12皿目 薬学研究者エミール2
「「「乾杯!」」」
冷酒のコップが4つ重なった。
口に運び、男たちは一斉に息を飲み、そして吐いた。
「「「「っあ゛~~~!」」」」
頬を染め、全員満面の笑みである。
まさかのマキシミリアン大先輩まで、なんとなくいつもより俊敏な動きで食事は続いている。
そういえばこのメンツで飲みに行ったことがなかったとエミールは思った。
ジェイコブ先輩もポウル先輩も定時になればさっさと上がってしまうし、逆にエミールは結構遅くまで残って証言書を読んだり、まだ挑戦していない番号の処方を予習してみたりと忙しく
マキシミリアン大先輩に至っては夕方頃から徐々に機能停止して、定時前から震えることすらなくなっているので、仕事上がりによーし飲みに行こうぜと思ったことがなかったのだ。
皆いつもより口数が多く、陽気である。そうか、この人たちは酔うとこんな風に笑うんだなとエミールはなんだか胸があたたかくなった。
「エミール、今まで黙ってて悪かった」
ジェイコブ先輩がエミールに向き直り、頭を下げる。
「実はうちはどうがんばっても今以上予算が増えない。結果を出していないから。存続するだけ、予算を減らされないよう粘るだけで精一杯なんだ。でもどうしても若い奴が欲しくて、もし希望通りの若い奴が入ったらそういう風にしようなって皆で話し合っていた。うちに来たら誰だって、給料が減っちまうだろうから」
「……なるほど」
チラ、とポウル先輩、マキシミリアン先輩を見れば、お二方ともウンウンと頷いている。
エミールはそっと手元に視線を落とした。
「僕は怒っているわけではありません。ただ、こう、なんて言うんでしょうか」
続きを飲もうと思ったら硝子杯は空だった。
「おかみさんすみません、冷たいのをもう一杯お願いします」
「はいよ」
「あとお任せでお願いします」
「はいよ」
硝子杯にとっとっとっとっと……と酒が注がれる。
更に何かが三つ、置かれる。
「昆布、焼き豆腐、じゃがいも」
エミールはコンブを口に運んだ。
結ばれた真ん中にむっちりとした歯ごたえがあり、たっぷりと汁を含んで自身からも味わい深い香りを染み出させる。
くいと酒を飲んだ。
うまい。
単純に、とても、うまい。
「……なんていうか、そうですね簡単に言えばアレの気分です」
エミールが指差した先を先輩方は見た。
そこにはくつくつ煮える『オデン』の傍らできゅっと結ばれ銀の金属のトレイの上でのぞき込むようにじっと出番を待つ、袋状の何か。
「僕は皆様に混ざったつもりでした。いっしょに、研究できていると……仲間だと思っていたのに」
じゃがいもを割る。
ポロ、と頬を涙を伝ったのがわかった。
「事前に説明すらして頂けませんか。はたからのぞき込んでるよそ者の若造ですか、僕は。おかみさんその袋をください。なんだか可哀想なので」
「はいよ」
「エェミール……」
「エミール……」
「エミール」
ん、とエミールはじゃがいもを噛み、汁と冷たい酒で飲みこみ口の中の粉っぽさを味わい深く流し込んでから気が付いた。
今一人多かった。
「?」
エミールはジェイコブ先輩、ポウル先輩を見た。
二人とも首を振っている。
と、言うことは。
「すねるなエミール! 爺どもの照れる気持ちがわからんか!」
雷のような声で可愛いことをおっしゃったのは、ほかでもないマキシミリアン大先輩であった。
普段真っ白な頬を赤く染め、硝子杯片手に彼はまくしたてる。
「他の部署で見かけた、冷静な調合と丁寧な器具の手入れをする真面目そうな孫かひ孫の歳の坊主を、『あの子いいねえ』『うちに欲しいねえ』と言いながら、彼の将来を歪めてしまうかもしれぬという危惧から希望も出せず、恥ずかしくて直接口説きにもいけず、思い悩んで思い悩んでようやく出した希望届が翌日に受理されたときのこやつらの顔、全く見せてやりたいわ!」
「ちょ!」
「マキシミリアン先輩!」
照れ屋のジェイコブ、小心ポウルが慌てて賢人マキシミリアンに縋りつく。
「爺どもお前らもお前らじゃ! 馬鹿が付くほど健康なくせに毎日毎日あっちが痛いこっちが痛いと下手な演技をしおって! 坊主がすねるのも当然よ。技を伝えたいなら素直にそう言えばよかろう! いつまで生娘のようにもじもじもじもじしておるのだ生産性のない!」
「……」
「……」
「しゃべれたんですね」
「普段からしゃべっておるわ。君たちの耳が悪いのだ。酒が入ると声が大きくなるたちでの」
「へえ」
ポッと頬を染めているジェイコブ、ポウルの横で、エミールだけが冷静である。
