13皿目 軍部訓練所の若き軍人たち1
今日の春子は無心である。
心を無にして、聖人のごとき清らかな心で神と向き合う。
パン
パン
「うわああああ!」
「何? 誰!?」
「……おでん屋だよ」
人生の垢と欲にまみれた婆さんに、無心なんて、はなから無理な話だったのだ。
「ああ、美味しいなあ」
ぷっくりとした色白のハンペンに似た若い男が、じっくりハンペンを味わいながら頬をポッと染めて幸せそうに息を吐く。
「おかみさん、肉くれ肉! ニギリメシも2つおかわり!」
脳みそまで筋肉だと一目でわかる日に焼けた大きな若い男がコップを振りながら言う。
皿にまた、牛筋とソーセージを放り込む。
「僕はツミレと、ダイコンをおかわりお願いします」
眼鏡の男が言う。あだ名は『博士』だろうなという頭のよさそうな、神経質そうな顔立ちだ。
つみれと大根を入れてやる。
「美味しいです。お任せでおかわりをお願いします」
一番普通で顔のいい色男がさっぱりと礼儀正しく言う。
がんもどき、昆布、焼き豆腐。
皆それぞれ口に運び
それぞれの酒を運び
「っあ゛~~~~~!」
わかってるじゃねえかと春子は心の中で頷いた。
ハンペン以外揃いも揃って背が高くガタイがよく、何か規則でもあるのか皆坊主より少し長い程度の髪型だ。
着ている服も皆同じ。寝心地のあまりよくなさそうな深緑の、たぶん寝巻だろう。
「あぁ……訓練所の不味い飯で死ぬかと思ってたら……俺は今最高に幸せだ!」
筋肉男が息を吐く。
「うん、美味しい。僕この部屋でよかったぁ」
ハンペンがにこにこする。
眼鏡が眼鏡を上げながらハンペンを睨む。
「『レオナールがこわいよう。別の部屋がいいよう』と初日クリストフに子供のように泣きついていた男は誰だったかな、マルティン=オロフ」
ぎくりとハンペンが固まる。
「ほら、だからもっと小さい声で泣けって言ったろう、マルティン」
「クリストフ!」
色男がからかうように言うと、ハンペンが声を上げた。
「おかみさん肉下さい」
「はいよ」
筋肉男に牛筋牛筋ソーセージ
「肉をこいつが食い尽くしそうだけど、あんたら大丈夫かい」
春子は男どもに声をかけた。肉は少ないのである。
「ずるいよガッド。僕も欲しいですおかみさん」
「僕はツミレとダイコンとコンブでいいです」
「色々食べてみたいので、あるのをいただきます。ガッド、串に刺さってるの、手を付ける前に少しだけくれ。あとは食べていいから」
「おうクリストフ。少しな。ほら」
ギャアギャアワイワイ
若い男でも4人揃えば、十分にかしましい。
「先のカサハラ・ザビアの件、東の砦ではどういう評価になってる?」
色男が聞く。目を合わせた筋肉と眼鏡が揃ってため息をつく。
つみれをつゆで飲み込んだ眼鏡が言う。
「上が怒髪天だ。目の前でやってる大好きな大好きな戦争に加われなかったんだからね。我々のような若手にはわからないけれど、本物の戦場を知る世代はもう胸がうずいてしょうがないらしい。女王陛下へのとんでもない罵倒がでかい声で響いていたよ。不敬という言葉は今の軍部には存在しないのだろうか。ああなるともう動物だね」
「俺もどっちかっていうと早く実戦に出たいと思ってると思ってたけど、あれは比じゃねえや。みんな目の色が変わるんだぜ。ちょっと引いた」
「やっぱりそうなるか。40代以上と以下では、同じ軍人でも種類が違うんだろうな」
色男ががんもどきを噛みしめ、『あふ』と言ってから冷酒を運び、目をきゅっと閉じる。
「うまい。……うん、まあ中央も同じだよ」
眼鏡が眼鏡を上げる。
「軍部の王家への憤りは、爆発寸前だろうね。先日のフィリッチ公を推すはずの会合で、パウロ=ラングディング武官も女王補佐官に感化されて帰ってきたというし。このところ軍部の面目はつぶれ通しだ。戦争なくして20年。このまま、我が国の軍は縮小し続けるのだろうか」
「やべぇなあ。俺他のことできねえよ」
「ギュウスジおいしい」
色男がとんとコップを置く。
「静かすぎる、とは思わないか」
「と言うと?」
眼鏡が色男を見る。
色男が静かな声で続ける。
