13皿目 軍部訓練所の若き軍人たち2
4人そろって敬礼をした。
春子は蓋をする。
屋台は消える。
クリストフが腕を掲げ皆に指示を出す。
「ガッド、マルティン窓を全開にしてくれ! レオナール対応頼む! 今の声はフレモンド先輩か……クソッ……何か見つけるまで絶対帰らないぞあの人は」
夜中の突然の先輩の訪問
間違いなく後輩をつるし上げるための抜き打ち検査である。
持込禁止物を持ち込んではいないか、夜中出歩いていないか、飲酒をしてはいないか、まさかまさか女など連れ込んではいないか
4人は軍部に所属する若手軍人である。入隊4年目で受ける、一月にわたる長き長き訓練生活の嵐のような夜中の訪問は、だいたい何かしらの成果を上げて去っていく。
本日は実にまずい。皆酒を飲んでポッカポカである。
「全員上半身裸になれ! マルティン、ガッド秘蔵の卑猥な禁制本を、君が一番見つからないと思う場所にすぐに隠すんだ!」
「了解!」
ガッドが目を見開く。
「なんでお前ら場所知ってんだよすぐ見つかるじゃねぇか!」
クリストフが体をガッドに向け、真剣な瞳で彼を見つめる。
「ガッド=ホフマン一等兵。これは我ら未来のために必要な犠牲である」
「……必要な犠牲」
「あの鬼のような検閲を乗り越えてまで持ち込んだお気に入りの禁制本だ。辛いだろう、苦しいだろう。どうか堪えてくれ。飲酒であれば何かしらの処分はあるが、禁制本であれば先輩方を楽しませるだけでありむしろよくぞ持ち込んだと裏で褒めたたえられながら揉み消される。どうか堪えてくれガッド。娑婆に戻ったら俺が3冊好きなのを買ってやる。我々のために散ったかの尊い姿を、我々は絶対に忘れない!」
「……くっ……」
ポロリとガッドの頬を涙が伝った。
ガッドもクリストフも顔が赤い。
なんてことない。度数の高い酒の一気飲みで、酔っているのである。
「隠したよ!」
「よし皆上半身裸だな!? 顔が赤いのは乾布摩擦で押し通す!」
「「「おう!」」」
「レオナール通せ!」
「わかった」
やがてキイ、と扉が開いた。
「ずいぶん待たせてくれるではないか4班。何か見られて困ることでもあったか?」
「はっ。皆で夜間の乾布摩擦をしておりましたためお声に気づくのが遅れました。誠に申し訳ございません」
「ほう、それは感心。……ん?」
フレモンドの蛇のような目が、部屋の片隅でふと止まる。
「シーツがここだけ、ずいぶんと不自然に曲がっているものだ。どれ」
歩み寄りめくりあげ
そこに現れたものを認め、彼は心底嬉しそうににやーっと笑った。
「これはまったくもってけしからん。風紀に反する。当然ながら没収する」
「くっ」
ガッドが辛そうに眉を寄せ拳を握りしめた。
「では訓練の続きに戻るがいい。失礼する」
あっさりとフレモンドは去っていった。
乾布摩擦など信じていないだろう。ただ持ち帰る手柄は一つでいい。酒を咎めて罰を与えたところで彼らは何も得ないが、禁制品であればそれを持ち帰られる。
要は後輩がなんらかのダメージを受け、先輩方の名目が立ち先輩方に利があればよろしいのである。
「窓閉めよう寒い!」
「おう」
「俺の本……」
ばたばたと窓を閉じ上を着て、はあ、と中央にある椅子に座り込んだ。
一年目のときの部屋はベッドだけでぎゅうぎゅうの狭い部屋だったが、今年はそれに比べればずいぶん広い部屋になった。
「……くっ……」
「くくく……」
赤い顔を見合わせ、やがて笑いが起こった。
必死でこらえながら、苦し気に皆笑う。
妙に愉快だった。
「……夢みたいだったな」
「うん、おいしかった」
「あるんだなあ、こんなこと」
はあ、とマルティンがため息をついた。
