2皿目 若き冒険者たち
「クソッ!」
剣士ルノー=クルージュは叫んだ。
パララリス活火山6階層
ここのボスであるファイヤードラゴン討伐のためダンジョンに潜ったルノーは、倒れた僧侶ジーザスの体を支えながら道を引き返している。
「クリフ! 毒消しとポーションの残りは?」
「毒消しはもうない。普通のポーションが3本だけだ。あんなに持ってきたのに!」
アイテム師のクリフが割れた眼鏡のまま言った。
彼の背負う箱には倉庫の機能があり、一部屋分ほどの荷物を、劣化させずに運ぶことができる。
「ちくしょう!」
格闘家のバートが焼け焦げた髪のまま悔しそうに叫んだ。
皆満身創痍。倒しきれず、命からがら、ようやく逃げ切った。
「地上に戻るしかない……でも転移紋のある場所は2階層下だ。……毒を受けた奴、手上げろ」
魔法使いのロミオ、格闘家バートが手を挙げた。二人とも顔色が悪い。
「残りのポーションをジーザスに使ってもいいだろうか。こいつも毒を受けてる。このままじゃ……」
「……大丈夫だルノー、それはみんなの分として取っておいてくれ。もう魔力が残ってない。回復魔法を使えない僧侶なんかただのお荷物だ……」
ゼイゼイと喘ぎながら僧侶ジーザスが言う。いつも白い顔が、今は青いほどになって死相を浮かべている。ルノーは歯を食い縛る。堪えようと思っているのに視界がぼやける。
「そんなことを言わないでくれ! 仲間じゃないか!」
「……あの日ギルドで出会ったときに決めたんだ。呪われた白歌の民の僧侶なんかを、快くパーティーに入れてくれた君たちに、何があっても尽くすと。君たちのお荷物になんかなりたくない。今まで楽しかった。君たちといることで、生まれて初めて、生きててよかったと思いながら生きていた。置いて行ってくれルノー。十分だ。僕は短くても、十分に生きた。ここでおしまいでいい」
「ジーザス!」
涙ながらにそんなやり取りをしているパーティの横に
突然ボンっと何かが現れた。
敵かと思った格闘家バード、魔法使いのロミオがルノー、ジーザスを守るように間に立つ。
もうもうと湯気が立つ
それは
「あ?」
しわしわの魔法使いのようなお婆さんが、不機嫌そうな声を上げた。
冒険者たちははっふはっふと息を吐きながら、『オデン』を食べている。
老女が差し出した温かそうなそれを、ごくんと唾を垂らしながらみんなで見つめ、なにがなんだかわからないけどどうせこのままなら死ぬのだからと口に運んだ。
ルノーはダイコン、ヤキドーフ、コンニャックを
魔法使いロミオはチクワ、ガンモドキ、イト・コンニャックを
格闘家バードはダイコン、ゴ・ボーテン、ソーセージ
アイテム師クリフはコンブ、じゃがいも、アツアゲを
はっふはっふと、自分が何を食べているかわからないまま汗をかきながら食べている。
寝転がって出された水だけ飲んだジーザスの顔色が、さっきよりもいい。
「ばあさん酒もくれ!」
「あ?」
叫んだバードを婆さんはぎろりと睨みつけた。
「……お酒をくださいご婦人」
「成人だろうな小僧?」
「はい」
「熱いのと冷たいのどっちにする」
「冷たいので」
「酒なんか飲むなよバード!」
「いいじゃねぇか景気づけだ。ところでルノー、毒治ってねぇ?」
「……あれ?」
ルノーは言われて自分の体の状態に気が付いた。
体全体にあった重みがなくなり、極限状態だった体力が、戻っている気がする。
歩くのさえしんどかった足が痛くない。体をぽかぽかと血がめぐり、指の先まであたたかい。
高級ポーションを飲んだわけでもないのに、いったいどうしたわけだろう。
皆も不思議そうに戸惑った表情で己の手のひらを見ている。
そしてはっと皆空になった皿を見た。
残った汁から、まだほかほかと柔らかな湯気が上がっている。
「……フーリィの祝杯……」
この国を作ったのは大きな白い狐だという伝説がある。
どこか天よりも高い世界から舞い降りた神の使いであるというその狐、フーリィは、不毛の大地に水を、風を、光を火を与え声高らかに鳴いて、また主人である神のもとに舞い戻ったのだと。
