20皿目 白歌の民2
フーリィに大変腰低く挨拶をし、祝杯をのぞき込んだ町長が指を揺らして数を数えた。途中でわからなくなりざっとでいいかということにしたようだった。
「皆さま聞いて下さい。大変残念ですが、今ここにいる全員に行き渡るだけの量はありません。そこで提案ですがこれは子供と、若者に食べてもらうということでいかがでしょうか。未来のある者たちに」
艶のある町長の声が響く。ぱちぱちと拍手が上がった。白歌の民は気質が優しい。
「えっなんですって……? 酒もある? 大人の皆さん酒もあるそうですよ! 小さい杯を持って並んでくださいちょっとだけですよ! そうだご高齢の方には汁を飲んでもらいましょう元気に長生きしてもらわなければ。えっニギリメシ? イナリ? タックアン? ええいもうなんでもいいや皆さん分け合って、ほんの一口でもいいからいただきましょう! きっとこれは、食べることに意味がある。あっごめんなさいごめんなさいなんでもいいなんて言ってごめんなさい言葉のあやです! お代は町長であるわたくしコンスタンタンが代表して支払っておきますわたくしのポケットマネーで。いやいやそんな感謝や尊敬など……えっいらない? お代はいらないそうですよありがたいですねえ! え? 皆さん!『熱いうちに食え』だそうですお手元に届いたらすぐ召し上がってくださいねご婦人が怒りそうです。いえもう怒っておいでです顔が恐い。みんな急いでね。ホント急いでね」
行列のできるフーリィのお店を、へええと産婆ドリアーヌは目を見開いて見つめていた。
長生きしてみるもんだ、と。
後ろから見ていたことに気付いたのだろう。フーリィが振り向いた。
「あんたは食わないのかい」
「いいよ。並んでたってどうせ途中で呼ばれるよ」
「へえ。何に」
「妊婦の悲鳴さ。こちとら産婆でね」
「へえ」
フーリィが手元で何かをした。
大きな茶色の葉っぱのようなものに包まれた、白い何か。
「持ってきな」
「あたしはずるは嫌いだよ」
「何がずるだ勝手に決めやがって。あたしは並べなんて一言も言ってないよ。力つけな。大変な仕事なんだから。休みもない、うまくいくお産ばかりでもない。辛いこともたくさんあっただろうに。その歳まで、よくやってるもんだ」
「……お互い様だよ」
ふっふっふと老婆は笑い合った。
「じゃあいただいておこうありがとね。早く戻らないと。星祭りは産気づくのが多いんだよ」
「がんばんな」
背中に声を聞き、ドリアーヌは走った。
大丈夫。まだ走れる。
ドリアーヌが走れば走るほど、この町に赤ちゃんの元気な産声は響くのだ。
「もらってきたぞ」
雑踏から戻ったフレデリクの手には皿。その上に半円の茶色い野菜。
「なんだろう」
「カブかな?」
三つに割って、フォークを突き刺す。
三人揃って食前の祈りの仕草をした。揃ってパクリと口に運ぶ。
「……」
じゅわっと染み出た。あたたかい、さまざまな味を含んだスープが。
柔らかく煮込まれた野菜は歯で噛まずとも口の中で崩れ、まるで飲み物のようだ。
あたたかい。やさしい。まるくて、まろやか。
それらは優しく体の内側を通り、おなかの中に落ちていく。
ロランの目から勢いよく涙が噴き出した。
どうしてかはわからない。
ただただ、涙が止まらない。
「……」
がたんと隣の椅子が引かれ、男が立ち上がる。
男の声が歌う。伝統的な男歌である感謝の歌の、低い、バッソのパート。顔を上げればノエルだった。
音が正確で、安定感がある。以前の彼からは想像もつかないような、優しく包み込むような声だった。
反対側で椅子が引かれ、そこにもう一つ声が重なる。同じくバッソのパート。彼の声はいつ聞いてもぶれが無く、重厚で、全身を預けていいと思えるような信頼感がある。そういえば彼は声が変わるのが誰よりも早かった。きっと彼にもロランの知らないところで思い悩む時期があったはずだった。親しくありながらこれまでそれを一度も考えたことがなかったことに今更ロランは気づく。
「テノーラが欲しいな」
一小節だけ歌を止め、ノエルが笑って言った。
じっとロランを見て、歌に戻っている。
ロランは立ち上がり、息を吸った。
何遍も、何十回何百回も聞いた歌だ。その旋律は耳に残っている。ロランは一度聞いた歌なら正確に音を追える。
声が重なった。2対1でも押されることはなく、それは美しく重なり暗くなり始めた天に吸い込まれていく。包まれ、絡み合い、溶け合って。
歌は終わった。
寂しい、とロランは思った。
それでも胸が熱い。
「トレッセレンテ!」
周囲の人々から称賛の声と拍手が起こり、三人は揃って一礼した。
頬を赤く染めて、ロランは涙をぬぐった。
胸がドキドキする。
今まではただただ、天上だけを見上げて高みに行かんとしていた。
もっと高く、軽やかにと。
