『恭子の初めての同人イベント-①-』
『恭子の初めての同人イベント』は、特別編7の第2話からエピローグまでの内容を恭子視点で書いたものです。
『恭子の初めての同人イベント』
8月14日、土曜日。
午前5時半過ぎ。
あたし、火村恭子は高野駅に向かって家を出発した。この後、午前6時に高校の同級生の友達の葉月沙綾と駅で待ち合わせをする予定になっている。
どうして、こんなに朝早く沙綾と待ち合わせをするのか。
実は今日、都心の方で開催されるコミックアニメマーケットという同人誌即売会に沙綾と一緒に一般参加するからだ。沙綾からのお願いで、お目当ての同人誌を買える確率を少しでも上げるために、朝早くに待ち合わせすることになった。
沙綾曰く、コミックアニメマーケットとは世界最大級の同人系のイベントとのこと。毎年、お盆の時期と年末の時期に開催される。今年の夏のコアマは昨日から開催され、明日までの3日間。オリジナルから既存作品の二次創作まで幅広いジャンルで同人誌を頒布したり、数多くの企業がグッズを販売したりするので、非常に多くの人がイベントに訪れるとのこと。3日間の開催で50万人以上が来場するのだとか。同人誌やグッズなどを買うために来場することを「一般参加」と言うとのこと。あと、このイベントは「コアマ」という略称でよく呼ばれるらしい。
あたしが沙綾と一緒にコアマに参加することになったきっかけは、一昨日、あたしが、
『土曜日遊ばない?』
とメッセージを送ったこと。そうしたら沙綾が、
『申し訳ないッス。土曜日はコアマっていう同人イベントに一般参加する予定ッス。もし、コアマに興味があるなら、一緒に参加するッスか?』
とお誘いの返信をくれたからだ。
コアマという単語はネットとかで見たことがある程度で、同人イベントに参加したことは一度もない。ただ、仲のいい友達が行くイベントだから、コアマがどういった感じなのか気になった。
沙綾にコアマの説明をしてもらうと、コアマに参加してみたくなってきて。そして、当日にはあたしのクラスメイトで滅茶苦茶大好きな友達の青山氷織が恋人の紙透明斗とコアマデートをして、お互いに買うのを頼んだ同人誌を渡し合うために沙綾と会場で会う予定であると知り、参加したい気持ちが物凄く強くなって。
『あたしも参加したいわ!』
と沙綾に返信して、沙綾と一緒にコアマに一般参加することになったのだ。
あと、沙綾とあたしは、クラスメイトで友人の清水美羽と倉木和男をコアマに誘った。ただ、
『誘ってくれてありがとう! でも、土曜日は和男君とデートに行く約束をしているから行けないの。ごめんね』
『すまん! 土曜は美羽とデートの予定があるから行けないぜ』
と、2人は既に別のところへデートに行く約束があると断られた。美羽と倉木はもちろん、氷織と紙透もそれぞれデートを楽しんでほしいわ。
途中にあるコンビニでおにぎりやゼリー飲料などのお昼ご飯を買って、高野駅に向かう。真夏の時期だけど、早朝だからあまり暑くなくて快適だわ。
コンビニを出てから少しして、高野駅に到着した。
今は午前5時55分。約束の5分前だけど、沙綾はもういるかしら。
沙綾との待ち合わせ場所は改札前。そこへ行くと、
「ヒム子!」
改札前に沙綾がいた。沙綾らしい快活な笑顔で、あたしに向かって手を振ってくる。可愛いわ。スラックスにノースリーブのパーカーという服装も似合っているし。そんなことを思いながら、あたしは沙綾に向かって手を振った。
「おはようッス、ヒム子!」
「おはよう、沙綾。今日はコアマに誘ってくれてありがとう」
「いえいえ! 友達と一緒に参加できるのは嬉しいッスし。今日は一緒にコアマを楽しむッス!」
沙綾はニコッとした笑顔でそう言ってくれる。そのことに嬉しい気持ちになるわ。
「一緒に楽しみましょう!」
「ええ! ……ちなみに、ヒム子。昨日はちゃんと眠れたッスか?」
「うん。よく眠れたわ」
沙綾曰く、コアマでは炎天下の中で並んだり、広い会場を歩いたりするから体力勝負な一面があるとのこと。なので、しっかりと寝るように言われた。今日は朝早く行くから、昨日はいつもよりも早く寝たわ。バイトの疲れもあったからすぐに眠れたわ。
「それなら良かったッス。……あと、ヒム子。ジーンズパンツにノースリーブの縦ニットの服装が似合っているッスよ。綺麗で可愛いッス」
「ありがとう。沙綾もよく似合っているわ。可愛いわよ」
「どうもッス。……じゃあ、さっそく行くッスか。ヒム子、ICカードにお金はチャージしてあるッスか?」
「ええ。昨日のバイト帰りにチャージしたわ」
「了解ッス。では、行くッス」
「その前に一緒に写真撮っていい? 一緒に同人イベントに行く記念に」
「いいッスよ」
「ありがとう」
その後、あたしのスマホで沙綾と自撮り写真を撮った。その写真はLIMEというSNSアプリで沙綾のスマホに送った。
