第29話 テーセウス
グランドマスターの声明から三八時間が経過し、東京各所がゴーストタウンのように静まり返る深夜。
東京上空一五〇〇〇メートル付近、ディバイン・トリビューナルの発動に最も適した座標に滞空する空中要塞ベレヌスの内部は、祭りも斯くやとばかりの騒ぎようだった。
「まさか、アジトが空を飛んじまうなんてな!」
「まさかといやぁ、グランドマスター一人で東京消せるって話も大概だろ!」
「ヒーローでもなんでも、どんと来いってんだッ!」
「そしたら砲座から好きなだけビームぶっ放せるもんなぁ!」
見回りをしていた大地は、通路のど真ん中で子供のようにはしゃいでいる構成員たちに苦笑しながらも、念のため窘めておく。
「あんまり気ぃ緩めすぎんなよ。ヒーローが来たらマジで瞬殺されっからな」
「わかってるってオーガ」
「まさに最終決戦で感じで、こちとら超燃えてんだ」
「マジで気を抜くバカなんて、ここにはいねえよ」
「なにせ相手はヒーロー様々だからな。空の上だろうがお構いなしにカチコんでくる予感しかしねえ」
などという言葉どおり、構成員たちははしゃいでいるだけで、必要以上に気を緩めるような真似はしていなかった。
フルフェイスマスクは被っていないものの、いつ戦闘になってもいいよう、深夜にもかかわらず誰も彼もがパワードスーツを身につけているのがいい証拠だ。
大地も鬼面をかぶっていないだけで、しっかりとボディアーマーを身につけていた。
今まで表には全く出てこなかったグランドマスターが、政府に声明を出す前日に姿を見せたこと。
組織に入る際に誰も彼もが訊かれた『其方に、日本の中枢たる東京をこの世から消す覚悟はあるか?』という言葉どおり、グランドマスターが本気で東京を消すつもりでいること。
それを実現できるだけの力の一端を見せてもらえたことで、構成員たちの士気は最高潮にまで高まっていた。なので、大地はこれ以上水を差すような真似はせず、
「ほどほどにな」
とだけ言い残して、構成員たちの前から立ち去っていった。
通路を行き、向かう先は、以前生体サイボーグ化手術後に力の確認のために訪れた、椿専用のテストルーム。
椿はそこで、彼女専用のパワードスーツの調整を行なっていた。
部屋に入り、中央に屹立するそれを見上げ、呆れたように言う。
「ここまでくるともうパワードスーツっつうよりロボットだろ、これ」
大地の言葉どおり、それはパワードスーツというよりも人型機動兵器を想起させる外見をしていた。
全長は四メートル強。
パワードスーツと同じ黒色の身体は鋼でできており、顔はメインカメラを保護するバイザーで覆われている。
背中には、バックパック状のジェネレーターが積載されていた。
名はテーセウス。
生体サイボーグ化手術とは別に、打倒アンブレイカーのために椿が開発していたものだった。
不意にテーセウスが片膝を突き、胴体前部の装甲が上に向かって開く。
中にいたのは当然椿だが、その身は普段の白衣ではなく、静電気を完全にシャットアウトする絶縁スーツに包まれていた。
その性質上、体に完全にフィットさせる必要があり、体の線がもろに出てしまうため、
「いやぁ、ほんっと眼福だな」
大地は幸せそうな顔をしながら、テーセウスのコックピットから降りてきた椿に向かって素直な感想を口にした。
椿は瞬く間に顔を真っ赤にしながらも、でしっと力なく大地の胸を叩く。
ますますニヨニヨしたくなるところだが、さすがにこれ以上はセクハラがすぎるので、代わりに微苦笑を浮かべながらテーセウスの足元に畳んであった白衣を掴み、椿に渡した。
「精密機器にとって静電気は大敵だからな。対策をしていると言っても、戦闘中に受ける損傷次第では絶対とは言い切れない。だからこのスーツは、テーセウスに搭乗する上では必要な物なんだ」
いったい誰に対する言い訳か。
椿は受け取った白衣を羽織りながら、澄まし顔で説明する。が、顔が真っ赤なままだったせいで、大地は頬の緩みを堪えるのに相当以上の努力を要した。
「にしても、真夜中だってのに精が出るこったな」
