【11】ミネルヴァの星祭り1
「星祭りに誘われた!?」
マダムカサブランカの衣裳店。
ミネルヴァは頬を赤くしてこくんと頷いた。
3人が目くばせをする。
「……やるじゃねえかお真面目軍人殿」
「……急展開だわ」
「何言ってんの。一回目からもう半年は経つじゃない。頃合いだわ」
「やることがお固いというか……古風というか」
「今時いるのねそんな正攻法で来る奴。やだあたし、背中がぞくぞくするわ」
「腹出して寝てるからよ」
「出してねえぞ」
星祭り
獅子月にあるそのイベントは、この国の大切なお祭りだ。
天の星が降るように落ちる、不思議なその日
国民は出店でにぎわう広場に集まり、またはおとなしく家で、近くの公園で
大切な人とともにその星の雨を見上げる。
星祭りの夜に男性から小さな星の形をした赤いミネットの花を女性に贈り、女性がそれを髪に刺すことを了承すればそれは愛の成立を意味する。この日にカップルになった二人は幸せになると言われている。
そして同じ流れ星を見た二人が口づけを交わせば、末永くその愛は続くとも。
『一緒に星祭りに行きませんか』
それはもう、その言葉自体が、すでに愛の告白なのだ。
先日とは違う、鶏のトマト煮の美味しい店を見つけたからと誘われて食事をした昨日の帰り道、ミネルヴァはクリストフにそう誘われた。
家の前まで送ってもらって別れるときだった。ミネルヴァは自分がどんな顔をしていたのかわからない。
とりあえずこくんと頷いて、顔を上げたときのクリストフの嬉しそうな顔が頭に焼き付いている。
あんな顔
彼にあんな顔をしてもらえるような人間なのだろうか自分は。
きっとクリストフは女性にもてるだろう。背が高くて、整った顔をしていて、いつも紳士的で、それなのに親しみやすくて。
「……」
ぽとりと涙が落ちた。
ぐっと唇を噛み締めても、それは止まらない。
「うっ……」
泣くミネルヴァを皆が静かに見ている。
「胸を貸しましょうか?」
マダムカサブランカに言われ、ミネルヴァは頷いた。
大きな体に縋り付き、ミネルヴァは泣く。
「うう……」
「よしよし。いい子いい子」
マダムカサブランカの体はやわらかく、あたかかった。香水のいいにおいがする。
そっと包むように、マダムカサブランカがミネルヴァを抱きしめ、優しく背をさすってくれる。
「何がこわいの?」
「……また、ああなったら、どうしよう」
また恋をして
人を心から大好きになって
突然『お前なんかいらない』と突き放されたら
自分が誰からも愛されない存在なのだとまた思い知らされたら
その相手が、クリストフだったら
彼の手が他の女の腰を抱き、ミネルヴァを怖い顔で睨みつけたら?
人殺しのことばかり考えてる女なんかいらないと言われたら。
想像してぎゅうっと胸が痛くなった。
ぼろぼろと涙が落ちた。
「……嫌だ。きっと私今度こそ、彼を殺しちゃう」
「死んじゃうじゃないところがこの子のいいところよね」
「まったくだわ」
「うっ……うう……」
「困った子ね。……そうよね。こわいわよね。一度深く傷ついたのだもの。たくさん血が出てまだかさぶたなのだもの。こわいに決まってるわね」
よしよしと優しい手がミネルヴァを撫でてくれる。
優しい。やわらかい。あたたかい。
おかあさん、と呼びたくなった。今まで誰にも、一度もそう呼べなかった呼び名を。
もしミネルヴァにお母さんがいたら、こんなふうにしてくれたのかもしれない。
優しく抱きしめて、髪を撫でて。穏やかな声で慰めて。
いい加減泣き止まなきゃと思うのに、ミネルヴァの涙は止まらなかった。
ぼーっとミネルヴァはあたたかいお茶を飲んでいる。
赤い、甘いお茶だった。多分たっぷりとお砂糖が溶かされている。
「はいどうぞ」
「わあ」
思わずミネルヴァは声を上げた。
大きなお皿の上に色とりどりの、ありとあらゆる甘いものが置いてある。
マダムカサブランカが微笑む。
「女は砂糖で動くのよ。あたしの秘蔵のお菓子だけど可愛い常連さんに特別にちょっとだけ分けてあげる。さあお食べ」
「いただきます!」
遠慮すべきだろうがしなかった。わっしわっしとミネルヴァは菓子を食べた。最高に甘く、絶対食べ過ぎちゃいけないやつだとわかる。背徳的に美味しい。
「……」
もぐもぐ口を動かし頭に砂糖を送りながらミネルヴァは思う。
自分は恵まれていると。
先日ついにミレーネ女史とお話しすることができた。少しだけだったが。
クリストフが教えてくれたお店の一番奥の席に座っている彼女に、ミネルヴァは緊張のあまり震えながら声をかけ、敬礼し、許しを得てから着席し事情を説明した。
相槌の柔らかい人だった。噂で聞くようなこわい人なんかじゃなかった。
軍部の文官の中で、個人用の執務室を与えられているただ一人の女性だ。かつてはミネルヴァと同じ戦略室に務め、実際に戦争で使われた数々の戦略を編み出したすごい人だ。
『その状況にありながら憎しみを燃やすのではなく、自らを変えたいと願うその心の有り様を称賛します』
静かに、優しい目で彼女は言った。
『昼休みではなくゆっくりお話がしたいわ。しばらく出張があるので、帰ってきたらあなたを夕食にお誘いしてもいいかしら』
ミネルヴァは赤くなって一生懸命頷いた。
時間だからと去ってしまった彼女の背中を見送り美味しいシチューとパンを食べた。いつもの3倍かかった昼飯代を払おうとしたらミネルヴァの分まで支払われていた。
まだお礼も言えていない。
お帰りになるのはいつだろう。ミネルヴァは楽しみで仕方がない。
目標となる人がいる。
困っていれば話を聞いてくれる人がいて、泣いていれば見守り慰めてくれる人たちがいる。
会えると嬉しい、食事をしていて楽しい、裏切られたら心底殺したいと思う人があんな顔で星祭りに誘ってくれる。
「……馬鹿みたい」
ふふっとミネルヴァは笑った。
一体どこにこれ以上の幸せがあるのだろう。
戦争に行くのではない。誰かを行かせるのでもない。誰にも結果を予想できないその先に何があったとしても傷つくのがミネルヴァだけならば、何かあったらまた泣けばいいだけのことだ。たくさん食べて、またたくさん頑張ればいいだけだ。
臆病を盾にする愚かな撤退など、戦術家ミネルヴァ=アンベールは自分に許さない。
「……マダムカサブランカ、素敵な服が欲しいです」
「あら、どんなのかしら」
にっこりとミネルヴァは笑う。
「ミネットの花が映える服」
おおっしゃ!と野太い声が上がった。
店の中が活気づき、どたどたと音が響き渡る。




