【25】女王の一日3
薬学研究所
第一級の緊急指令に、薬学研究所が揺れている。
最も大きな中央の新薬研究室を、白衣の研究者たちが埋めている。
壇上に、妙薬再生部、エミール=シュレットが立っている。
緊急にも関わらず、彼に動揺は見られない。
彼は連絡機を口に当てる。その対の連絡機の先に、拡声器と数多くの連絡機の片割れが置いてあるはずだ。
「薬学研究所エミール=シュミットです。各地の薬師の皆様にも聞こえておりますでしょうか。王の命を受け我々はこれから、『天神の涙』の作製を開始いたします。お手元の調合表をご覧ください。材料はヨイノハギ、タンラコ、ナズリ。作製手順は調合表の通りです。念のため口頭でもお伝えいたします」
エミールが口に当てている連絡機により、声は国中の薬師に届いている。
緊急指令を受け、皆がその先で耳を傾けているに違いなかった。
「ヨイノハギ、タンラコ、ナズリは全て乾燥した材料が必要です。いずれも比較的一般的な素材ですので、皆さまお手元にお持ちのことと思われます。不足がありましたらご連絡ください。研究所に、貯めに貯めに貯めた在庫はたっぷりありますので、一番近い転移紋を通しお届けする手はずが整っております」
各地の転移紋の先には同じく緊急指令を受けた各地の役人および配達人達が待機している。
「ヨイノハギは粉にします。なるべく細かく、風に舞うほど滑らかになるまですり潰してください。次にタンラコの葉。こちらは刻みです。中央の葉脈に垂直に2分の幅で均一にお願いします。最後にナズリの蕾。こちらもすり潰しになりますが、粉にはしないでください。先に根元を切り捨て縦、横の4つに切ったのち、乳鉢に入れ、上から軽くたたきつぶし、それから円を描くように擂ります。粉にはせず、荒く粒が残る形に。一定のリズムで、擦るのは23回きっかりでお願いします」
わずかに室内がざわめいた。
エミールが笑う。
「ポッポケーロさんのリズムを思い浮かべることをお勧めします。あれをきっかり歌い終えれば23回。早さもあれくらいで。早すぎても、遅すぎても、熱の伝わり方が変わります。なんなら口に出してもいい。もちろん、皆さまご存じですねポッポケーロさん」
緊張しきった空気がわずかに緩んだ。
皆頭の中に、あの歌を思い浮かべているに違いなかった。
「分量比はヨイノハギ6、タンラコ1、ナズリ3。それぞれの水の分量は調合表をご確認ください。ヨイノハギは冷水に溶かし込み、タンラコは沸かした湯で取ったものを濾し、その濾し汁をナズリを加えて混ぜ、色が変わったらまた濾し、ヨイノハギの粉末の溶けた汁に合わせてください。最後は濾しませんお間違いにならないでください。研究所では各作業を分業で行います。ただ、必ず、自分一人でも作れるようになっておいてください。いつ、誰が、どこで製薬することになるかもわかりません」
エミールは部屋を見回した。
「――と、ここまで製法をお話ししましたが一点。この薬はまだ、治験が済んでおりません。50年以上、この地上に現れなかった病だからです。そしてその一件目が今まさに行われたはずです」
エミールの左手がもう一つの連絡機を掲げ、音の出る部分に拡声器を取り付ける。
「こちら中央薬学研究所エミール=シュミットです。結果を教えてください」
冷静な顔だが、連絡機を持つ手が、力がこもりすぎて白くなっている。
ガガッと雑音が流れる。
『こちら黒山監視係ゲオルギー。黒山監視係ゲオルギーです。『天神の涙』を飲んだ者たちの熱が下がりました。汗も引き、意識がはっきりし、食べ物はまだ無理ですが水分を受け付けられるようになっております。顔色がとてもいい。これならきっと大丈夫だ……ありがとう!』
わあっと部屋が揺れた。
エミール=シュミットが連絡機を壇上に置き、ダンと飛び降り、一番前に置かれた椅子に座る老人たちに膝をついて抱き着いた。
「泣くな。泣くなエェミィール」
自身も泣きながら、ポウルの手がエミールを撫でる。
「よかったなぁ」
照れ屋のジェイコブが顔を赤くしている。
「……」
マキシミリアンが震えている。
ずっ、と鼻をすすり、袖で目をぬぐってエミールは壇上に戻った。
「……『熱雷』は発熱と悪寒を交互に繰り返し、体力を、人の命を徐々に削り取る病です。体力のない老人、子供、持病のある人から先に奪われます。今症状の出ている人たち、その家族の、どれほど心細いことでしょう。どうか、間に合うように。それでもどうか冷静に。素材を無駄にすることが無いように。一滴でも多くの天神の涙が、一人でも多くの人に届くように。出来れば国民すべてが飲める量の薬を、これから我々の手で作ります」
淡々とした声であった。
「常に緻密で、冷静であってください。正確であってください。正直であってください。人なのだから、ミスは起こりますそれを絶対に隠さないでください。私たちの作る薬は、顔も知らない誰かが、宝として命がけで運ぶ、死に怯えて泣いている人々とその家族が心から待ち望むとても大切なものです。正しく、工程を省略せず、調合表通りお願いします。自分の大切な人が飲む薬かもしれないと思ってどうかお願いします。各地の薬師の方には以上です。製作に入ってください。予防薬でもありますのでまずご自身がお飲みになってください許可を得ています。ご質問がありましたらいつでもご連絡ください」
連絡機に向けて祈るように、エミール=シュミットは言う。
「協力し合いともに国中に、命を救う、澄んだ空色の涙を降らせましょう。以上です」
エミールは連絡機のつながりを切った。
顔を研究所の研究者たちに向ける。
「我々はヨイノハギ、タンラコ、ナズリ、最終の製薬に分けての分業です。交互に休みましょう。食堂は常に解放されていますので好きなタイミングで食事を取ってください。第一倉庫、第二倉庫が仮眠室として開放されています。女性には少し遠くてすいませんが胡桃宿の部屋を5室おさえているそうですのでそちらを使ってください。研究所内の浴室に併せ近隣の湯屋が研究者向けに無料で開放してくれるそうです。不潔を許しません。製薬の場は清潔を常に保ってください。長期戦になります。体調に気を付け、上手に休んでください。改善すべき点があれば僕に言ってください。それぞれがどの担当なのか、職員番号順で表を張り出してありますので確認ののちそれぞれの作業部屋に移動してください。それでは……」
「『天神の涙』製作担当者はおられるか!」
「私たちです」
エミールが壇を降り老いた研究者たちに並ぶ。
駆け込んできたのは王家の文官だ。旅姿であった。