「もっと食べたかったなあ」
「俺も」
「僕もだ」
それぞれ好きなものを頭に思い描く。
静かになった部屋で、やがてクリストフが静かに問う。
「……今日の戦術訓練、どう思った?」
「うん、相変わらず『9掛け』は9掛けだったね。でもやっぱり一番冴えてた。非難するやつも多いけど、僕はあれがダントツで現実的で、効果的な策と思う」
戦術訓練。
戦略部の若手の文官が、皆同じ条件のなか敵を打ち破る策をそれぞれ考え
そこから出された優良3案を、ああでもないこうでもないと現場の軍人が論じ合い、最も優れた案と思うもの、また改良してほしい点へのコメントをつけて返す訓練だ。
一年目の訓練はさすがに体を動かすものだけだったが、四年目ともなるとそういった頭を使うものも増えてくる。いずれは小隊、ひいてはより大きな隊の隊長となるべき若手軍人を育てる場所だから、作戦の全体を考えられるようにという考えであろう。
戦術発案者の名前は記載されていない。だが『9掛け』はなぜかいつも、他の案よりも兵士の数がそもそも1割ほど少なく、にもかかわらず意外性のある、所々なるほどなあと頷ける、そして最終的には大変好き嫌いの別れる、不思議な戦略を出してくる。
「俺は嫌いだね。細かくてまどろっこしいし、守りに寄りすぎる。もっとガーンと行きたい」
「君はそうだろうねガッド。でもあれは『なるべく死なないこと』を目標に練られてる」
「そればっかりじゃダメだろって話だよ。だいたいなんで9掛けなんだよ。いつも気持ち悪りぃんだよ」
「別紙の付属書があるのだと思う」
「え?」
発言したクリストフを皆が見つめる。
「一割は多分、別の。……保護と誘導に当たっているんじゃないだろうか。民間人の」
ぽかんとガッドが口を開けた。
「……戦術論なのに?」
「だからこそ。必要だろう、実際」
レオナールが眼鏡を上げて眉間を押した。
「……それはあまりにも情緒的ではないかい?」
「ああ。ちょっと我流に寄りすぎているとは思う。ガッドみたいに感じる奴は多いと思うし、こだわりが強すぎて軋轢も大きいはずだ。ただそれでも買っている人間もいるからこうして俺たちのところまでくるんだ。文官だって一枚岩ではないんだろう」
「そもそも俺は民間人だって、戦える奴は戦うべきだと思うぜ。住んでる場所のピンチなんだ。女子供はともかく、男は残って戦えよ」
「最後の手段だガッド。まずは俺たちが戦うべきだ。戦うために訓練を受け、給料を得ている。死ねば補償金も出る。民間人はそのいずれももらえない。大黒柱を失えば残された家族は途方に暮れるしかないんだ。9掛けは近しい人を戦争で失ったんじゃないかな。でもあまりにも失うことを恐れ過ぎている気がする。もう少しなんとか上手く、万人受けする形にできる気もするんだもったいない」
「……なんか納得いかねぇなあ……」
うーんとガッドが唸った。
「ところで俺は『9掛け』は、女だと思うんだ。なんかあれは女の匂いがする」
へら、と突然ガッドの顔が緩んだ。
「ガッド……」
「禁制本がなくなったから戦術書にまで女を見出すか……気の毒な」
「……」
クリストフは黙っている。
「いいや俺の勘が言ってる。女だ。ほら、戦略室に女の子いるだろ? ちょっとキツそうで、意外と胸のでかい」
「ああ、あの柳腰の」
「なんか言い方古くてエロいなレオナール! ショートで軍服なのがなんかいいんだよなあ……あ~あ男いるかなぁ、いるだろうなぁ」
「……」
あれ? とレオナールとガッドはクリストフを見る。
物静かだが和を守るから、猥談に参加しない男ではないはずだ。
「どうしたクリストフ」