初めて低く、重厚に。もっとまろやかに、それでいて艶めかしくと願った。
互いに対等な立場で。互いの音を支え合う歌を今、初めて歌った。
「……出た」
「お前は音域が広いんだ。使わなかっただけで」
なんでもないことのようにフレデリクが言う。
座り直し、皆でノエルの買ってきてくれたものをつまんだ。
ノエルは宣言通り葡萄酒を飲んでいる。とても大人に見えた。
「……兄の友人に、この町を出た人がいるんだ。ジーザス=アダン、知ってる? 声の綺麗な人だったけどあまり前に出たがらず、いつも後ろで歌いながら、窓の外を見ている人だった」
ノエルが低くなった声で語る。
「16歳で町を出て、それっきり何も連絡が無かったんだけど先日兄に手紙が届いた。外でいい友人に出会って、冒険者をしてるそうだ。なんだか急にうまく行くようになったら、この町のことを思い出したらしい。なんだか気持ちがわかる気がするな。今の生活は楽しくて、刺激的で、幸せだと。それでもときどき、誰かと声を合わせて歌えないことが寂しいと。歌をそれほど愛していなかったと自分で言う彼でさえそうなんだ。声変わりでご飯も食べれなくなるほど歌に心を捧げている君が、この町から、歌から、離れられるわけがない」
「……」
「確かに神は残酷かもしれない。与えられた羽根で真剣に天上を目指し羽ばたく者からある日突然にそれを奪うのだから。でもねロラン。かつて飛んでいたときのその風景を、僕たちは覚えている。高みを目指そうと努力した日々は僕らの今後の人生の折々で僕らを支える大きな力になる。神はやはり与えているんだ。代わりばんこに。順番に。命と同じだロラン。一方的に与えられ奪われるもの。でもだったらはじめから与えなければよかったじゃないかなんて思えないだろう」
ノエルは天を仰いで両手を広げた。
「だって世界はこんなにも美しい。いつか骨になり誰からも忘れ去られたとしても、今ここに生きている瞬間は無意味なんかじゃない」
天から星が落ちている。
煌めく光の中、人々が笑いさざめきながら、歌いながら皿を手に手に列をなして自分の順番を待っている。
夜の霧があたりを包み、灯され始めたランプの光がそこに幻想的に浮かび上がっている。
とん、とテーブルの上にランプが置かれた。
星型の穴の開いたランプは、この町の外にもあるのだろうか。
「ロラン」
「うん?」
呼びかけられ、ロランはフレデリクを見上げる。
「年末の祭りで、俺と『夜霧』を歌ってくれないか。依頼が来てる。相方のテノーラは俺が選んでいいそうだ」
「……半年もないじゃないか」
「できるだろう」
「……」
じっとフレデリクがロランを見ている。
「できなかったとしても、俺たちが笑われればいいんだ。皆一度はとちったことがあるから優しいさ。一緒にやってくれ」
「……どうして」
「初めてお前のDテ音を聞いたとき、俺はこいつと歌おうと決めた」
「……勝手だ」
「そうだ」
ふふっとロランは笑った。
星祭りの明かりが揺れる。
「いいよ」
ロランは喉を押さえる。
神から貸し与えられた祝福の声を返却し終えた、己の声が出る喉を。
「歌おう。一緒に。……ありがとう」
広場に『星祭の歌』が響き始める。
繰り返し、繰り返し、各パートを出せる範囲で自由に渡り歩いて重ねて良い、天に煌めく星の瞬きのような歌だ。女の声が無理に抑えた低音を。男が女の高音を歌おうとして外れたりするのもまた一興。
きらきら、きらきらと声が重なる。大人の声、子供の声、老人の声、男と女の声。
空を見上げた。たくさんの星が降ってくる。
ノエルが天に向かってランプを振った。
大丈夫、こわくない。こわくない。落ちたって大丈夫。
地上はこわくない。どうか不安にならないでと。
落ちた星は地上を見て何を思うだろうか。
ここはここで悪くはないじゃないかと思ってくれればいいなあと、ロランは思った。
「町長! 届が皆! 1つ残らず取り下げられましたぞ!」
「おお! わしの神の使いへの立派な対応が功を奏したか!」
「絶対違うと思いますがよかったですね!」
「ああよかったよかった! 実によかった!」
コンスタンタンが窓を開ける。天に向かって喜びの歌を歌う。
副町長が横に並び、同じ歌の別のパートを歌う。
二人とも頬に涙を流しながら、情緒たっぷりにビブラートを効かせて歌いきった。
「……私たちには意味があるぞ。私たちが歌うこと、祈ること、ここに生きていることには意味がある。これは間違いのないことだ。神は今日、我々にそうおっしゃった。だから信じて、生きよう。祈り、歌い続けよう」
「はい、町長」
白歌は今日も美しい白い町にひっそりと響く。
ロランたちのダイコンが『半円』になっていますがもとは丸です。
他の人たちと分けたようです(そんな一生懸命フォローするところじゃない)




