【13】セントノリスの期末試験
『うっ……うう……』
押し殺したような声が部屋から聞こえる。
『う……ぐ……えぇ……』
部屋に戻ろうとしたラントは、部屋の扉の前に座っているハリーと、その中から聞こえる声に足を止めた。
「……どうしたの?」
どこか大人びて整った横顔が、そっと唇の前に人差し指を立てた。
「……アントンが4位になった」
「……あぁ……」
そういえば本日は1年3学期の期末試験の順位発表日であった。
ラントは見に行くのを忘れていたが、そういうことなのであろう。
「……アントン泣いてる?」
「かれこれ1時間。……まとめてるんだろ荷物」
「……それでずっとハリーはここにいるんだね」
「入れないだろこんなん」
彼は茶色い髪をかき上げる。
怒ったような、困ったようなその顔に、ふっとラントは笑った。
「パルパロ分の友だね、ハリーとアントンは」
「わかんないぞ」
「いい友達ってことだよ」
「ふうん」
ハリーの横に、ラントも腰を下ろし膝を抱えた。
『……う……うう……』
「……」
「……」
苦し気な泣き声が部屋から響く。
「……風邪ひいてたねアントン」
「……それも実力のうちだ」
「早起きしすぎるんだアントンは。もっと寝なくちゃいけない」
「そうだなあ」
『うう……』
「……」
「……」
やがて隣の部屋の扉が開き、二人の前に誰かが立った。
「フェリクス」
ラントが呼ぶと、荷物を持った彼は気まずそうに眉を寄せた。
「……入っちゃまずいのか?」
今回アントン=セレンソンを抜き3位になったのは、このフェリクス=フォン=デ=アッケルマンである。部屋が変わるので彼は荷物を持ってここに来たのだ。
「まずくない。さあどうぞ。ドアってのは引っ張れば開く」
『う……ぐ……ええええ』
「……」
結局フェリクスも荷物と腰を下ろした。
「……」
「……」
「……」
やがて内から扉は開いた。
目と鼻を真っ赤にしたアントンが、荷物を持ってそこに立っている。
荷物にくくりつけた、星祭りで買った星窓のランプが揺れているのがなんとも切ない。
「……」
彼はじっとフェリクスを見上げ、やがて涙の跡にぽろりと新しい涙をこぼした。
「……」
「……僕は悪くないぞ」
「ああ、誰も悪くない。……お前も少しは隠せアントン」
「うう……」
彼も止めようとはしているのだろう。すごく変な顔だ。しかしそれでも唇は震え、フェリクスを見据える目からはぽろぽろぽろと涙が落ちる。
「……う……ぐ……枕は今干してるからねフェリクス。もう少し経ったら取り込んで。……シーツは、持ってって、いいよね」
「ああ。……自分のを持ってきた」
「そう。それじゃ。……とても寝心地のいいベッドだよ」
なめくじのようにのろのろとアントン=セレンソンは隣の部屋に進んだ。
からん、からんとランプが揺れる。
「……僕は悪くないぞ!」
フェリクスが叫ぶ。
「ああ、気にするなフェリクス。大丈夫だ。入ろう」
「そうだよ。アントンだもの」
ハリーとラントが笑う。
眉を下げ、フェリクスは閉まった2号室の扉を見つめていた。
馬鹿だった。
愚かだった。
アントンはまるまる落とした数学の大問をまた頭の中で反芻する。
ぼんやりして体に力が入らないなとは思った。
指先が熱いなと思った。テストのあとぶっ倒れた。
大問の前提条件をとらえ間違っていたぞと思ったのは、ベッドの上で目が覚めた瞬間だった。
馬鹿だった。愚かだった。
どうしてももっとたくさん勉強したくて、このところ起きる時間がどんどん早くなっていることくらいわかっていたのに。
限度というものを考えていなかった。健康な体に生まれながら、その時期に大切な試験があると知りながら自分の体の管理すらできない人間など努力以前の問題だ。そんな者がセントノリスの1号室に居られ続けるはずがなかったのだ。
ノックし、『どうぞ』の声を聞いてアントンは2号室の扉を開いた。
「……アデル」
「……」
アデルが荷物を解く手を止めて顔を上げた。
そしてアントンの顔を見て、彼はそっと目を逸らした。なんていいやつだろうとアントンは思う。
歴史にしか興味がなかったアデルは、ハリーやラント、アントン、フェリクスと交わることで他の教科への興味が大いに増したらしい。特に数学はハリーに感銘を受け、そこにある深い物語に気づいたようだった。よく二人で数式を見ながら話している姿を見てアントンはよしよしと思ったものである。
こんこん、とノックの音がした。
「どうぞ」
かちゃりと扉が開き、人好きのするいい笑顔の男が入ってきた。
「サロ=ピオラだ。よろしく」
水色の垂れた目。金のゆるやかなウェーブのかかった髪。
背はアントンより少し高いくらいだが、なんだかなんとなく大きくなりそうな雰囲気を出している。なんとなくだが。
スッと右手を出されたのでスンと鼻をすすって握手しようとしてから
きらりと何かがその手で光ったのに気づいてアントンは手を止めた。
じっと彼の手を見る。指の間になにやら細長いものが挟まれている。
「……針……?」
ちっと舌打ちの音が響いた。
アントンは呆然と彼を見上げる。
友好的な雰囲気を投げ捨て、今や彼は唇を歪め不敵に笑っている。
「アントン=セレンソン。4位おめでとう。その泣き顔、ざまあないな。いつもへらへら浮かれ騒いでるのんきなお前たちが俺は大嫌いだったよ。同じ部屋になれて嬉しい。お前からぶっ潰してやる」
「……」
整った顔を憎々しくゆがめて彼は言う。
少年らしいまっすぐな悪意がアントンに突き刺さる。
アントンは感動していた。
なんたる逸材。
胸が熱くなり、かあっと頬に血が上るのをアントンは自覚している。
「わざわざ針握手をするために指に仕込んできたんだねサロ=ピオラ! 扉の前で? まさか部屋から!? 荷物が持ちにくかったろうに僕にチクッとさせるためだけにわざわざ! なんて奴だだがまだまだ底が浅い! いやがらせっていうのはもっとうまくやるもんだ裏を出すのはもっと後にしなくちゃダメだろう! だが方向性は嫌いじゃないそれでいい! これからもっともっといやらしさとねちっこさを磨こう! よろしくサロ=ピオラ! わあ痛い!」
「なんで知ってて握るんだやめろ恥ずかしい今何言われてるんだ俺は!」
「ほら痛い! わあ痛い! 準備してよかったね! よかったねサロ=ピオラ! 僕は今痛い!」
「やめろよ! クソ! なんで俺が恥ずかしいんだ!」
「いっしょに頑張ろうもっと卑怯になろうね! すごく大切なことだもの。次で必ず僕は1号室に戻るけど、部屋が分かれても君は引き続き頑張ってくれるよね!」
「何の話だよ!」
「……」
アデルは荷物から出した本をゆったりしまう途中でうっかり読んでいる。
1号室の面々が扉を開けて覗き込んでいる。
「ほらな」
「……先ほどの僕の胸の痛みを返してほしい」
「アントンだもの」
そうしてぱたんと閉じた。
セントノリスは今日もにぎやかで楽しい。
年末の挨拶を終えたくせに投稿
ちょっとならノーカンかなと思って




