19皿目 フィリッチ公補佐官ロベルト
領主補佐官ロベルト=スチュアートは考える。
お前らホント、いい加減にしてくれ、と。
ロベルトの主であるフィリッチは、先王の妹を祖母に持つ由緒正しき血筋の、やんごとないお方である。弱冠30歳にして、広き草原の広がるポネーニ領の現領主である。
美しい緩やかな金の巻髪、太い眉に明るい青の瞳。高い鼻に厚めの唇。生来恵まれ、さらに鍛えられた立派な体格。太陽がごとき、王にふさわしい見た目の持ち主である。見た目は。
女王陛下には子が無いため、次期王は彼か、同位の王位継承権を持つトマス=フォン=ザントライユ公がふさわしいということになる。血筋では。
ホント、いい加減してくれとロベルトは思う。
山のように積まれた本来フィリッチがサインすべき書類に印を押しつつ、フィリッチが確認すべき案件に補佐官事務官総出で目を通しつつ思う。さんざんお膳立てしたのに最後の最後にそのときの気分だけでぶち壊しにしてくださったあれやそれの後始末をしながら思う。器というものがあるだろうと。
今も目の前で繰り広げられてる不毛なやり取りに、目を開けながら何も見ないよう、聞かないようしようと思いながらもどうしても思う。いい加減にしろよと。
「一体どうなっておるのだゲオルク」
フィリッチの母が、這いつくばる男に高圧的に言う。
別の椅子でフィリッチが、その様子を一見真剣に眺めている。
だがロベルトには今彼が何を考えているかわかる。
十中八九、彼は先日購入したばかりの葦毛の馬につける名前を考えているのだ真剣な顔で。
「長らくルードヴィングの保護を受けているにもかかわらず、フルストも、ガウスも、ブーレーズまでもが皆ザントライユに寝返ったそうではないか! いったいどうなっておるのだゲオルグ! 答えよ!」
「はあ……」
ゲオルグはルードヴィング家家臣の家に生まれた男だ。次男なので領家には仕えず中央に出て王家の文官をしている。
禿げ始めた頭が、可哀想に汗に濡れて光っている。
トマス=フォン=ザントライユ公。幾度かお会いしたことがある。同い年であるフィリッチ、ロベルトより4歳年上の彼はいつもとても静かで、自ら進んで存在感を消しているようなところがあった。だがしかしふとしたときに隠しきれず零れ落ちるように垣間見える彼のきらめく英知に、どうしてこの10分の1ほどすら我が主にはないのだろうと悲しくなったものだ。
2年ほど前からトマス公は領主の地位を捨て、それまで隠していた顔と能力を晒し、優秀なる補佐官として女王の傍らについておられる。
前王の姿を髣髴とさせるその姿で、常に穏やかで女王とも睦まじく、惜しむことなくあの知性を披露してるのだろう。その姿を日々目の当たりにしながら彼に期待するなと言うほうが無理である。
フィリッチは別に悪い男ではない。無慈悲で乱暴なわけでもない。計算だけ、暗記、戦術の立案だけ切り離すならむしろ普通よりも出来るのだ。ただただ、頭の中が隅々まで太陽の光に満ちているだけだ。
高貴すぎる彼の前には常に明るく快い道が人々によって常に開かれてきた。その道は雨の日は濡れぬよう天幕が張られ、雪の日はおみ足をとられることのないよう雪が取り払われていた。トマス公も同じ状況であったに違いない。だがしかしトマス公は天幕をかけ雪かきをするびしょ濡れの人々の姿を見つめ続け、主フィリッチはそれを一度も見ることがなかった。
だからフィリッチは世界がいつも明るくて、快いことがたくさんあって当然と考えている。自分以外の皆もそうなのだと信じ切っている。自分がやればなんでもうまく行って、周りも幸せだと信じ切っている。今までそうだったのだからこの後もきっとそうだろうと思っている。
だからいつでも太陽のように明るいし、迷いなく心のままに堂々とふるまう姿は英雄のように力強い。人はその姿に王の資質を見出すかもしれないがとんでもない。その光は影となって支えている多くの者たちの、塩辛い汗と涙の結晶が反射した光なのである。
今はこの領のことだからそれで何とかなっている。だがその範囲が国にまで広がったら?
悪いがそうなったらロベルトは辞表を出すつもりだ。受け付けてもらえないなら夜逃げする。
冗談じゃない。支える方にだって器と言うものがある。ロベルトの器で支えられるのは、せいぜいポネーニ領領主のフィリッチ=フォン=ルードヴィングまでだ。
「まあまあ母上、そうお怒りにならないでください。わたくしはどちらでも良いのですよ。規模は変われどやることは同じでしょうし、馬はどちらでも育てられますから」
「おお欲のないことを言うでないフィリッチよ。ザントライユの倅などにこの大国を任せられるものか。お前こそが王たるにふさわしき男である。そなたも父上に領主の地位を返還し補佐官候補になればどうじゃ」
ぼろが出るだけの大いなる逆効果ですよとロベルトは心の中で突っ込んだ。いやむしろいっそ是非そうして欲しい。
ロベルトには見当たらないがこの部屋のどこかにいるらしい王たるにふさわしい男は、今もおそらくまだ馬の名前を考えている。
「諦めてはならぬぞフィリッチ。今から巻き返す方法を考えよう」
ロベルトはそれを諦めてもらえる方法を考えたい。切実に。
それが国のため、未来のため。ロベルトのためである。
ボン
部屋の中に何かが現れた。
煙の中に、老婆が立っている。
屋根のついた木の台車、その上にもうもうと白い湯気を吹き出す何かがある。思わず唾を飲むよき香りがする。
これは……
ざあっと血の気が引いた。
何故、ここに。
何故こんな男のところに、よりによってこの目のおかしい母親と逃げ遅れた最後の支援者がいる前に
フィリッチが現れたものの正体に気付いたらしく立ち上がり、舞台役者のように腕を広げ微笑んだ。
「フーリィか! よくぞ我がもとに来た!」
ボン
老婆と荷車は消えた。
「……」
「……」
「駄目だこりゃ」
ぽろりと心の声が表に出た。
駄目だこりゃ。
多分皆そう思っていたので、皆今のは自分が言ったかなと思ったことだろう。
フーリィを見かけたら名前を呼んではいけない。正体を悟られるとそれは天に帰ってしまうから。
この国の人間ならば幼児でも知っていてできるだろうことを、今堂々とできなかったのだこの男は。
天が与えたもうたチャンスを、一瞬でなかったことにした。
王たるにふさわしい男? やはりそんな男はこの部屋の中のどこにもいない。
やらかした男フィリッチが呆然とした顔で目を見開いている。
「……私は軽率か? ロベルト」
「はい。今まで何百回もそう申し上げております。ご自覚いただけ嬉しゅうございます。本日は自覚のお誕生日ですねお誕生日おめでとうございます」
「そうか。魔法のようであったな。よし決めた馬の名前はマギーにしよう」
「よろしいかと存じます。どうでも」
「母上、そういうわけでどうぞすっぱりと諦めてください。どうやら私は王の器ではないようです」
「……そのようだな」
「よし天気もいいし遠乗りに行こう。付き合えロベルト。先日届いた鞍を持て」
「は。喜んで」
ありがとうフーリィ。国の未来は救われた。
胸の中で深々と先ほどの老婆に礼をし、ロベルトは主に付き従い上機嫌で歩き出した。




