【20】トマス公セントノリスに行く1
間もなく戴冠を控えたトマスは考えている。
私も陛下にとってのジョーゼフ=アダムスが欲しいと。
女王陛下の補佐官は10名。代行として地方に飛んでいたり各機関との調整を行っていたり何かの監視や助言をしていたりと常に傍らにいるわけではないが、誰もが女王を想い女王に尽くす忠実な家臣である。
優秀な彼らは王位を継げばそっくりそのままトマスの補佐官となり実務の上ではなんら問題ないわけだが、どうもトマスとしては一味足りない。
トマスを女王の後釜の王としてではなく純粋にトマスとして認め、全身を投げ打つようにトマスに心底尽くす優秀で使いやすい男が欲しい。出来ればまだ何色にも染まっていない、なんらのしがらみもくっついていないものが。
なのでピカピカの優秀な若者を一人引き抜く許可を女王より得て先ぶれを出し、トマスは本日セントノリスに足を運んでいる。上級学校の三年生は先日共通試験が終わったところだ。その結果が出る前にかっさらう。次期王からの突然の大抜擢に風当たりは強かろうが、それくらいどうにかできない男ならそもそもトマスの補佐など務まらぬ。
懐かしい、と思った。
本来であれば貴族学校であるアッチェルノやサンドールがトマスの立場としては妥当な進学先であったが、トマスはセントノリスを選んだ。貴族だけに交わっていれば世界は必ず狭くなる。トマスは少しでも世界を知りたかった。濾過された上澄みだけ、綺麗にこしらえられた赤絨毯の上だけを歩くのは馬鹿馬鹿しく、変わらない景色が退屈であった。
学園生活は思ったよりも楽しかった。あのとき得たようなむき出しの、ひりつくような純粋な友情や感情には、王となるこれからの人生ではきっと二度と出会えまい。
これからトマスは金の衣装に覆われ、エメラルドのついた杓を持ち、宝石を揺らして歩くことになる。大きな冠を乗せた頭は重く、何をするにもきっと大層動きにくいことであろう。
その重たい衣装の端を持ち、倒れそうな体を支えてくれる誰かをトマスは切に望んでいる。王という孤独な生き物を愛し、手足に、ときに頭脳となって支えてくれる優秀なものが存在するならば、それはどんなに大きな心の支えとなることだろう。
トマスは怖いのかもしれない。皆を引き連れて歩んでいたつもりの赤絨毯の上で、振り向けば誰もいなくなっているかもしれないと考えることが。
怖くて仕方がないのかもしれない。誰が去ろうとも最後までトマスを一人にしないでついてきてくれる無垢な者が、戴冠を前にして、トマスは今切に欲しくてたまらないのだ。
トマスは校舎の一室に入室した。部屋の中に三人の男が跪いている。
セントノリス上級学校3年生、1号室。
この選びぬかれた中でもさらに選びぬかれたもの。上澄みのなかの上澄みがここにいる。
「面を上げよ楽に立て。ここはセントノリスの門の中。王以外同位である。私への過度な敬いを禁じる。今日は私を一人のセントノリスの先輩として扱いたまえ。女王補佐官であり間もなく君たちの王になる、トマス=フォン=ザントライユだ」
トマスはめんどくさいあれやこれを省いた。外であればうるさい奴がなんやかやと言ってくるだろうがここはセントノリスだ。そしてその中で最も優れた頭脳を持つ3名。余計なことはなくてよろしい。
面を上げ立ち上がった3名に、ほう、とトマスは軽く目を見張った。
皆、種類は異なるが見事に見目が良い。成績上位者などだいたいが神経質そうな、青白く四角いのに目ばかりぎらつく深い森のふくろうのような顔をしているのが相場だが、今年のセントノリスは違うようだ。
そもそも1号室全員が平民。こんなことが過去にあっただろうか。彼らからはなんとも小気味いい、新しい時代の風を感じる。
首席ハリー=ジョイス。この学年の一位は6年間ほとんどこの男が独占したという。
健康的に日焼けした肌、無造作に切られた茶の髪。しなやかな若々しい長身に、深い青の涼やかな目。
セントノリスでは初の、平民による生徒会長を務めている男だ。生徒会の役員は副会長を除き前任からの指名制なので、彼は貴族に平民を指名させたことになる。彼もすごいが指名した貴族と言うのもなかなかの男だ。彼はどこか気品のある狼のような雰囲気を隠すことなく、その吸い込まれるような思慮深い目で観察するように冷静にじっとトマスを見ている。
彼の方がよほど王らしいとトマスはひっそりと笑った。
纏う空気が王者のそれなのだ彼は。そこにいるだけで人々の目を惹きつけてやまない、太陽のような存在感と説得力が彼にはある。