「エミール、最後の決め手になったのは、君がナズリの蕾を売りに来た少年と買い付けの話をしているのを見たからだ。たいていのものは適当に重さを量って適当に切りのいい金額をつける。ナズリは安いからな。だが君はひとつひとつ状態によって籠に分けて、それぞれの重さを量り、端数まできっちりと値を付けたうえ、何故そういう価格をつけたのか少年にしっかりと説明した。蕾がきっちりと閉じてまだ固いものが最上、ほころびて花になりかけているものは使えないので、こういうものはつまずに咲かせて種を取り、次のナズリとなるのを許してやってほしいと。しゃがみこみ、実物を手に取って見せながら。少年がどんなにそれを真剣に見、聞いていた事か。当然じゃ。彼にとってナズリは生きるための大切な糧なのだから」
ごくり、とマキシミリアンは硝子杯を傾け喉を湿らせた。
「理由を含めきちんと伝えれば、次からきっと少年は君が当番のときに、質の良いものだけをつんでくるだろう。人に教えられるものは強い。よきものを引き寄せる。アスクレーピオスとは真逆のその心が、決め手になった。どうか我々の、道半ばであとはもう消え果てるしかない知識を君に与えたい。君に受け継ぐことで我々の積み重ねてきたものは、人々のなかに残りさらに先の道へといざなう道しるべとなろう。エミール=シュミット! どうか受け取ってくれ。それぞれ棺桶に片足を突っ込んだ爺たちの最後の願いよ」
「もち巾着おまちどうさん」
皿にほかほかになった袋が置かれた。
マキシミリアンが声をかける。
「おかみさん私にも冷たいのをくれ」
「はいよ」
「俺も冷たいのを」
「私も……」
「はいよ」
一旦腰掛け皆それぞれの酒を口に運ぶ。
ジェイコブがたまごを口に入れ汁を飲み、酒を流し込む。
「……すまなかったエミール。仲間外れにしたかったんじゃない。本当に俺たちはもう、金なんていいんだ。あとは死ぬだけだし」
「そんな」
顔を上げたエミールの前でジェイコブは酒をぐびりともう一口。
「俺は昔頭痛薬で一山当てて一財産築いてるし、ポウル先輩は週末最高級のポーション作成師。マキシミリアン先輩は実家が大金持ちで相続済みの大地主だ」
「まったく遠慮する気がなくなりました」
エミールはモチキンチャクを口に運んだ。
じゅわっと溢れた汁、柔らかくとろけた中身が奥深い甘みを持って口いっぱいに広がる。
汁を飲む
酒を飲む
うまい。
「はあ……」
思わず笑って幸せそうに頬を染めるエミールを先輩方はのぞき込んだ。
「「「おかみさん同じもの……」」」
「ダメです! これはなんかダメな気がします!」
ダメダメとエミールは首を振りキャンセルの旨を伝える。
「賢明だね」
フーリィに言われてホッとした。
やはり自分の直感は正しかった。危うく宝のような知識が継がれることなく地上から消えるところだった。
酒を飲み、ふう、とエミールは息を吐く。
そっと頬を撫でた。子供のように泣いてしまった自分が恥ずかしい。
「……初めから怒ってなんかいません。年甲斐もなく少しすねていただけです」
「……そうか」
「精進いたします。ビシバシお願いします」
「……おう……」
「いずれポーションも教えよう。上級は数々の技がいるが、身に着ければ一生食うには困らんよ」
「ありがとうございます」
「いいや待て待て本来の職務を忘れるでないぞ。『天神の涙』、わしは見てから死ぬのだからな」
バッとマキシミリオンが白衣のポケットから証言書の一束を取り出した。
表面に付着した、おそらく誰かの血液と思われる汚れがひどく文字が判読不明で、冊子に綴じられていないものたちだ。
資料を手渡す役人が『これはいりませんね』と捨てようとするのを奪い取って15年。これをなんとか読み取ろうと、おどろおどろしいそれらを身に着け、暇があれば老眼の目をしょぼしょぼ近づけたり離したりしているのである。
「っびゃっくしょーん」
だがこういうときにくしゃみをするのがジェイコブ、驚いて杯を倒すのがポウルなのである。
零れた酒が、証言書に滴り落ちる。
「あ」
「あ」
「あー!」
慌ててマキシミリオンが紙を振る。
キラキラっと何かが瞬いて
「「「え?」」」
紙が、浄化されたように見る見る表面の汚れを脱いでいく。
なんだかなあ、とエミールは思った。
なんか、なんというか
なんだかなあと。
「……」
「……持ち帰り読み込む。週明け今後の方針を伝えよう」
「はい」
「解散」
「「「「ごちそうさまでした」」」」
「はいよ」
「こぼしてすいません」
「よくあることさ」
そうして屋台は消えた。




