21皿目 配達人オットー=バッハマン2
「ああああああ! 生き返ったあ!」
先程まで蝋細工の人形のようだった男が、頬を赤らめオデンを食っている。
実際に生き返ったのだ彼は。本当に死んでいたのだあのままなら。
ピンピン明るくなった彼を横目で見ながら熱い汁をすすった。
酒は断った。職務中だからだ。本当なら飲みたかったが仕方ない。
椅子に座るとそこは驚くほど暖かかった。きっとこれもまた、フーリィの力なのであろう。
オットーは今コンブを噛んでいる。深い深い滋養ある味わいが特に気に入って、思わずおかわりしてしまった。
デニスは若者らしく肉ばかりだ。思わず野菜も食べなさいと言いたくなる。
ニギリメシが実にうまい。まわりについた黒のツブツブと、中のカリカリ。タクアンのポリポリ。そしてそこにあたたかな汁。
口いっぱいに甘みと塩気、香ばしさが広がった。うまい。
ダイコンを割る。
汁とともに飲み込む。
今度は少量でピリッとくる黄色いのをちょんと乗せ飲み込む。
うまい。
じんわり沁みるあたたかさが腹の中から全身に広がって、指の先までぽかぽかする。
たまごを割る。やはりなと思った。これは最後で正解だ。
先に半分口に入れる。くさみがない。ねっとりと黄身が口の中にまとわりつくのが小憎らしい。
残りをさらに半分に割り、皿に残った汁とともにすべて飲み込んだ。
ここに熱い酒が混ざったらどうなることだろう。
まあ予想はつく。間違いなく、うまい。
「……ふぅ」
全身がとろけている。恐るべしオデン。さすがはフーリィ。
こんなにまったりとした気分になるのはいつぶりのことであろうか。
「……バッハマンさん」
「……なんだ」
「助けてくれて、ありがとうございました」
デニスが頭を下げた。金の短い髪が揺れる。
彼は今生きて、動いている。
「……当然のことだ」
「そんなことないっす。それにありがたいのは今日だけじゃないいつもです。前同期と飲んだとき研修期間の話したら、へえ、お前のとこは手厚いなあって驚かれました。初日からいきなり一人で行かされるとこもあるらしいっす。俺なんて一月も代わりばんこに先輩たちに見ていただけて。人によって違って、へえ、こんなやりかたもあるんだなあって。すごく勉強になりました。……それなのにこんな風にしくじって、ホント、申し訳ないです」
「……やめたいとは、思わないか?」
彼は死にかけたのだ。ただ一通の手紙のために。
「え、俺クビっすか!?」
彼は悲壮な声を上げた。意外な反応であった。
「……それはない。ただでさえ人手不足だし、そもそもこれはまだ事故になってない。少し先に小さい町があるから今日はそこで休んで、明日俺が届けてくる。馬は始末書だろうが、誰だって一度はやってることだ。新人で、大雪の日だ。それほど評価には響かないだろう」
「よかったあ」
はあと彼は息をつく。
そして串に刺さった肉を白い歯で豪快に一気に抜き、噛んで目元を緩めた。
若造そこに汁だ汁。そうすればもっとうまいぞと心の中で言う。
「……」
「俺、ファロの出なんす」
「ああ、あの……」
「はい、ド田舎の」
にっと彼は笑う。
灯台のある海辺の小さな村だ。懐かしくオットーはその情景を思い出した。
周りに何もなくて、届けるまでに一日途中で泊まりが必要になるほど隅っこにぽつんとある村だった。あの村は最果ての灯台守なのだ。
「異動前に担当だった」
「知ってます。俺はあなたを見て配達人になるって決めたんだから」
「……」
「灰色ばっかの地面の先から赤い制服が見えると、みんな楽しみで仕方なくてそわそわするんです。お嫁にいっちゃった姉ちゃんとか、出稼ぎに行ってる旦那さんとか、そういう遠くにある楽しいものをあなたは運んできてくれるから。村長が受け取って、署名して。あなたはいつもすぐ帰る。泊まっていけばいいのにってみんなが思ってた。精一杯もてなすのにって。赤い服の配達人は俺のヒーローだった。ファロの男の子たちはみんな赤が好きなんだ。かっこいい男の服だから。憧れの男の服だから。あなたの姿を見ると俺達は自分たちがまだ世界とつながってるって信じられるんだ。見捨てられてない。端っこでもちゃんとつながってるって。あなたが俺たちに運んでくれたのは、手紙だけじゃなかった。あなたの赤い服は俺たちに、安心を運んでくれた。端っこの俺たちもちゃんと世界の一部だよって来るたびに教えてくれた」
「……」
「憧れて、憧れて、ようやく着れたんです。俺は脱ぎません。もっといっぱい経験を積んで、はやくバッハマンさんみたいなかっこいい配達人になりたいっす。ちょっと死にかけたくらいで諦めるわけに行かないんすよ」
「……」
「後任の人もいい人だったけど、やっぱりバッハマンさんが一番かっこいい。いつも忙しいバッハマンさんとこんな風にゆっくり飯が食えるなんて、俺は本当についてるなあ。ファロのやつら羨ましがるだろうな。帰ったらすげえ自慢します」
彼は頬を染めて無邪気に笑う。
無鉄砲な若者。
夢に溢れた若者。
こんな若者たちを、いったい何人自分たちは殺してきたのだろう。
自分は彼に、そんなふうに憧れられるような人間じゃない。
自分は自分の荷物をただ運んだだけ。届けただけ。
こうだったらいいのにと何十年も考えながら。あるべき道を頭に思い浮かべながら何もせず、ただただ自分の頭の中の地図だけを埋めて正確になぞって走っただけだ。
転移紋は修復しつつある。
声を伝える素晴らしい発明品が、もしかしたら近々できるかもしれない。
それでも配達人の仕事はなくなることはないだろう。転移紋は動けない。声以外にも運ぶべきものはたくさんある。
我々は血管であり血液。隅々まで、届けなければならない。取りこぼすこと無く。そこに人がいる限り。どんなに細い道でも正確に。確実に。配達すべきもの、配達するものの命を落とすこと無く進まなくてはならない。
「……道を作る、か」
「おかわりいるかい」
「コンブお願いします」
「はいよ。渋いねえ」
フーリィがわずかに微笑んだ。
それでいいよ、と肯定されたような気がした。
目の前の男の愚かさなどお見通しだろうに、彼女は何も言わずただただあたたかさだけをオットーに供する。
若手のために、これからのために。
彼らが死なない制度を作る。各配達人の経験年数と実力に応じた配達をさせる制度を。それぞれの頭の中にある地図を共有する制度を。新人をもっと手厚く育てる、各所共通の制度を。
「掲げるか」
「何をです」
「旗印を」
「?」
オットーがこの制服を着ていられるのはあと数年。
最後の最後にひとつ、届けてみようか。頭の固いお上に、現場を走り続けた者たちの声を。
知らない道でも進まなくてはならない。オットーは配達人だ。
届くだろうか。道は変えられるだろうか。
コンブの真ん中を噛みながら、配達人オットー=バッハマンは渋い顔で考えている。