二位ラント=ブリオート。土族の出身という変わった来歴の持ち主だ。
成績でハリー=ジョイスを抜いたことのある人物は彼だけだという。
馬術の学園共通大会では中級学校の2年生から各競技の首位を独占。軍官学校の面子を粉々にぶち壊しにし続け、最後の年は会場全体が息を呑むなか後続を見る見る引き離し華々しく一位でゴールする伝説の男となったそうだ。
地理歴史に明るく言語の感覚に優れ、在学中に何か国語も身に付けたという。
体格がいい。おそらくトマスよりも背が高いだろう。緩くウエーブのかかった薄い色の髪を伸ばし、後ろで結んでいる。目元も口元も柔らかく微笑んでいて、どっしりとした包み込むようなあたたかな空気になんだか彼を年上の男のようにすら感じてしまった。
三位アントン=セレンソン。この男は先の二人に比べれば少し落ちる。
中級学校を含めた6年間一度も二人に成績では及ばず、何らの入賞経歴もない。肩書に生徒会の副会長がついてるのは、ハリー=ジョイスに指名されてのことだろう。彼らは同じ町の出身らしいのできっと仲がいいのだろう。
少年を残す力のなさそうな細い体つき。全体的に線が細く顔立ちは端正で、白い肌、黒髪と黒い瞳は若者らしく透み瑞々しい。
ぱちんとその黒い瞳とまともに視線がぶつかりうっとトマスは身を引いた。
なんだろう
なんだかものすごく、見られている。
いや見られているは見られているなのだが何かが違う。なんだこれは。
見ているのは、品定めしているのはトマスのほうのはずなのに一体何なのだろうこれは。
とにかくトマスは今、アントン=セレンソンに見られている。と言うか吸い込まれている。何かをすごく。
不敬と咎められるようなことを彼はしていない。姿勢は正しい。真面目な顔をしている。ただ目の輝きが尋常じゃないだけだ。
トマスは一度咳ばらいをした。
ハリー=ジョイスがアントン=セレンソンの靴先にこっそり自分のそれをぶつけたのが見えた。
はっとしたようにアントン=セレンソンが視線の吸引力を緩める。今何をしたそして何故頬が赤いアントン=セレンソン。
「共通試験の直後にすまないね。皆疲れていることだろうが、私は本日試験の結果を告げに来たのではない。試験の結果が出る前に、私の役に立つ男がいるならば先に引き抜いておこうと考えここに来た」
三者の顔を見渡す。皆憎いほど動揺がない。
「私は間もなく王になる。私は私の忠実なる補佐官を求め本日ここに来た。私は私に心から尽くし、いずれは私の手となり足となり、頭脳となる優れた資質を持つ者を求める。常に心安く私の傍らにありて私の思考の癖、行動の癖を飲み込み、いつどこにあっても私ならばどう判断するかを考え、常に私のためになることを成せる者を求める。私の権威に甘えず、己の力量で周囲の者を上手くたらしこみ、有利に事を進めることのできる者を求める。それらのための努力を一切惜しまぬものを求める。私はこのような顔をしているが残念ながらただの冷徹な凡人だ。英雄的なものを求めるだろう若き君たちには悪いが、私は輝かしいことも、華やかなことも行わないつもりだ。戴冠ののちは陛下の方針を引継ぎ、人を育て、産業を育て、ただ淡々と、何も起きぬことを目指して国を動かす。そのような地味な治世を行う男を内側から支えたいと願ってくれる者を求めている。そしてもし叶うのであれば私は私を愛するものに傍らにいてほしいと願っている。このなかにそれら全てを満たせる男はいるか。もしそんな者がセントノリスの門の中にいるのであれば、私はその者の私への忠誠を所望する」
ハリー=ジョイスがわずかに笑いをこらえるような顔をしている。ラント=ブリオートもだ。人を馬鹿にする笑いではない。何かあたたかさを感じる不思議な笑いではあるが、いったい何がおかしいのだ。
コンコン、とノックの音がした。トマスは許しの返事を返す。
セントノリスの教師が分厚い紙の束を持って入ってきた。
「急にすまなかったね」
「とんでもないことでございます。光栄です」
ちらりと若い男の教師が心配そうに三名を見た。
目を輝かせている一名を除き悠々飄々とした様子を見て、苦笑いする。
「それでは、失礼いたします」
教師は去った。トマスは今受け取った紙の束をペラペラとめくる。
上位3名での推薦式だけで決めようかと思ったがそれでは仲の良いもの同士の慣れあいが起こるかとふと気づき、他の生徒にも意見を聞くことにした。
設問は2つ。
最後の1枚までめくり終えてトマスは顔を上げた。
背筋に寒気が走っていた。




