12皿目 森の女王2
「我々リジャの民は、古来より代々霊鳥ボルボの守り手である」
「なんだそりゃ」
「知らぬふりはやめよ。あの美しき鳥のことだ」
「速そうだね」
「無論速い。この世に人を乗せて、彼らよりも速く走れる生き物など存在すまい」
女の頬が誇らしげに輝く。
「かつてそれに目を付け、彼らを争いの道具にしようとした愚王がおったそうだ。我らの先祖はすべてのボルボをこの森に逃がし、入り口に結界を張った。誰も奥に入れぬよう、迷いの結界を。難所につぐ難所の先にあるこの森に、ボルボの強靭な足なくしてたどり着けるものがそもそも実に少ないがな。そうして我々は女だけでここでボルボを育て、何代も暮らしておる」
「女だけで?」
「ああ。男は争いをもたらす」
「子供はどうするんだい」
にやりと女は笑う。
「罠を張りそのときだけ男をおびき寄せる」
「へえ」
「何も命までは取らぬ。隣の森くらいまでなら入り込む者がおるからな。時折よさげなのを探し、香で誘い込んでは一夜の夢を見させ、また香で忘れさせて外へ返す。見よ、鍛え抜かれた美しき女揃いじゃ。招かれた男どもも決して損はしておるまいよ」
「男が生まれたらどうする」
「生まれぬ。リジャの民は皆ハヌムの実を食うておるからな。女から男が生まれるなど、神話でしか存在せぬ話だ」
じっと女は遠い目をした。そして春子を見る。
「外では女から男が生まれるというのは、まことなのか」
「あたしの知ってるところじゃ、そうだね」
「確かにボルボの卵からは雄も雌も生まれる。だが人もとは。この世界しか知らぬ妾には、そちらのほうがはるかに不思議な話よ」
言って女は玉子をじっと見、ぱくっと食った。酒を飲む。
「何代も、何代も。そうやって代を重ねるごとに、……どうやら昨今我らの力は、徐々に弱りつつある」
「へえ」
「成人の儀の際、試しの木から弓を射り飛んだ場所に名を記すのだが、年々その場所が試しの木に近づいてきておるのだ。背丈も、何代も前のご先祖さま方はもっと高かったらしい。子も、双子三つ子も当たり前だったという。皆安産で、出産で死ぬことも少なかったと記録されておる。……先日妾の側近が死んだ。子が詰まり、腹より出てこなくてな。このところ何件も、そのような話ばかり」
「……」
ズブとつみれを串で刺し、じっと見てから一口で食う。
「身に合わぬ同じ場所にこもり同じものだけを食していれば、自然とそうなるのやもしれぬ。もともとが森の民とはいえ、かつてはもっとあたたかなところに住んでいたようだからな。もう一皿所望する」
「はいよ」
牛筋、ソーセージ、じゃがいも。
牛筋をわざわざ串から外して、自分の串で刺している。
「外には果て無き広い草原があるというのは本当か? 地平線なる大地の端があるというのは、一面の黄金色の穂の揺れる場所があるというのは、まことなのか」
「多分な」
「そういったところを全力で翔けるボルボの姿を、妾は見たい。何ら邪魔するものなきその広き場所を、きっと彼らは生き生きと、目を輝かせ風よりも早く走ることであろう」
じゃがいもの表面を見ながら、女は憧れるような顔で言った。
「『外に出たい』。外の恐ろしさを知らぬ今の民たちのなかでその思いは今や膨れ上がり、今日のようにもはや妾の力では止めきれぬところまで来ておる。立場上それを制止しているとはいえ、その気持ちは妾にもあるのだから始末が悪い。妾も若き日、今日のあの者と同じことを仕出かしかけたのだ。ボルボが賢く足を止めてくれたおかげでこうして生きておるがな。外を見たいうえ、当時の王と男の趣味がまったく合わんでな。妾は逞しき男よりもこうシュッとした男が好きじゃ」
「こればっかりはなぁ」
「何か」
「別に」
春子は汁をかき混ぜた。
女がじっと春子を見ている。
「朽ちかけた、いつか崩れるだろう洞を這い出すか否か、這い出すならいつかを決めるのは家長である。いつか崩れることを知りながら、いつまでも先送るのは長としての恥である。そなたのおかげで心が決まった。まだ大丈夫、まだ大丈夫と己を騙すのは、もうやめることとしよう」
くいとコップを逆さまにし、女は二杯目を空にしトンと高らかに置いた。
「この森を出る! 当然初めに出るのは我ら赤の戦士。相も変わらず話をする価値すらなき愚かなものを長とする愚かな民どもであれば、今一度リジャの民らは世界を捨ててくれよう。ゆくぞ皆の者! いざ、王ヒッポリュテーの出陣じゃ!」
「ヒッポリュテー様」
「なんじゃキャナン今実に良いところであるぞ」
「リジャとボルボに係る重要なご判断は、17会議を全て通してからでございます」
「……長老どもがうるさいではないか」
「ことわりにございます」
「……面倒だ」
「しきたりにございます」
「……」
しおしおと、偉そうだった女は立ち上がった。
「……郷に戻るぞ皆の者。皆で少し頭を冷やし、捻ろうではないか」
「お言葉ですがヒッポリュテー様、我々戦士は武と騎乗に長ける分、おつむりが少々……」
「それ以上言うなベルキス。悲しくなるわ」
「冷やして捻ったところで我々から何かいいものが出るとは思えませぬ!」
「止めておるのにはっきり申すなメーメット! ええい戻るぞ! 皿と杯に一滴も残すなよ!」
「「「「残るはずがございません」」」」
「よし!」
女たちは立ち上がり、動きを揃えて右足を引き、左手を横方向へ水平に差し出した。
なんと後ろで立ってた鳥までだ。なんだかこいつらよりもむしろ鳥の方が賢い気さえする。
おでんに蓋をする。
顔を上げれば、いつもの若いお狐さんの前だった。
「キャナン様」
「なんだエズラ」
「……あたし、ちょっと、踏んでましたよね、禁足地」
「なんのことだ」
「……ありがとうございます」
「なんのことかわからん。前を見よ」
「はいっ!」
「あそこに鹿じゃ土産にしよう! 射よエズラ!」
「はっ!」
指笛の音にボルボたちが向きと隊列を変える。
「やったか」
「この距離で外す道理がございません」
「拾って帰るぞ。ついでにあのカロラの実を採っていくか」
「子供たちがわんさか摘んできたばかりでございます」
「ならよい次代のカロラとする。疾く戻ろう」
「はっ」
ほぼ地と垂直な崖を、大きなボルボが鍵爪を突き立て、土煙を上げながら色とりどりに走る。