「……その子なら知ってる。入軍後地獄の研修が始まる前最初のオリエンテーリングで一緒の組だった。最初5人一組で関係施設を1日回っただろう?」
「あったなあ。野郎ばっかだったよ。いいなあ」
あっさりと言ったガッドに、レオナールがしっ! と指を立てる。
クリストフが頭を抱える。
「……男な。いるよ。前市場で、同じオリエンテーリングのメンバーだった文官の男……確かグンナーなんちゃらだ。そいつと一緒に食材の入った籠を持ってトマトを選んでいた。手をつないで。……笑ってて、私服、可愛かった……」
「……」
「俺も鶏のトマト煮好きなのに……」
「おいそのまま肉屋までついて行きやがったぞ! 馬鹿だ! 馬っ鹿だこいつ!」
「クリストフお前……もてるくせに……そんな」
「俺はいつも好きな子にだけもてないんだ! ああクッソ初動を間違った! ガンガン行くべきだったんだ! なんかちょっと一歩引いてるから、いきなり行ったら嫌われると思ってたら西に転勤になって、帰ったらあのざまだ! ちきしょう!」
クリストフが長い手足をよじる。
かっこ悪い
実にかっこ悪い。
「あはははははかっこ悪りぃ! クリストフがかっこ悪りぃ! あのクリストフが!」
「ミレーネ女史の秘蔵の甥っ子クリストフが! 涼しい顔でなんでもこなす羨ましい男が! いや! 実にいいぞ人間らしい! とても好感が持てるぞクリストフ! 僕は君を好きになった!」
顔を赤くし涙を溜め腹を抱えてガッドとレオナールがげらげら笑う。
皆、大変気持ちよく酔っている。
ひとしきり笑い終えたレオナールが眼鏡を上げて涙をぬぐう。
「はーあ……酒がないのが辛いな。まあ落ち込むなクリストフ。女性は星の数ほどいる。大丈夫、悔しいが君はもてる」
「訓練終わったら休みだ。またパーッと行こうぜ。こないだ行ったとこ、よかったなあ」
「うん、よかった」
「え?」
頬を染めて言ったマルティンをレオナールが振り返り、続いてガッドをまじまじと見る。
「何の話だ。僕は誘われてないぞ」
「……いやお前、そういうの嫌いかなと思って」
「嫌いな男がいるものか! 誘え! 次から必ず誘え!」
「はいはい」
「鶏のトマト煮……」
「ぶはっ」
「まだ言ってる!」
「はあ……」
なんとなく、しん、となった。
先ほど部屋に入れた冷気が、冷たく漂っている。
レオナールがクイと眼鏡を上げる。
「さて、そろそろ寝なくては。今日は実に印象深い、馬鹿な夜だった」
「ああ、本当に」
「起きれば地獄か」
「早く馬術の訓練にならないかな」
「マルティン馬得意なのか」
「……マルティンのは得意なんてもんじゃない。馬も人も性格まで変わる。楽しみにしておいた方がいい」
「げえ」
ランプの明かりが消えた。
部屋が静まる。
それぞれのベッドで青年たちは思った。
自分たちはいつかどこかで、人を殺すだろう。
人を殺すための指示を人に出すだろう。国のために。
いずれ歳を取り、それぞれ違う立場になり、枕を並べて眠ることも、肩を並べて笑うこともなくなるだろう。
だが
今日この日、この場所で
あたたかな湯気を吐きながら祝杯をいただき、酒を飲んで馬鹿をやって笑った。
いつかそれぞれの場所で、この日のことを
きっと懐かしく、思い出す日が来るのだろう。
「おやすみ。明日も早いぞ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ」
「……トマト煮」
「ぶはっ」
「やめてくれ」
「おやすみ」
しんしんと夜が更ける。
不思議に眠れず、仲間たちが眠れていないのを感じながら
それでも穏やかな気持ちで、夜の音を聞いていた。




