【16】発明家の娘ロレッタ1
発明家トトハルト=ジェイソンの娘ロレッタ=マテオは困惑している。
結婚して家を出たとはいえ同じ町の中だ。どうせご飯も家のこともやっていないんだろうなと思ってパンを入れた籠を持ち実家に足を向ければ案の定、父は工房にこもりきりで何かをしている。昨日置いた皿がきれいになっているので一応食べるは食べたようだ。
ロレッタの父は発明家だ。これまでいくつか新しいものを開発してきたが、お金になるようなものは何も生み出せていない。『声を記録する道具』だの『声を大きくする道具』だの、そんなもの何に使うのだというものを必死で開発している。
もっと生活に役立つような、例えばこないだの発明大会で優勝した『葉物野菜をボタンひとつで千切りにする道具』のような、生活に役立つ、みんなが欲しいと思うようなものを作ればいいのにと思う。
大会に父は『声を遠くに届ける道具』を出品した。
『聞こえますか! 聞こえますか! トトハルト=ジェイソンです! 聞こえますか!』
『聞こえてますよトトハルトさんあなたの声が! 大きく、直にね。うるさいほどだ!』
道具に向き合う審査員が、3歩先で腰を曲げて必死に大声を上げている父をあきれた顔で見て言った。
わっはっはと会場が笑いに揺れた。
あの場面を思い出すたびにロレッタは顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。
父の作った『声を遠くに届ける道具』はほんの数歩先の道具に、ほんの小さな囁き声を届ける程度の機能しかない。まだ改良中とのことである。
もっと遠くに飛ばすのだ。もっと道具を小さくするのだと張り切っている。
娘の訪問にも気づかず、屈みこむようにして道具をいじっている父の背中をロレッタは眺めている。
髪が昔よりも白くなり、薄くなった。首の後ろにたるみのようなしわがある。全体的に小さく、縮んでいる。歳を取ったなあ、と思った。
その背中を見ているロレッタの胸に切ないような悲しみと、さらにじわりと黒いしみのようなものが広がった。
父はもしかしたら、狂い始めているのかもしれない。
元々のめりこむ人ではあった。でもこのところの発明への執着の仕方は、少し異常だと娘のロレッタすら感じる。
大会のあと、人々に笑われたことを気にするでもなくへこたれるでもなく、父は発明にますます熱を上げている。
何かにとりつかれたかのようなギラギラと光る目で、それこそ寝食を忘れる勢いで。
もうやめて、と何度言いたくなったかわからない。
でも言ったところできっと父は止まらないだろう。かといって無理やり取り上げたら、今度は生きる気力をなくして死んでしまうかもしれない。
だからロレッタは仕方なくこうしてパンを置く。
どうして最近は声に纏わるものばかり開発するのか聞いたとき父はこう答えた。
『声ってのは、その人しか出せねえ、消えちまうもんだろう。それが消えないで残ったらどんなにいいかなと思ったんだ。はじめはな』
はじめは、ということはよくわかる。そのあとは単にアイディアが湧いて火がついてしまっただけだろう。
でも、その『はじめ』。初めて父が残っていてほしいと願ったのは間違いなく、母の声だったことだろう。
発明狂いの父。新しいことばかり考えるのに夢中で、家族を後回しにしてきた父。
それでも父は、母やロレッタに対して声を荒らげたり暴力を振るったり、お酒や賭け事に溺れたり、母以外の女性に目移りしたりするようなことをしたことはない。父は母のことを愛していた。頭の中から発明を取ったら結構な大部分になる場所で、父なりに。
何をしていても思いついてしまえばすぐにその思い付きに夢中になってしまう。
ダメな人だな、と思う。でも嫌いになれない。
何度も何度もがっかりさせられて、失望させられて。それでもロレッタは父のことを嫌いになれない。
ふう、とため息をついてから、ロレッタはふと気づく。
ない。
「お父さん……」
「おう、来てたのか!」
「……ストーブはどこに行ったの」
「……」
「……」
前言撤回。
がっかりさせられるたびに嫌いそうになる。ロレッタはワナワナと震えた。
「……売ったのね。こんなに寒いのに。風邪ひくじゃないの……」
「ちょこっと材料が足らんで……着こんでれば寒くないし……」
「もっと体を大事にしてって言ってるの! もう若くないんだから!」
なんだか泣けてきた。
「食べるのも寝るのももっとちゃんとしてよ! 病気になったらどうするの!」
「そんなにガミガミ言わんでも……」
「あたしが言わなきゃ誰も言わないじゃないの! もうあたしは家にいないのよ!」
ぼろぼろと涙が出た。止まらない。
父がオロオロしている。ロレッタはめったに泣かないのだ。
「何も泣かんでも……」
「お父さんまで死んじゃったら、あたしはどうしたらいいの!」
「……」
父がしおれた。
「……すまん」
「……置いとくわ。食べて。……それじゃあ」
「トトハルト=ジェイソン様はおいでですか」
男の声が響いた。振り向けば扉のところに誰か立っている。
配達人の制服だ。50代くらいか。渋くてかっこいいのに顔が怖い。
「はいはい」
「書状です。こちらに受け取りのご署名を」
「はいはい」
「……トトハルトさんですね。発明家の」
「はいはい」
「転移紋の管理者たちが今、この町の外に来ていますよ」
「はい?」
父が呆然とした顔で配達人を見上げた。
父とは人種が違うとわかる、若いころはさぞ女性にきゃあきゃあ言われてただろう渋い顔も父を見ている。
「発明大会拝見しました。ちょうど会場に届けるものがあったので。気になって、足を止めて見てしまいました。あなたの発明に、私は夢を見ております」
声まで渋かっこいい。けして微笑んではいない、真面目な堅物の顔だ。
「雨の日も雪の日も、我々は命がけで配達のために走っております。どうぞあなたの発明品で我々から仕事を奪ってください。特に若手から。急ぎで、重要で、その分危険な仕事を。楽しみに待っております」
「……」
渋かっこいい配達人は哀愁を残して渋かっこよく去った。
渋くもかっこよくもない父が大急ぎで道具を台車に乗せようとしている。
「どこ行くのお父さん!」
「ちょっとそこまで。すまんが手紙、読んどいてくれ」
「お父さん!」
「すぐ戻る!」
さっきまでのしょんぼりはどこへやら。瞳を少年のように輝かせ頬を染めて、父は台車を引きずって消えた。
「……」
はあ、とロレッタはため息をついた。
本当にうちのお父さんはダメな人だな、と思う。ロレッタの涙は何だったのだ。
「……それにしても、いい紙だわ」
先ほど届いた紙は見たこともないほど白く、滑らかだ。
「何かしら。まさかお金持ちの人から、お父さんに援助の申し込み?」
そんなわけないわと笑いながら、ロレッタは上質な蝋で閉じられた口を開く。