「むしろ真夜中だからこそだ。ヒーローがこの空中要塞に乗り込む上で、夜闇を利用しない手はないからな」
迎え撃つ気満々の椿に、大地は微妙な顔をする。
「先に言っとくが、オレはオマエに、このテーセウスとやらを使わせるつもりはねぇからな」
「生憎だがそういうわけにはいかない。テーセウスには、ベレヌスの侵入者迎撃システムを遠隔コントロールする機能が搭載されているからな」
「マジかよ!?――って、そういう意味で言ったんじゃねぇッ。アンブレイカーと直接戦うなんて真似は絶対にさせねぇって言ったんだ。裏方は裏方らしく、後ろでふんぞり返ってりゃいいんだよ」
「私の身を案じてくれているのはわかるが、こればかりは譲れない。グランドマスターと出会い、審判計画の全容を聞いた時点でこうすることは決めていた。アンブレイカーならば、必ずベレヌスに乗り込んでくることがわかっているからな」
全く引く気のない椿に、大地は微妙だった顔を苦くする。
「あんまこういうことは言いたかねぇけど……オマエ、アンブレイカーを相手にビビらずに戦えんのかよ?」
七日前、両親の墓の前でアンブレイカーたちと対峙した後、椿は震えていた。
震えた理由は、怒りや悲しみがその大部分を占めていたが、わずかながらも、ヒーローと直接相対したことへの恐怖が混じっていたことに大地は気づいていた。
そしてそれは、椿自身も自覚していたらしく、
「そのためのテーセウスだ」
そう断言しながら、テーセウスの装甲をそっと撫でた。
まるで装甲が、自分の身だけではなく心も護ってくれると言わんばかりに。
譲る気のない椿を相手に、睨み合いとも見つめ合いともつかない視線を交わした、その時。
ビ――――ッ!! ビ――――ッ!! ビ――――ッ!!
けたたましい警報音が、二人の耳はおろか、ベレヌスにいる全ての者たちの耳をつんざいた。
『上空二〇〇〇〇メートルより、ベレヌスに接近する生体反応ありッ! 繰り返すッ! 上空二〇〇〇〇メートルより、ベレヌスに接近する生体反応ありッ!』
「生体反応だぁ!?」
素っ頓狂な声を上げる大地とは対照的に、椿はつまらなさげに「やはりな」と呟く。
それだけで大凡のことを察した大地は、再び素っ頓狂な声を上げた。
「まさか、ピュアウィンドの力でここまで飛んできたってのかよ!?」
「正確には、ベレヌスのレーダーの範囲外で輸送機を限界高度まで飛ばし、そこからピュアウィンドの力で飛んできたといったところだろうな。勿論、アンブレイカーとフォトンホープもまとめてな。政府が東京上空で空戦をやらかすような阿呆でない限り、それ以外に手がないことはわかっていた。もっとも……」
椿は着たばかりの白衣を脱ぎ捨て、テーセウスに乗り込む。
「ここまで読めていてなお、ベレヌスの対空迎撃システムで奴らを止められる気が全くしないのが業腹だがな」
「つうことは、侵入してくるってことか? ヒーローが」
「十中八九な」
答えながらコックピットに座り、テーセウスと繋がるコードが髪のように伸びている、機械的なヘッドギアを装着する。
テーセウスはこのヘッドギアを通じて、脳波だけで動くという話らしいが、
(さっきの椿の言葉が本当なら、脳波だけでベレヌスの侵入者迎撃システムも動かせるってことになるわけか。どんだけだよ)
わかっていてなおいちいち驚かされる椿の頭脳に呆れながらも、大地は踵を返した。
「とりあえず、オレは〝武器〟を取りに戻るわ」
「そして、アンブレイカーが侵入してきたら、わたしのところに辿り着く前にぶっ倒してやる――といったところか?」
見事に図星を突かれた大地の眉根が、これでもかと寄る。
「やるって決めた時のオマエは、梃子でも動かねぇからな。だからオレも、オレのやりたいようにやる。それだけだ」
そう言い残し、走ってテストルームから出て行った。
そんな大地の背中を見つめながら、椿は独りごちる。
「相手の身を案じているのが自分だけだと思ったら大間違いだぞ……阿呆が」
吐露した心情を隠すように、テーセウスの前部装甲はゆっくりと閉じていった。




