【31】女王の一日9
「お?」
戦場のクリストフ=ブランジェは懐の連絡機の音に手を動かした。
配置がかなり後ろの方の陣だったため、まだ敵とは刃を交わしていない。
前方では血気盛んなかつての武将たちが大張り切りでバッサバッサと切り捨てているようだ。
今きっと楽しくて仕方がないことだろう。やっぱりあの人たちとは人種が違うと思っているところだった。
最新式の連絡機を取り出した。まだめったに市場には出回っていない。軍経由で手に入れかなり割引になったものの、それでもクリストフの給料3月分がこれに飛んだ。
これが鳴る、ということは。
「はい」
『クリストフ』
「ああ、ミネルヴァ」
愛しい人の涙声にクリストフは状況を悟る。
駆け寄って彼女の震える肩を抱き締めたい。だが彼女は今、そんなことを望んでいない。
我が妻はアステールの誇る戦術家だ。
「なんでも言ってくれ」
『確たる根拠はない。まだ内容を女王にご相談前で、何らの決裁も得られてない。これはすべて、王の位置から推測した私の勝手な予想……いいえもう勘としか言えない。私ならその位置からどうするかを考えただけ。ロクレツァの王は逃げる。士気を下げぬよう味方にもわからないよう密かに。D−2−14の位置に張って、草むらに伏して待ち洞窟から出たところで首を取って』
「……」
『もしも……もしも私の、こんな根拠のない勘を信じてくれる人があなた以外にいるならば、できれば誰かを連れて行って。相手だって目立たぬよう数名でしか行動していない。当然王は身の回りに選び抜いた手練を置いているはず。……それでも、行って。取って』
「D−2−14……うん、行けるな」
『……今回軍に魔法攻撃が効かなかったことはロクレツァにとっては大きな誤算。でも白歌は国のどこにも常にあるわけじゃない。出直し、今度は最低限の戦争の形すら取らず突然に民間人を狙うはず。そんなことは絶対にさせてはいけない』
「ああ」
『だから取って。今日、ここで。必ずあの男の首を』
「ああ、わかった。ミネルヴァ」
『なあに』
「愛してる。来年も、再来年も、それからもずっと。俺は星祭でミネットの花を君に贈ろう」
『……』
「帰ったら鶏のトマト煮を作って欲しい。君の作るあれが、俺は世界一好きなんだ」
『…………ありがとう』
「復唱する。位置はD−2−14、D−2−14で相違ないか」
『相違ありません』
彼女が泣いているのがわかった。
『……愛してる』
ぷつんと連絡は切れた。
「……セレンソン補佐官」
「はい」
「私は鬼の顔をしているでしょう?」
「……」
「国のために夫を死地に送る、冷たい人殺しの顔を」
「いいえ」
目の前で泣き崩れる戦略家を、セレンソンは真っ直ぐに見つめた。
「……夫を愛し国を愛す、使命を持った美しい女性の顔をしておいでです」
「……」
戦術家は袖で涙を拭い、ピンと軍服を纏う背を伸ばした。
国民の歓声を受ける女王の帰りを、二人はじっと背を伸ばして待っている。
連絡機をしまい、クリストフはあたりを見回した。
「お」
馬が一頭、猛烈な勢いで敵陣から帰ってきた。
「マルティンか」
「おお、我が友クリストフではないか」
口でくわえていた手綱をぷっと離して彼は言う。
馬に乗ると彼は別人になる。
男らしく目を爛々と輝かせ、クリストフを見た。
両脇に男を抱えている。
彼は馬に乗ると力まで別人になる。
「何拾ってきたんだ?」
「戦場に落ちてた、一筋金のある赤のふさふさと長い銀髪を」
「うまい具合に落ちてるもんだなあ。生きてるのか?」
「おそらく。先程わずかにうめいた」
「そうか良かった。ポーションかけとこう。なあマルティン。一緒に規律を破って、D−2−14地点まで王の首を取りに死にに行ってくれないか」
「いいよ」
彼は馬を降り、二人を地面に転がした。
「君は友達だもの」
柔らかく彼は笑う。ハンペンのように。
「お前の嫁……まじかよ」
「すごいだろう。地形を正確に把握しておいて、その上で愛する夫にここを登れって言うんだ」
「本当に愛されてるかクリストフ」
「えっ」
「こわいよう」
「鎧がミスラルで助かった。本当に空気みたいに軽いなこれ」
「浮くんだぜ」
「眉唾だろう」
言いながら鎖を掴んで崖を登りきった先に、草原があった。
「ふう。ロクレツァの王はあそこの洞窟から出てくる、と彼女は言っている」
「根拠は」
「勘」
「……来なかったら僕たちは決戦中に逃げ出したとんだ腰抜けになるわけだ」
「まあ、どさくさに紛れてわからないだろう。レオナールとガッドはもう落ちていたんだし。うちは副将が話のわかるやつで助かった」
「どこに隠れようかな」
「マルティンならどこにする?」
「あそこ」
「なるほど」
クリストフはにっと笑った。
「なんだか懐かしいな。草集めてくれ。あまり時間はないはずだ」
「わかった。オデン食べたい」
「フレモンド先輩元気かな」
「出世してるぞあの人」
「そんな感じだったなあ」
そうして草に身を伏せた。




