8皿目 麦半島の学者たち2
はふ、はふ、はふと口から湯気を出しながら
シードルが大根、ごぼう天、しらたきを
ハロルドがたまご、さつま揚げ、昆布を
ホーカンがこんにゃく、厚揚げ、じゃがいもを食べている。
はっふはっふと、言葉もなく食べている。
全てが初めて見るものだった。
ハシなる二本の棒をホーカンが器用に操るので驚いた。国の東の端、20年前の戦争で新たに合併された領地で食事の際に使うものだという。ホーカンはそこの出身だったのだ。
ごくんと口の中のものを飲み込みホーカンが言う。
「声高に言うものでもないからな。今となっては別に気にするものでもないことだ。合併されてかえってよかったよ。おかげで子供のころからの夢が叶った」
「うん、あの国は武力を重んじるがあまり、学術・芸術面をあまり伸ばそうとはしないからな」
答えながら
口に運んだものの不思議な食感にシードルは驚いた。
柔らかな魚の風味を感じさせる何やら茶色いやわらかなものの中から
土のにおいのする、歯応えのあるものが出てきたのだ。
まわりの茶色いものとともに噛み締める。
汁を飲む。
そして噛み締める。
うまい。
海のものと大地のものが混然一体となり、歯応えのあるものから出た素朴な香りに複雑な味の組み合わさったあたたかな汁が混ざって口いっぱいにふくよかに広がる。
うまい。
「酒は? 熱いのと冷たいのがあるよ」
老婆の形をとったフーリィが言う。
シードルは手を立て首を振った。
「結構です。あいにく下戸でして」
「私も下戸で」
「下戸です」
「ゲコゲコゲコか。田んぼかよ」
老婆は皿を三つ並べる。
「飲まねえんなら飯食いな。そんないい体じゃ腹も減るだろうよ」
とん、とん、とんと皿が置かれた。
目の前に、白いものを三角にしたものが置かれた。
表面に何やら黒い点々がちょんちょんとついている。
薄く切られた黄色い何かが寄り添っている。
「……これは……?」
「リーゾだろう」
「あのサラダについているやつか? あんなパラパラしたもの、こんな風にはできないだろう」
「形が違う。リーゾはもっと細長いぞ」
「品種が違うんだろう。温暖多湿な国ではこれが主食だったはずだぞ」
「へえ……興味深いな」
皿を覗き込んであれでもないこれでもないと話し合う根っから学者肌の男たちを、じっと老婆が睨みつけている。
食うのか食わねえのかという苛立ちを感じ、学者たちははっとした。
「いただきます。これはどうやって食したらいいのでしょうか」
「握り飯なんだから、手で持ってかぶりつけ。梅干しの種食うなよ」
「はい」
素直に男たちはニギリメシを持った。
つるぴかと輝く表面をじっと見つめ、あーんと口を開けてかじる。
「……」
甘い
しょっぱい
甘い……!?
男たちは驚愕を浮かべた顔を見合わせた。
一口でその一粒一粒にこもった栄養価の高さがわかる。
ちょうどよい塩加減をされたそれは甘く、柔らかく、ほろりと口の中でほどける。
食べ進めれば今度はカリリとした酸っぱい、しょっぱいものに当たった。
カリ、カリ、カリ
三人の口から可愛いらしい音が響く。
「……」
合う! とシードルは心の中で膝を叩いて叫んだ。
何かはわからない。だが合う!
