏せた人の形に盛られただけの草が舞った。
「!?」
後ろから無言の剣が襲ってきた。刃にて防ぐ。
「っら!」
第一の剣と合わせていた刃を離し新手を受け止める。左手で短刀を抜きさらなる斬撃を受け止める。
いずれもなかなかに速くそこそこ重い。だが若い。甘い。実践が、人殺しの経験が圧倒的に足りていない。
戦闘王カンダハル。老いてなおその剣の腕は衰えてはおらぬ。
どちらもカンダハルの力と均衡して刃を合わせたまま止まった。よし今だ斬って捨てろと家臣たちを見たカンダハルは衝撃を受けた。
貴様ら、何故動かない。貴様らの偉大なる王が目の前で襲われているというのに。
向けられるのは暗い悲しみの目
討伐される魔物を見る目で彼らはカンダハルを見ている。
「えい」
「とう!」
刃を引き第三、第四の刃を防いだ。
何故だ
何故動かない。
何故貴様らの王を助けない。
カンダハルは狂ってない。ただ力を、当然に求めただけだ。外道ではない、畜生ではない、魔物などではない。偉大なる戦闘王だ。
名を呼ぼうと思った。家臣たちの名を。
そしてカンダハルはそれらを思い出せないことに気づく。ともに食し、ともに飲み、互いの背を守って数々の敵と戦った、何十年もともに走り続けた家臣たちの名を。誰一人。
刃を合わせて襲撃を躱し、切り返し、走って長い草に隠れようとしたカンダハルは、踏み出した足でそこにないはずのものを踏んだ。
「何故だ」
体が水に包まれる。
「何故こんなところに池がある!」
必死で草を掴み陸に上がろうとする。
「ベエ」
「?」
見上げた先に黒と白のまだら模様の生き物がいた。
それは黒く丸い目でじっとカンダハルを見つめたのち、蹄のついた足でカンダハルを蹴とばした。
体が再度池に落ち、重い鎧がずぶずぶと水の中に落ちていく。体がうまく動かない。
「なんなのだこれは!」
襲撃者が追いつき、ざぶんと池に自らも飛び込む。
カンダハルはもがいた。防御性を重視し作らせた鎧は今やカンダハルを守らない。
「何故余を助けない! わが家臣が! 我が国の土地が! 何故、何故誰も! 何故何も! 余を、救わぬ!」
叫んだ次の瞬間意識が途絶えた。
何故だ、何故だと問うたまま、答えを知ることなく偉大なる戦闘王カンダハルは雑兵のごとく死んだ。
水から男が二人、水滴を垂らしながら陸に上がる。
王の首を持ち、ゼイゼイと息を切らして喘ぐクリストフとガッドを、追いついたレオナール、マルティンが背で守り男たちを警戒する。
男たちは睨み合った。
「……」
「……持ち帰れ。我々は王カンダハルの死を国と戦場に報告する」
「……」
「傍らにありながら王の狂気を止められず、かと言って弑し奉る勇気もなかった愚かな我々を笑うがいい。第一王子の死から、かの方のお心は日々病んでおられた。お止めできなかった我々にもその責はある。カルロ様ご戴冠ののち、また国交を結べることを期待している。拳を振り上げた方の言い分ではないことは重々承知しているがな」
「……」
男たちは二手に分かれて去っていった。
その背が消えたのをしばらく警戒して眺めてから、ようやく彼らは力を抜き、地面に寝転んだ。
「……化物だった」
「4人がかりだぞ!? あんのかこんなこと」
「……池と、あのヤギがいなければ、どうなっていたか」
「あそこに池はないぞ地図では。あとヤギだったかあれ。……それに後ろの男たちだ。相当な手練ればかりだった。誰か一人でも動いていれば、俺たちは間違いなく全滅だった」
「うん。どうして動かなかったんだろう」
「……どうしてだろうな」
「ミスラルは浮かなかった……」
「沈みもしなかったじゃないかガット」
「眉唾って言ったろう」
男たちは寝転んで満天の星空を見上げる。
星が一つ、流れて消えていった。
荒かった息がようやく落ち着いていた。
「……でも取った。戦いは終わる」
「ああ。実に神がかっていたね。今日の僕たちは」
「あの作戦意味なかったけどな」
「少しは役に立ったさ。多分。あれのおかげであっちのほうに走ったんだ多分」
「どうかな」
「どうだろうな」
「そういうことにしようぜ」
「ああ」
「寒い」
「そりゃそうだ」
クリストフは皮袋に入れていた連絡機を取り出した。
愛しい人はすぐに出た。
「ミネルヴァ。今、王カンダハルの首を取った。……鶏とトマトを買っておいてくれ」
連絡機の向こう側で、愛する人の嗚咽と爆発するような歓喜が聞こえた。
喜びに湧く広間で、玉座に腰を下ろした女王はその光景を眺めていた。
「のうジョーゼフ」
「は」
「何やらおかしくはないか」
「と、おっしゃいますと」
「あまりにも事がうまく行き過ぎてはおらんか」
「うまく行き過ぎております」
「わたくしは何もしておらんぞ」
「いいえ。陛下は地をならし、種をお撒きになりました」
「……出芽が早すぎ、葉の形が良すぎると言うのだ」
「何故でございますかね」
人々が笑っている。
顔を赤らめ、喜びに目を輝かせて。
女王と補佐官はそれを静かに眺めている。
「何かに」
ぽつりと陛下が言った。
「これではまるで大いなる何かに、護られているようではないか」
「ええ」
また沈黙。
「ジョーゼフ」
「は」
「昔王宮の中庭に、夜に現れる不思議な生き物がおった」
「ほう」
「膨らんだしっぽに、光る体を持ち、それは自由に現れ自由に消えた。子供の、少年の姿で現れることも、老婆の姿で現れることもあった」
「ほう、少年に、老婆」
「……あれと遊ぶのは心から楽しかった。それだけだ。何故だか今それを、ふと思い出した」
「左様でございますか」
恭しくジョーゼフは礼をし微笑んだ。
「きっとその者は、星空の下にいた儚くも美しい少女に、恋をしたのでしょう」
「……馬鹿を申すな」
「愛しき人のためならば身を削り、命をも削る。男というのは、実に愚かな生き物でございます」
「そなただけであろう。最愛の奥方殿は息災であるか」
「は。おかげさまで。お恥ずかしい」
やがてふっふっふと女王と補佐官は笑った。
何十年ぶりかの腹の底からの、快い笑いであった。
明日は朝から夜まで続く延々おでんエンドロールとなります。
オデェンドロールで一章完結です。
お付き合いありがとうございました!




