『恭子の初めての同人イベント-③-』
沙綾曰く、コアマの会場の東京国際展示ホールは東展示棟、西展示棟、南展示棟、会議棟があり、沙綾の行きたいサークルは全て東展示棟にあるとのこと。なので、あたし達は東展示棟に向かうことに。
人が物凄く多いから、東展示棟に向かう通路も混雑していて。ただ、スタッフの人達の指示があったり、参加者達がそれに従ったりしているのもあり、ゆっくりとした速度だけど東展示棟に向かうことができている。
通路を抜けて、東展示棟のエントランスに到着した。
エントランスは結構広いわね。あと、1番から8番までの出入口が設けられている。
「ようやく東展示棟に到着ね」
「そうッスね。1番から8番の出入口から入れるホールに、コアマに参加しているたくさんのサークルがあるッスよ」
「そうなのね」
「じゃあ、まずはひおりんの代理購入を頼まれているサークルに行くッス。どこだったッスかね……」
そう言い、沙綾は持っているバッグから1枚の紙を取り出した。
「それ、なに?」
「サークルの配置図ッス。お目当てのサークルの場所に印を付けてあるッス。あと、どういう順番で廻るのか番号も付けてあるッス。買いたい順番ッスね。ちなみに、全部で7つあるッス」
「そうなのね」
きっと、スムーズに廻れるように準備していたのね。さすがはコアマに何度も参加しているだけのことはあるわ。コアマを参加するときにはこういう準備が大切なのかも。
「あったッス。『ばらのはなたば』」
「『ばらのはなたば』……それがサークル名?」
「そうッス。BLものの同人誌を出しているサークルッス」
「そうなのね。……名は体を表すって言葉が当てはまりそうなサークル名ね」
「あははっ、そうッスね。このサークルの配置番号は『東1 あ-5』なので、そこの1番の出入口からホールに入るッス」
「了解」
あたし達は1番の出入口からホールの中に入る。
「おおっ……」
ホールの中は物凄く多くの人がいる。こういった光景は全然見たことがないので、思わず声が漏れてしまった。
「物凄くいっぱい人がいるわね」
「そうッスね。あたし達一般参加者はもちろん、たくさんのサークルスペースが並んでいるんでサークル参加者もたくさんいるッス。毎回こんな感じッス」
沙綾は平然とした様子でそう言う。毎回こんな感じ、というだけあって今のような光景に見慣れているのだと思う。
「新刊1冊ください」
「500円になります!」
近くからそんなやり取りが聞こえたので、そちらの方を見ると、男性が女性に500円玉を渡し、女性は同人誌と思われる薄い本を男性に手渡していた。あの様子からして、男性が一般参加者で、女性はサークル参加者でしょうね。2人とも何だか嬉しそう。男性の方は買えた嬉しさ、女性の方は売ることができた嬉しさによるものだろう。立場は違えど、同じような笑顔になれるのはいいなって思う。とてもいい光景ね。
沙綾の持っている配置図を頼りに、『ばらのはなたば』のサークルスペースに向かう。
「あそこッスね」
そう言い、沙綾が指さした。その方向を見てみると、壁側にサークルスペ―スが展開されている。また、壁には見つめ合ったイケメンの男性キャラ2人が描かれ『東1 あ-5 ばらのはなたば』と印字されたポスターが何枚も貼られている。ポスターに描かれたイラスト……とても綺麗ね。
サークルスペースでは、同じデザインの半袖の赤いTシャツを着た数人の女性が接客しているのが見える。あのシャツはサークル関係者の制服なのかしら?