「北の大国ロクレツァ。昔はあれこれの小競り合いがあったのに、最近は何の手出しもしてこない。これは本当に、外交の成果なのだろうか。俺はかの国は機が熟すのを待っているような気がする。我が国が内部から壊れ、綻び出したそのときを狙って、かの国は全力で叩きにくるのではないだろうか。そんな気がしてならない。どう思うレオナール」
「……かの国が全面交戦の構えで我が国を攻めるなら、それは大陸を揺るがす大戦争になる。そしてどちらかが滅びるまで戦い続けるならば、それはもう、大陸全体の惨劇になるだろう。よほどの勝算がなければ打って出てはこないはずだ。……よほどの勝算がなければ」
「あの女王陛下だ。戦わず早々に白旗を上げるんじゃねえか」
筋肉男が牛筋の串を皿に置いて酒を飲む。
眼鏡が振り返る。
「それはあり得なくもないことだガッド。国民の血を流さないことを目指すならそれが一番なのかもしれない。ただ我が国の土地と国民を手に入れたロクレツァがそれで満足するとは思わない。きっと血は流れ続けるぞ。国民は兵士に変えられ、欲望は戦力を得て大陸に留まらず、海を越えるかもしれない」
「そんな戦争狂いが、20年も待てるもんか?」
「狂っているからこそ待てる、ということもあるだろう。その空白すらも計画のうちならば」
「ソーセージおいしい」
男たちは黙り込む。
色男が閉じていた口を開く。
「……だから俺たち軍は強くなければいけない。『あそこに噛みついたらただでは済まない』と相手が刃を向けられなくなるほどの強さこそが、戦いを避ける力になる」
「一見矛盾しているけどね。君の言うとおりだクリストフ。ここ20年戦争がないにも関わらず、軍の新規採用はなくなっていない。訓練だってこの通り続いている。流石に軍人が死なないから採用数は減っているけどね。予算のカットも、上が言うほど大騒ぎするような内容じゃない。昔が良すぎたんだ」
「難しくてわかんねぇや。つまり俺たちがこんな地獄の合宿で毎日絞られてんのには、意味があるってことでいいんだな。おかみさん肉下さい。あと冷たい酒」
「はいよ」
色男が焼き豆腐を食み汁とともに飲み込む。
眼鏡が大根を割って口に運ぶ。
「僕ソーセージとニギリメシお願いします」
「はいよ」
「俺は酒のおかわりお願いします。今度はぬるいので」
「僕も同じものを」
「はいよ」
しばし皆黙って食事を続けた。
「はいおまち」
とんと銚子を置けば、勝手知ったかのように色男が眼鏡に酒をつぐ。
眼鏡が色男につぎかえす。
不思議に同じ仕草で猪口を傾け
はああ、と息を吐いて額を押さえた。
「……こうなるか……!」
「沁みる……! 連日の訓練でささくれ立った心が浄化されるようだ!」
「ニギリメシおいしい」
楽しそうな奴らである。
「ふぅ……さすがに一年目とは違って、頭も使う訓練になったな。僕は実に楽しいよ」
「レオナールは筆記一位で入ったんだろう? 尊敬する」
「筆記ビリと組まされるとは思わなかったけどね」
眼鏡が筋肉を睨む。
「呼んだか? 体力試験は一位だぞ俺は」
「ちょうどいいじゃないか」
色男が笑う。眼鏡が睨む。
「失礼な。苦手だけどさすがにビリではないよ」
眼鏡がまた猪口を傾け、自分の短い髪を撫で上げ、ため息をつく。
「それにしても、いい加減早く髪を伸ばせる階級に上がりたいなあ。僕の母譲りの見事な銀髪を皆に見せてやりたいよ」
「上層部の方に長髪が多いのはきっとこの制度のせいだよな。俺は伸ばさないぞ。なんか蒸れそうだ」
「俺はな、階級が上がったらヘルムのてっぺんに赤のふさふさを付けるんだ」
「あれすごくアホっぽくないかい」
「いや、かっこいい。一筋だけこう金を入れるんだ。絶対にかっこいい」
「タクアンおいしい」
だんだんだん!
突然部屋に乱暴なノックの音が響いた。
男たちがハッと扉の方向を向き、それぞれ自分の皿の上のものを片付け、残った酒で流し込む。
汁や酒の一滴も残さずきれいに空になった皿と酒器が、ぴしりと揃えて板の上に並べられる。
色男が立ち上がり、背を伸ばして春子に敬礼する。
「最後はもったいないいただき方をいたしまして申し訳ございません。本日は誠にありがとうございました。ごちそうさまでした!」
「「「ごちそうさまでした!」」」
「はいよ」




