【5】セントノリスの新入生たち2
アステール首都グランセントノリア
女王のおわします石畳の街を、頬を染めて上を見上げ、二人の少年が歩く。
「……」
「……」
口を開けて声もない。
お上りさん丸出しの姿を隠すこともない、セントノリス中級学校の深緑色の制服に指定の茶の外套を纏った少年達を、街の人々は遠巻きに微笑ましそうに見ている。
「……ついに来たね」
「……ホントに遠かったなあ」
馬車には荷物だけ先に寮に届けてもらうようにお願いして、街への第一歩は足で踏みしめた。
頬を真っ赤に染め、はあ、とアントンは白い息を吐く。
「空気まで違うよハリー」
「そうか? トイスのほうが空気はうまいと思うけど」
「気持ちの問題だよ」
「へー」
店先に並ぶ彩り豊かな数々のものたちを、少年たちは頬を染めて見る。
「こんなに物があったらいくらお金があっても足りないね」
「俺の手持ちじゃハンカチ一枚も買えない気がする」
「夢を貯めておこうよハリー。いつかこれを買ってやるって思えば見ているだけでも楽しいよ」
「そんなもんかなあ」
ああでもないこうでもないと話しながら、二人はセントノリスに向かった。
広い寮の一階、一番南の部屋が1-1号室だった。
容赦なく成績順で割り振られる部屋は、1-1号室から5号室までは同じ作りらしい。
3年の1号室になるととんでもなく豪華な部屋になるというが、嘘か誠かは入ったものにしかわからない。
思ったより狭くない部屋には左に二段ベッドが一つ、右に普通のベッドが一つ。
間間に机が三つ。真ん中にテーブルが一つ。
ちり一つなくきれいに整えられ、新入生を待っていた。
「もう一人が来たらベッドと机をどれにするか決めよう。今のうちは適当に使おうね」
「おう」
それぞれの荷物を置きながら、アントンは感慨深く部屋を見つめた。
「本当に来たんだ」
ずっと学校紹介を撫で続けたその場所に
アントンは今日、入ったのだ。一員として。
「もう一人はいつ来るんだろうな」
「さていつだろう。入学式まではまだ時間があるからね。僕たちはかなり早い方だよ。だっていろいろやることがある。僕は図書館に入り浸って書を写す。セントノリス伝統の素晴らしい仕事だよ」
「仕事していいのか!?」
びっくりした顔のハリーに、あれまだ言っていなかったっけとアントンは思った。
うん、言ってなかった。
「学業が疎かにならない程度の仕事は認められてる。でも僕たちはまだ子供だから、外で働こうにも賃金は安い。そこで書の写しだハリー。専門書は高価だから、写しもかなりの高額で買い取ってもらえる。著者がそれを認めた本に限り図書館から持ち出さず写しをとることは禁じられていない。知は秘めるべきではなく共有すべき財産だとセントノリスは認めているんだ。希少な本を正確に美しく、できるならば注釈をつけて、写して貸本屋に売るんだ。勉強にもなって一石二鳥。君もやる?」
「やる。金は自分で稼がないと」
「金持ちには貧乏人めと馬鹿にされて笑われるよ」
「いいよ。俺が貧乏なのは紛れもない事実だ。隠すほうが馬鹿馬鹿しい」
「気持ちのいい男だね、君は」
アントンが笑ったところで
こんこん、と扉がノックされた。
「どうぞ」
アントンが答えると、かちゃりと開く。
童話に出てくる妖精のような子だなとアントンは思った。
ふわふわくるくるの薄茶色の髪に、琥珀色の瞳。
背はおそらくアントンと同じくらいか、もしかしたらもう少し低いか。
白い肌は頬っぺただけ赤い。
緊張しているようなのに目は好奇心で輝き、きらきらと二人の少年を見つめている。
「1-1号室に入室する、ラント=ブリオートです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、顔を上げ、またきらきらと二人を見つめる。
発音にほんの少しだけ不思議な訛りがあった。
「ハリー=ジョイスです。……敬語でなくてもいいか? ラント。同級生だし」
さすがハリー。失礼でも押しつけがましくもなく、実に友好的である。
ハリーの言葉にぱあとラント=ブリオート君の顔が明るくなる。
「うん、いいよ」
にこにこ笑うとさらに眩しい。
ラント=ブリオート、なんたる逸材、とアントンは感動していた。
かっこいいハリー=ジョイスに可愛らしいラント=ブリオート。そしてそれぞれ首席と二位の秀才。
いい。素晴らしい。実にいい。
逸材である。女王の駒の。
「……アントン=セレンソンです。これからよろしく」
心の乱れをなるべく表に出さないよう努めながらアントンはあいさつした。そんなアントンをハリーが横目で見ている。多分何を思っているか彼にはばれている。
「よろしく」
にこにこ笑う。
うん、実にいい。
「じゃあ配置を決めちゃおう。ベッドどこにする?」
「僕、上でもいい? こんなの初めて見た」