「ポスターに『ばらのはなたば』って書いてあるわね。見つけられて良かったわ」
「そうッスね。良かったッス」
「『あ-5 ばらのはなたば』の列の最後尾は屋外になっておりまーす!」
サークルスペースの近くにいる女性がそんなことを言っていた。その女性も、サークルスペースにいる女性達と同じ赤いTシャツを着ている。
サークルスペースの前では2列で2、30人くらい並んでいるけど、あの列の一番後ろが最後尾じゃないのね。
「外にも列があるのね、沙綾」
「そうッス。『ばらのはなたば』はとても人気のあるサークルッスから。このサークルのように、人気のあるサークルは壁側に配置されるようになっているッス。こういうサークルのことを壁サークルと言うッス」
「へえ、そうなのね」
「ちなみに、あたしがひおりんに代理購入を頼んだサークルも壁サークルッス。ひおりんもあたしも2つの壁サークルの新刊同人誌がほしいので、それぞれ1つずつ担当することにしたッス。壁サークルは特に、並んでいる途中に完売して購入できないときもあるッスから。あとは、どちらのサークルも、コアマ限定の購入特典があるのもお互いに代理購入を頼んだ理由の一つッス」
「なるほどね。友達の協力プレイって感じでいいわね」
「そうッスね! ……じゃあ、外に出て最後尾に並ぶッスか」
「そうね」
サークルスペースの近くに、外に出られるところから出入口があった。なので、そこから外に出る。3時間以上会場前で待って、ようやく会場の中に入れたと思ったら、またすぐに外に出ることになるなんて。
外に出ると、長い列がいくつもあって。おそらく、それぞれが壁サークルの待機列なのだと思う。
「あっ、プラカードを持っている人がいたッス」
沙綾が指さした方を見ると、『あ-5 ばらのはなたば 最後尾はこちら』と描かれたプラカードが見えた。
あたし達はプラカードに向かって、列の横を歩いていく。
BLの本を出すサークルだからなのか、並んでいる人は女性が圧倒的に多い。あと……列がかなり長いわね。このサークルの人気の高さを証明しているように思える。
「あたし達、並びます。なので、プラカードを持ちます」
最後尾まで辿り着くと、沙綾が最後尾でプラカードを持っている黒髪の女性にそう言った。見知らぬ人が相手だからなのか、普通の敬語になっている。いつも「ッス」口調だから何だか大人っぽく感じるわ。
女性は「はーい、ありがとうございます」と言って、沙綾にプラカードを渡した。
サークルの列は2列で並ぶ形なので、あたしは沙綾と隣同士に並んだ。
「壁サークルの列に並ぶときは、今のように最後尾の人からプラカードを受け取って並ぶことがあるッス。それで、『並びます』って声を掛けられたら、その人に渡すッス」
「そういうシステムなのね。みんなで協力している感じがしていいわね」
「そうッスね」
「ねえ、沙綾。そのプラカード、あたしが持ってもいい? 沙綾が受け取ってくれたから、渡すのはあたしがやりたいわ」
「了解ッス。お願いするッス。壁サークルなんで、きっとすぐに渡すことになると思うッス」
「分かったわ」
沙綾からプラカードを受け取る。見えやすいように高く掲げる。
まさか、コアマでプラカードを掲げることになるとは思わなかったわ。そんなことを思っていると、列が前に進んだ。
そして、沙綾の言う通り、プラカードを持ち始めてから1分もしないうちに、
「私、並ぶので持ちますね」
と、金髪の女性が話しかけてくれた。
お願いします、と言ってあたしは金髪の女性にプラカードを渡した。
「あたしの言う通り、すぐに来たッスね」
「そうね。短い時間だったけど、プラカードを掲げる体験ができて良かったわ」
「ふふっ、そうッスか」
このプラカード体験も今日の思い出の一つになると思う。
「それにしても、この列ではどのくらい並ぶことになるかしら」
「そうッスね……1時間は並ぶと思うッス。これまでのコアマでもこのサークルの列に並んだことがあるッスけど、いつも1時間は並んでいたッスから」
「なるほどね。まあ、会場前で3時間近く待ったし、1時間とかならどうってことないわね。それに、会場の前とは違って、待っている間に列が前に動くから」
「そう言ってもらえて良かったッス。ただ、無理はしないでほしいッス。気分が悪くなったらすぐに言うッスよ」
「分かったわ」
熱中症とか体調不良にならないように気をつけないと。このサークルの列に並んでいる間は特に。だって、沙綾はもちろん、氷織に代理購入を頼まれたサークルなのだから。
「沙綾も無理はしないでね」
「了解ッス」
「うん。……氷織に代理購入を頼まれたのって、確か新刊の同人誌だったっけ」
「そうッス。オリジナルのBLの新刊同人誌ッス。コアマで購入した限定の特典で、表紙のイラストが印刷された紙の手提げが付くッス。あとはコピー本も付くッス。作風や絵柄が好きなのと、特典が付くのもあってひおりんから購入を頼まれたッス」
