3皿目 刀鍛冶ゴットホルト
じっと春子はお狐さんを睨んでいる。
一昨日に続き昨日も、また変な場所に飛ばされた。
ギャアギャア騒ぐ変な格好をしたガキどもが、『よっしゃ再挑戦するぞ!』と楽しそうに洞窟の奥に消えたと思ったらやっぱりまたここに戻っており、奴らが飲み食いした額にちょうどいい金が、ざるに乗っていた。
がんもどきの乗った皿を置いて、スッと春子は合掌した。
手を叩けば変なところに行くのだから、やらなければいいじゃないかと言われるかもしれない。
だがしかし
春子は生粋の負けず嫌いなのである。
目を閉じ柏手を二度打った。
目を開けるとそこは、天井の高い工房のような場所だった。
頭上で大きな扇風機のようなものが回っている。
ちっ、と春子は大きく舌打ちをした。
「どなたかね」
「うるせえなおでん屋だよ」
響いた声に即返した。
見れば皮の服を身に着けた、狸に似た中年の男がいた。
「はあ、これは、また」
はふはふと男が口から白い湯気を出す。
「酒はどうする。熱いのか冷たいのか」
「これはどう考えたって熱いのでしょう。こんなの絶対に合うに決まってる」
はふ、はふとはんぺんを嚙みながら
うう、とやや太り気味の男が噛み締めるように目を細くした。
「ああ……ああ、うまい」
「そうかい」
今日も春子はおでんしか売らない。
とっとっとっとっとと銚子に一升瓶を傾けて酒を入れて
くつくつと煮えるだし汁とは区切った湯の中に沈めた。
「熱燗か、ぬる燗か。……すごく熱いのとちょっとぬるいのどっちがいい」
「熱いのにしてください。だんだんぬるむのもなんとなく切なくって味気ない味がある」
「へえ」
目の前の狸のような親父を春子はじっと見た。
にやりと笑う。
「なかなかわかってるじゃねえか」
お任せと言われて豆腐、大根、たまごを乗せて汁をかけ、からしをたっぷり。
皿を受け取り、しばし狸親父は静かにそれと酒を口に運んだ。
頭の上で扇風機が回っている。
「……私は刀鍛冶なんですよ、おかみさん」
「へえ」
熱燗を一合半ほど開けた狸親父が、頬を赤く染めてタコを食っている。
体が温まり腹が満ちると、なぜか人は語る。
「ほんの数年前にね、やたらといいやつが、なんの偶然か打てちまったんです。それまでただの無名の貧乏工房だったのに、いきなり『先生、先生』と呼ばれるようになって」
「ふうん」
おでんしか売らないが、相槌ぐらいは打つ。
「弟子が増えてね、皆が『先生、先生』と私を呼んで。楽しかったですよ、嬉しかったですよ最初はね。でも何年たっても褒められるのはあの偶然に打てたあの一作だけなんだ。打っても打っても、褒められるのは昔のあれだけ。あれ以来打つのはあれの模倣みたいなものばかり。それでそれを『ゴットホルト流だ』と喜ばれるんだからおかしなもんだ」
ぱかっと割られたじゃがいもがほかほかと皿の上で湯気を出す。
じっと見つめ狸親父は口に運ぶ。あふっと口から白い湯気を吐いた。
汁を飲んでふうと息を吐く。
「……もう最近は怖くって。ほかの新作を打つのが。偉そうにあれこれ言いながら弟子を育てて、あの一作の名人だと褒めたたえられながら、どうして打てましょうか。作風を変えた次の一作打って、身の周りにいる皆に、『悪くなった。なんという愚作。ゴットホルトは終わったな』と、冷たい目をされて去っていかれたら、いったいどうしたらいいのかと、そう思うと手が震え、もはや新しいものが打てません」
くいと猪口を傾け酒を飲み、ぎゅっと目を瞑った。
目じりを涙が伝って落ちる。
「何も考えず心から打てていたあの日々が懐かしい! 富と名声を得て肥え太ったこの身が厭わしい! あんなもの打つべきではなかった! 発表すべきではなかった! かつて自分で打ったものに私は縛られ、もう動けない。私は私に、自分自身で呪いをかけてしまったのだ!」
「へえ」
男は泣いている。
春子は特に、慰めなかった。
勝手に男は落ち着いた。
「おかみさん」
「はい」
「私は愚かだろうか」
「そんなもんだろうよ」
あっさりと春子は言った。
ぱちくりと目を瞬き狸親父は春子を見ている。
「え?」
「あ?」
春子は汁をかきまぜた。
「成功した人間なんてそんなもんだろう。周りだってわかってるだろうよ。それで食っていけるなら運がいい。そのまま食えばいい」
「……」
まだじっと見てくるので仕方なく続けた。
「それでそのまま死ねばいいじゃねえか。『名作を1つ作った大先生』で。有名になってない同業さんからは十分羨ましいことだろうよ。ただねえ」
「……」
「『だんだんぬるむのもなんとなく切なくって味気ない味がある』、てめえが言ったんだろう。一番いいときよりぬるくなったんならぬるくなったんで、その味はそれで味だろう。形にして残した方がいいに決まってる。どうせいずれは人なんか残して自分はいなくなるんだ。消えればみんなが忘れるよ。骨以外をこの世に形にして残せる腕があるなら、残した方がいいだろうにもったいねえなあ」
狸親父は手の中の猪口をぎゅっと握った。
「……墓に一本、名作の名前を刻み」
その丸い手が震えている。
「刀鍛冶ゴットホルトは消えゆくか。たった一本の名刀の名を刻み」
男が血走った眼を見開いた。
残った酒をぎゅっと飲み干して、ダンと置く。
「……勘定を」
「別からいただくんで、結構ですよ」
「そうですか」
男はポケットから出した布を額にきゅっと巻いた。
「……体が熱い。右手が熱い。熱い鉄を打ちたくて震える。ありがとうおかみさん。本当はずっと、打ちたくて打ちたくて打ちたくて仕方がなかったことを思い出しましたよ」
「そうかい」
壁に掛けてあったでかいハンマーを男は背負った。
すう~っと息を吸う。
「ゴッ~トホルトが行くぞ! トン・チン・カンと行くぞ! 炎の戦士、ゴッ~トホルトが行・く・ぞ!」
腹の底から男は高らかに歌う。
どこも酔っぱらいはうるせえなあと春子は思いながらおでんに蓋をした。
顔を上げれば、やっぱりいつもの、お狐さんの前だった。
ギッとその涼しい顔を春子は睨みつける。
やっぱり何も言わないので、春子は屋台を引きずって、今日も仕事に向かった。