黒のつぶつぶした薫り高い味わい、ニギリメシ本体の奥行ある甘い膨らみを、そのカリカリは鋭く、だが味わい深くきゅきゅっと締める。
口の中でそれらは混ざり合う。
シードルは目を閉じた。
今自分の口は調理場になっている。
甘いもの、酸っぱいもの、しょっぱくて香ばしいもの。味わいと食感の違うものを混ぜ合わせ、さらなる高みに行こうとする調理場だ。
はっとした様子のハロルドが添えてあった黄色い薄いものを口の中に追加して噛んだ。
これまたポリ、ポリと涼し気な音が彼の口から響き、彼は震えながら頭を抱えた。
右を見ればホーカンが、皿に残ったあたたかい汁を口に入れ、噛み締めて、飲み込んで
何かシードルの知らない言葉を小さく呟き額を覆ってのけぞった。
シードルも二人の真似をした。
そして顔をおさえて肘をついた。
うまい。
黄色いポリポリは赤いカリカリとは違い酸味はない。
甘味が強く、ニギリメシに寄り添いながら楽しい食感で口の中で遊んでいる。
さまざまなものの味を含んだあたたかい汁。これが合わないわけがない。冷たいニギリメシの甘い風味が、汁が合わさることで柔らかく広がり、全身を何とも言えない幸福感に包まれる。
あっと言う間にニギリメシはなくなってしまった。
悲し気に涙を浮かべる男たちを老婆は見る。
「……おかわりかい」
「「「おかわり!」」」
もうなかなかいい歳になってる三人が、子供のように頬を染めて言った。
うまいうまいカリポリじゅわりとがっつきながら、シードルは考えた。
半島で再び、国民の口に入る主食の生育を
国民のために
国民が、飢え渇くことのないように。
指についたニギリメシの落とし物をぺろりとし終えた男たちは呆然とした。
嘘だろう? と思った。
「……ハロルド、ホーカン」
「……ああシードル」
「ああ、俺たちはまったく馬鹿だった」
女王の麦半島だから
当然に麦を育てなくてはと思っていた。
麦が、出穂の時期に雨が降らない、夏に乾燥し冬にたっぷり雨が降る気候に育つ作物であることを研究者である自分達は初めから理解していたはずなのに。
求められるまま新たな品種を、雨に強い品種の麦を見出そうとしていた。この大地でも生きられる、奇跡のような麦の種を。
最初から、探すべきは奇跡ではなかった。
「……麦じゃなくたっていいんだ」
牡牛月、双子月に雨が降る
大陸よりも温暖で多湿になってしまった半島で育つなら
腹が満ちるなら。美味しいなら。
国民を満たす栄養になるのなら、麦じゃなくたってよかったのだ。
3年、麦を育てんと全力でやった。何一つ得なかった。
得なかったことは無駄ではなかった。麦は無理だと確信するための3年間だったのだ。だからこそためらいなく、我々は次に行ける。膝についた土を払い、未練なく軽やかに立ち上がって別の方向を見られる。
「……リーゾを主食にする国に、学びに行くことは可能だろうかハロルド。お前外交詳しいな」
その言葉にパッと顔を上げたハロルドの頬が赤い。
目に力が戻り、きらきらと輝いている。
「確か15年ほど前に南方の一国と友好関係を結んでいて交流がある。月一回、使者と互いの国の名産を乗せた船が出ているはずだ」
「……種を買い付け、技術者を招くことを目指そう。代わりに麦の育成を教えると言えば、喜ぶ学者はそちらの国にもいるはずだ。学者なんて、新しいことを知りたくて知りたくてしょうがない人種なのだから」
「リーゾにだってこだわる必要はない。芋でもいいはずだ。この気候に合った芋を俺は探す。芋は世界を救うんだ」
横からホーカンが入ってきた。彼の頬もまた赤い。シードルは微笑んで頷いた。
「うん、主食になるならなんだっていい。この地に合う種の様々な可能性を探そう。だが当然この半島に期待されているのは麦だ。麦復活の方針転換に、陛下は賛同してくださるだろうか……」
シードルを力づけるようにハロルドが声を上げる。
「今なら中央にお戻りの『女王の金天秤』ジョーゼフ=アダムス補佐官が陛下についておられる!」
「なんだと早く言え! よし急ぎ上申しよう。追って中央に向かい、3年の記録を元に方針の転換希望に至った経緯を口頭で詳しくご説明申し上げるのだ。大丈夫。わかっていただける。俺たちはこれまでどんな挑戦も失敗もつぶさに、正確に記録してきた。どんなに隠したい恥も一切隠さずに、詳細に、全てを。俺たちは間違いなく全てを尽くし全力で失敗した。今後変えるべきがやり方ではなく方針であることをきっとわかっていただけるはずだ。天を変えられないのならば変わるべきは我々なのだから。どうする、中央には誰が行く」
ハロルド、ホーカンが澄んだ目でシードルを見据えている。
「全てを把握しているリーダーのお前だシードル。俺は南の国に渡るための当たりをつける」
「わかった。お前はどうするホーカン」
「この地に残り農民たちにこれからの展望を説明をする。農民が、作るものを変えるというのは大変なことなんだ。生活そのものが変わってしまう。賛同を得られないまま俺たちの勝手だけで無理やりにやらせたくない。この地を愛し残ってくれた人たちだ。きっとわかってくれる。そうなるように努力する。同意を得られたらその後、皆とともにリーゾには適さない場所で根付きそうな芋を様々試そう」
「……さすがだホーカン。ありがとう。気が急くあまり大切なものを見落とすところだった。ありがとう!」
男たちは明るい顔でがっしと手を握り合った。
初めて植物研究所で同期として顔を合わせたあの日のような希望に溢れる赤い顔で互いを見た。
「また一からやり直しか。まだまだ学ぶことばかりだな!」
「何もない。知らないことばかりだ! いったい何年かかることやら! まったく、楽しいなあ! やろう!」
「ああ、この地をまた必ずや緑と芋に溢れた、国民の食糧庫にしてくれよう!」
目を輝かせてはっはっはっはと高らかに笑い合う学者たちを
くつくつと煮えるオデンの前で長いハシを持ったまま、しんとした顔で老婆が見ていた。
中身はカリカリ梅です。