「なるほどね。限定の特典があると凄く買いたくなるわよね。それに、サークルスペースの壁に貼られたポスターの絵柄が綺麗だったし。……あたしも買おうかしら。BLの漫画も読むし」
「ぜひぜひ! ヒム子も好きになってもらえたら嬉しいッス!」
目をキラキラと輝かせ、いつも以上にハキハキとした声でそう言う沙綾。沙綾がこのサークルの作品が大好きなんだって伝わってくる。
中には代理購入の人もいるだろうけど、きっと今並んでいる多くの人が沙綾のようにこのサークルの作品が大好きなんだと思う。そしてそれは、他のサークルの列に並んでいる人達にも言えることだと思う。
「買ったら、ひおりんも交えて新刊同人誌で語らいたいッスね」
「それはいいわね! 買いたい気持ちが強くなったわ」
これまで、氷織や沙綾と共通して好きな漫画やアニメについて話したことがあるけど、それはとても楽しいもの。
「売り切れになってしまわないように強く願うわ」
「そうッスね。この時間に並んでいるので売り切れることはないと思うッスけど……願ってもらえたら嬉しいッス。同人誌は後日に同人ショップでも買えるッスけど、限定特典があるッスから」
「それほどに魅力的な特典なのね。あと、同人誌ってお店でも買えるものなのね」
「ええ。イベントの何日か後に同人ショップでも販売するサークルがあるッス」
「そうなのね」
用事があってイベントに来られない人もいるだろうから、同人ショップでも同人誌を買えるのはいいわね。
「あと、購入制限があまりかからないことも願ってもらえたら嬉しいッス」
「購入制限って?」
「壁サークルの新刊は、より多くの人に買ってもらえるように、いくつまで購入できるか制限がかかることがあるッス」
「なるほどね」
並んでいたのに買えなかったら悲しいわよね。そうなってしまう人達を1人でも減らすために、購入制限をかけるのは納得だわ。
「このサークルでも購入制限がかかったことがあるッス。まあ、いつも早い時間に並んでいたので、2冊までとか3冊までだったッスけど」
「そうなのね。2冊までならあたし達で3人分買えるわね。もし、万が一1人1冊までになったら、沙綾と氷織の分を買いましょう。2人は特典も魅力的に思っているから」
「それはとても有り難いッス! どうもッス!」
沙綾はニコッとした笑顔でお礼を言った。守りたいわこの笑顔。沙綾と氷織が喜ぶためにも、どうか新刊が売り切れないでほしいわ。
それからも沙綾と一緒に待機列での時間を過ごす。定期的に列が前に進むのがいいわね。目的に近づいているって感じがして。
とりあえず、今のところは売り切れや購入制限のアナウンスは特にされていない。
「それにしても、ヒム子と一緒に屋外で並んでいると、ゴールデンウィークにみんなで行った遊園地を思い出すッス。会場の前で待っていたときにも思っていたッスけど」
「あたしも遊園地のことを思い出してた。遊園地のアトラクションの列も2列だったし、沙綾と隣同士で並んだものね」
「そうッスね! あれから3ヶ月以上経つッスか。結構前のことのように感じるッス」
「分かるわ。季節一つ分だし、遊園地以降に色々なことがあったし。あと、個人的には中間試験と期末試験を乗り越えたのも大きいわ」
「どっちの試験でも、ヒム子は必死になって勉強していたッスからね」
「1年のときに赤点を取ったことがあるからね。2年になった今も理系科目は苦手だから、赤点を取らないように頑張ったわよ」
定期試験は成績に大きく影響するし、もし1学期の成績で赤点だったら、特別課題があったり、夏休み中に学校で補習を受けたりしなきゃいけなかったから。定期試験でも成績でも赤点の科目がなくて本当に良かったわ。これも、沙綾達と一緒に定期試験の勉強会をしたおかげね。
遊園地の話題が出たので、それからは沙綾と遊園地でのことを話しながら列に並び続ける。
あと、今日は朝早くに朝食を食べたからお腹が空いてきて。なので、今朝、沙綾と待ち合わせをする前にコンビニで買ったおにぎりやスティック状の栄養食を食べた。そのおかげでお腹が膨れたし、これまでに並んだ疲れも取れた。ちなみに、沙綾はおにぎりとこしあんのようかんを食べていた。
そして、ホールへの出入口がだいぶ近づいたところでスマホが鳴り、
『沙綾さんの分の『紅園』の新刊同人誌セットを無事に購入できました!』
氷織、紙透、沙綾、あたしのグループトークに、氷織からそんなメッセージが送られた。沙綾はこのメッセージを見た瞬間、「おおっ!」と大きな声を上げ、
「買えたッスか! 嬉しいッス!」
と、ニッコリとした笑顔で言う。今日の中で一番の笑顔だわ。
「ひおりんにお願いしていた同人誌を代理購入してもらえたッス!」
「良かったわね、沙綾!」
「ええ! 凄く嬉しいッス! こちらも買えたと報告したいッスね!」
「そうね!」
そうすればきっと、氷織も今の沙綾のようにとても喜ぶだろうから。
沙綾はニコニコとした笑顔でスマホをタップして、