ラントが嬉しそうに言う。
「いいよ」
「じゃあ俺これでもいいか? 一個のやつ」
「いいよ。じゃあ僕はラントの下だ。机はそれぞれ近いのを使おうか」
「おう」
「うん」
もめることもなくあっさり配置が決まった。
「あとで食堂に行こう。三食付きって嬉しいね」
「タダだしな」
「学費に含まれているんだよ」
「そうなんだ! 楽しみだなあ」
それぞれの荷物をクローゼットに押し込んで、それぞれ本を机に並べて、なんとなくベッドに寝転んでみたりしてまったり過ごしているところに
こんこん、とまたノックの音がした。
「どうぞ」
わずかな沈黙のあと、かちゃりと扉が開いた。
私服。高価そうな生地の立て襟のシャツにタイを締め、金の髪を神経質なほどきれいに後ろに撫でつけた、ハリーと同じくらいの背の少年だった。
これまた神経質そうな目が、ギラギラと憎しみを宿して1号室を飢えたように睨みつけている。
「2号室のフェリクス=フォン=デ=アッケルマンだ」
「なんて?」
『貴族だよハリー。敬語敬語』
アントンは囁いた。
そして如才なく微笑み一歩前に出る。
「アントン=セレンソンと申します。フェリクス=フォン=デ=アッケルマン様。このたびはこの伝統ある学舎セントノリスにて同級となれましたこと、誠に光栄でございます」
「……学園の門をくぐれば王以外同位。へりくだった態度はやめてもらえるか」
へえ、なかなか話の分かる貴族じゃないかとアントンは感心した。
まあ口に出すほどすんなりとは心は思っていないのだろう。むき出しの額がぴくぴくと痙攣している。
気持ちはわかるよフェリクス=フォン=デ=アッケルマン君とアントンは心の中で深くうなずいた。ここに入った者は一部の天才を除き皆、これまで様々なものを犠牲にして必死で勉強してきた者たちだ。誰だって、誰にも負けたくないと思っているに決まっている。
成績順に部屋を振り分けるこのやり方は、本当に残酷だなとアントンは思う。どの部屋に暮らしているかで、学年での地位が一目瞭然なのだから。
フェリクス=フォン=デ=アッケルマン君は自分こそ1号室に入ると信じて疑わなかったのだろう。気になって気になって、隣から聞こえる声にわざわざ高貴なおみ足を運んでしまうほどに執着していたのだ。いやひょっとしたら挨拶に来るかもしれないと待っていたかもしれない。そうだとしたら随分可哀想なことをしてしまった。
貴族のみに門戸を開く別の学園に進まなかったのは何か訳があってのことか、あるいは家の誰かがセントノリスの出身か。
自分を1号室から追い出すとしたらこの男だろうとアントンは思った。執着は、良い方に動けば人を成長させる。セントノリスに執着したアントンのように。
「では親しみを込めてフェリクスと呼ばせてもらう。ちなみにフェリクス、失礼な質問で恐縮だけど数学は何点だった? ぼくはカルヴァスバルカンをまるまる落として、あとほかでポカを一回やらかして188点だ」
「……189点だ。カルヴァスバルカンは部分点だった」
アントンは目を見開いた。
こいつ、できる男だと。
一気に頬に熱が上がるのをアントンは自覚している。
「素晴らしいね! 相当勉強してきたんだろう? 貴族ならばほかの道からでも入れただろうに!」
「失礼なことを言うなアントン=セレンソンとやら! アッケルマンは汚い手を使う家ではない! 常に正々堂々、戦場で雄々しく戦い名を上げた先祖が築いた家名であるぞ!」
「その言い方! 素晴らしい! 実に素晴らしい! もっと君と語り合いたい! 2号室はもう誰か入ったかい?」
「……まだだ。……僕としたことが浮かれて、つい早く来てしまった」
乱れてもいない髪をかき上げ照れくさそうに言うその顔にアントンは悶絶した。
ここにも逸材がいた。ギャップというのは実に素晴らしい。
まなじりが吊り上がり三白眼に近しく神経質そうな顔立ちだが、寝不足らしい隈と眉間の険を消せばまあ涼し気とも言えなくはない気高さがある。
ベッドはどこを使ってるんだろうなとアントンは思った。
これで一人でウキウキ二段ベッドの上を使っていたらもう逸材すぎて涙が出る。
平民が要職につく機会が増えたとはいえまだまだ身分制度が消えていない昨今。
貴族とのつながりはあるに越したことはない。
「ハリー、ラント、夕食に彼を招いてもいいだろうか」
「何が招くだ。食堂だろう。横で食うだけだ」
「うんいいよ。たくさんのほうが楽しいもの」
「夕食一緒に行こうフェリクス! ちなみにベッドはどこを使ってる?」
「そこまで言うなら行ってやらないこともない。二段ベッドの上だが」
「っかー!」
アントンは額を押さえて悶絶した。
ラントがにこにこし、ハリーがやれやれという顔で本をめくっている。
こうしてセントノリスの楽しい学園生活は始まろうとしている。