だから狐は神聖化され、街のあちこちに、その姿を象った石像が立っている。
神の姿の像を作ることを神はお許しにならないので、その使いである狐を信仰の対象としているのだ。
そのフーリィはときどき気まぐれに地上に現れて、人が愚かな行動をしていないか、善き行いを為しているかをじっとその金色の瞳で見ているのだという。
善い行いをしたものにはこれもまた戯れに、不思議な力のある食事『フーリィの祝杯』を与えて去っていくのだと。
フーリィを見かけたら名前を呼んではいけない。正体を悟られるとそれは天に帰ってしまうから。
フーリィの祝杯をいただいたらそれを人に話してはいけない。フーリィは見せびらかす人の愚かさを嫌うから。
その杯を得る幸運なものは過度の敬いをせず、ただ自然に、どこまでも素直に、その幸運をただ受け入れればよろしい。
「……フーリィは婆さんだったのか……」
「そういう姿をとっているだけだろう。失礼なこと言うな」
フーリィに聞こえないよう、こそこそと会話をする。
「ジーザス! 口を開けろこれはいただいたほうがいいものだ。すいません、俺がいただいたものと同じものを頂戴できますでしょうか」
「はいよ」
不思議な長い棒を器用に二本使い、お婆さんの姿のフーリィが湯気の出るそれらを皿に盛る。
よく見ればこの皿の文様も、不思議なものだった。
バードが飲んでいる酒の硝子杯にも、繊細な、馬のような、ユニコーンのような文様と知らない文字が刻まれている。
これはこの世のものではない、とルノーは確信し、聖杯を捧げ持つ気持ちでジーザスに運んだ。
ルノーはプルプル震えるコンニャックなるものを持ち上げた。
弾力があり、少し不思議な風味があって、表面に入れられた切れ目の感触が楽しく舌を押し返した。
祈るようにルノーはそれをジーザスの口に運ぶ。
「ジーザス、口を開けてくれ。食ってくれ頼む」
「あち!」
「ごめん」
薄く開いたジーザスの口にそれを運べば、彼は必死に口を開け、それを咀嚼した。
「……」
「……口に力が入らない……これ結構弾力がある」
「がんばって飲み込め」
「うっぷ」
「絶対吐くなよもったいない! 早く飲め!」
ジーザスの喉がゴクンと動き、はあ、と息を吐いた。
白かった顔色が徐々に血の気の通うものに変わっていく。
「……どうだジーザス」
「……」
彼は目を開け、手のひらを掲げぎゅっと握り、開いたり閉じたりした。
やがてつう、と彼の頬を涙が伝う。
「……僕のような者にまで……ああ、感謝いたします」
彼は泣きながら微笑み身を起こした。
わあっとパーティは揺れた。
「みんなも飲もうぜ。この酒めっちゃうまい」
「死にかけたばっかで……まあいいか、今日は奇跡に会ったお祝いの日だから」
「冷たいのください」
「僕も」
「はいよ」
騒ぎの中も淡々とお代わりを重ねていた魔法使いロミオも、それに加わる。
「奇跡に」
「「「奇跡に!」」」
杯をぶつけて
皆それを口に運んだ。
「はあ……」
実に濃い酒だ。水と同じくらい透明で澄んでいるのになんともいえない膨らみがあり、余韻を残して喉を通り抜けていく。
背筋が痺れる。これは自分たちには少しだけ早い、大人の酒だと彼らは悟る。だがうまい。
味わうために閉じていた目を開けば、目の前でくつくつ、と踊る見知らぬ、だが美味そうなものたち。
「よし、これも全種類食おう」
「そうしよう」
「全部盛ってください」
「ダメだ。一回一皿3種まで。おでんは熱いが馳走だ。食ってからおかわりしな」
ぴしりとフーリィに言われて皆黙った。
「……そういやちゃんと味わってなかった」
「うん、必死だったもんね」
目の前でくつくつと煮えるおいしそうなものを、皆じっと見た。
「いい匂いだな」
「うん、初めてなはずなのになんだかホッとする」
そう言い合う彼女にとっては孫ほどだろう冒険者たちを、彼女は先よりも優しい目で見ているような気がした。
そしてやがて
「「「「っあ゛~~~!」」」」
おっさんくさい声を上げる一同を、わかってるじゃないか小僧ども、という目が見ている気がした。