『どうもッス! 嬉しいッス! ひおりん、お疲れ様ッス! ちなみに、こちらはまだ並んでいるッス』
と返信を送っていた。あたしも、
『沙綾、凄く嬉しそうにしているわ。氷織、お疲れ様』
と返信を送った。
その後も沙綾と一緒に列を並んでいく。
ただ、沙綾は氷織から代理購入成功の報せを受けてか、かなり上機嫌で。本当に可愛いわ。今並んでいる『ばらのはなたば』の新刊同人誌も購入できて、もっと機嫌が良くなってほしいわね。
氷織からのメッセージをもらってから10分くらいで、あたし達はホールの中に入ることができた。1時間以上屋外で並んでいたから、建物に入るだけでも涼しく感じられる。
スタッフの方に案内され、『ばらのはなたば』のサークルスペースの見えるところまで来ることができた。外でずっと並んでいたから、「ようやくここまで来たか」と感慨深くなるわ。
また、この直後に、
「『ばらのはなたば』の新刊はお1人様3冊までとさせていただきます! ご了承ください! なお、この後も購入できる冊数が少なくなる可能性があります!」
と、『ばらのはなたば』のスタッフの女性からそんなアナウンスがなされた。沙綾の言う通り、購入制限がかかったわね。
「購入制限がかかったッスか」
「沙綾の言う通りね」
「ええ。あたし達の後も結構人が並んでいるッスからね。今の時点で3冊までッスから、問題なくひおりん、ヒム子、あたしの分の新刊を購入できると思うッス」
沙綾は落ち着いた笑顔でそう言った。こう言えるのも、これまでに何度もイベントで並んできた経験があるからだろう。
それからも定期的に列は前に進む。
そして、ほぼ同じタイミングで2つのカウンターが空いたので、沙綾とあたしはそれぞれ別のカウンターに向かう。
「新刊を2冊買いたいのですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ~」
隣のカウンターから沙綾と女性のそんなやり取りが聞こえて安心したわ。
さてと、あたしも新刊を買いましょう。
「新刊を1冊ください」
「新刊を1冊ですね! 500円になります!」
あたしの接客を担当してくれる女性は笑顔でそう言ってくれた。笑顔で接客されるのはいいものね。去年、タピオカドリンク店で接客のバイトを始めてから、その思いがより強くなった。
あたしは財布から500円玉を取り出し、カウンターにいる女性に手渡した。そして、
「新刊をご購入されたので、紙の手提げでのお渡しです。特典のコピー本と一緒に入っております」
「分かりました。ありがとうございます」
同人誌とコピー本が入った紙の手提げを受け取った。物凄い達成感だわ。そう思えるのは、きっと、会場前で3時間近く、そしてこのサークルの列に1時間以上並んだからなんでしょうね。
他の人の邪魔にならないように、すぐにサークルスペースを離れた。
あたしが離れた直後に、沙綾があたしのところにやってきた。氷織の分の代理購入もしたので、沙綾は紙の手提げを2つ持っている。そんな沙綾はウッキウキな様子で。
「ついに買えたッス! ひおりんの分も買えたので本当に嬉しいッス!」
その言葉通りのとっても嬉しそうな笑顔で言う沙綾。氷織から代理購入できたとメッセージをもらったときの笑顔が今日最高の笑顔だと思ったけど、今の笑顔で更新されたわね。今の沙綾を見ているとあたしも嬉しい気持ちになるわ。
「良かったわね、沙綾!」
「どうもッス!」
「あたしも買えて嬉しいわ!」
「そうッスか! ヒム子も無事に買えて良かったッス!」
「ありがとう! ……ねえ、ハイタッチしない? 何だかしたい気分なの!」
「やるッス!」
そして、沙綾とあたしは、
――パンッ!
と大きく音が鳴るほどに、しっかりとハイタッチした。笑顔の沙綾とハイタッチしたから、嬉しい気持ちが膨らんだわ。
「ひおりんに代理購入できたとメッセージを送るッス」
そう言い、沙綾は4人のグループトークに、
『ひおりんに頼まれていた同人誌、無事に購入できたッス!』
とメッセージを送った。
すると1分もしないうちに、
『ありがとうございます! 嬉しいです! 沙綾さん、お疲れ様です!』
『氷織、とても嬉しそうにしているよ。葉月さん、ありがとう。お疲れ様』
と、氷織と紙透からそんなメッセージが届いた。
氷織……とても嬉しそうにしているんだ。嬉しそうな笑顔の氷織が頭に思い浮かぶわ……うふふっ。きっと、合流したらそういった笑顔を実際に見られるでしょうね。
沙綾はスマホの画面を見ながら嬉しそうにしていた。
「代理購入できて良かったッス。……さあ、他6つのお目当てのサークルに行くッスよ。どのサークルもBLやGLの新刊同人誌を出しているので、気になったら買ってみるといいッス」
「分かったわ。じゃあ、行きましょう」
「そうッスね!」
沙綾は快活な笑顔でそう言った。
他の6つのサークルの同人誌も買えるといいわね、沙綾。そう思いながら、あたしは沙綾と一緒にホールの中を歩き始めた。