写真を撮った後、沙綾とあたしは改札を通り、NRの東京中央線快速という路線の上り列車が停車するホームに向かう。
土曜日の早朝なのもあってか、ホームにはほとんど人がいない。沙綾とあたしを含めても10人いかないくらい。通学のときは別の駅を使っているけど、朝と夕方なので人が多い。なので、人が全然いないホームは新鮮に感じた。
ホームにある電光掲示板を見ると……次に来る電車は午前6時5分か。沙綾と話していればあっという間よね。
コアマのことや、最近観ているアニメのことを沙綾と話していたら、気付けば電車が進入してきていた。
電車が停車して扉が開く。
降車する人がいないので、沙綾とあたしは扉が開いてすぐに乗車した。
土曜日の早朝なのもあって、車内はとても空いている。座席も空席となっている場所がいっぱいあって。
あと、氷織と紙透は……いないわね。2人も朝早く行くそうだし、2人の家の最寄り駅は高野駅よりも下り方面にあるから、電車に乗っているかなって思ったんだけど。見える範囲にはいないだけで、同じ電車に乗っているのかしら。それとも別の電車かしら。
沙綾とあたしは、乗車した扉のすぐ近くの席に隣同士に座った。
「あぁ、涼しいし座れたし快適だわ」
「そうッスね。学校の行き帰りで電車に乗るときは満員電車で全然座れないッスから、座れるのは嬉しいッス」
「分かるわ。あたしは地下鉄を使うけど、行きも帰りも全然座れないわ。通学で座れたのは数回くらいだと思うわ」
「あたしもそのくらいッスね。座れた日は凄く気分がいいッス。特に行くときに座れたら」
「それも分かるわ」
沙綾もあたしも電車通学だから、こういうところで共感できて嬉しいわ。
それから程なくして、あたし達が乗る電車は定刻通りに高野駅を発車した。
「確か、琴宿駅で別の路線に乗り換えるのよね」
「そうッス。東玉線という路線に乗り換えるッス。その路線の電車の中には、会場の東京国際展示ホールの最寄り駅に行くなぎさ線という路線に直通する電車があるッス」
「そうなのね。……方向音痴ではないけど、東京国際展示ホールに行くのは初めてだし、行ったことがある沙綾と一緒だと安心するわ」
「そうッスか。コアマなどで琴宿駅は何度も行ったことがあるッスから任せるッス」
沙綾は穏やかな笑顔でそう言ってくれる。今の沙綾はとても頼れそうなオーラが出ているわ。今日参加するコアマはあたしは初めてで、沙綾は何度も参加したことがあるから、沙綾が頼りになるって思うことは何度もあるんでしょうね。
「……コアマ楽しみだわ。コアマはもちろん、同人イベントに参加するのが初めてだから」
コアマは初めてだし、コアマの雰囲気を楽しむのが一番の目的だから、あたしは沙綾とずっと一緒に行動を共にすることになっている。
沙綾はBLやGLの漫画の新刊同人誌を出すサークルをいくつか廻るとのこと。あたしはBLやGLものはそれなりに読むので、気になったら買うつもりでいる。
「そうッスか。ヒム子に楽しんでもらえたら嬉しいッス」
「ええ」
沙綾と一緒にコアマと楽しみたい。氷織と紙透と合流してからは2人ともね。
それからは沙綾と話しながら電車内での時間を過ごす。
琴宿駅は高野駅の次の駅なので、数分ほどで到着した。
電車を降りて、東玉線の電車が到着するホームへ向かう。琴宿駅はとても広い駅だけど、沙綾が「こっちッス」と案内してくれるので、ホームまでは迷わずに行くことができた。沙綾が頼りになるってさっそく思った。
ホームの電光掲示板を見ると……電車はそれなりの本数が走っているけど、なぎさ線に直通する電車は今から15分後なのね。あたし達はその電車に乗ることにした。
沙綾と一緒にホームでなぎさ線直通の電車を待つ。
そして、定刻通りになぎさ線直通の電車がやってきた。沙綾とあたしは乗車する。
車内は……空いてはいるけど、琴宿駅まで乗っていた東京中央線快速とは違って、席は全て埋まっていた。なので、あたし達は開いている扉とは反対側の扉の近くに立つことに。
あと、さっきの電車とは違って、漫画やアニメのキャラクターが印刷されたシャツを着た人や、バッグやリュックを持った人が何人もいる。もしかしたら、ああいった人達の目的地はコアマかもしれない。
あたし達の乗る電車は定刻通りに琴宿駅を発車した。
「発車したッスね。この電車に乗っていれば、最寄り駅の国際展示ホール駅まで行けるッスよ。30分くらいッスね」
「そうなのね。乗り換えしなくていいと思うと、だいぶ近づいた感じがするわ」
「何だか分かるッス」
「ふふっ。……ちょっと話は変わるけど、さっき乗った電車とは違って、この電車にはアニメのシャツを着たり、バッグやリュックを持っていたりする人が何人もいるわね。みんなコアマが目的地だったりするのかしら?」
「その可能性は大ッスね。この電車は会場の最寄り駅に行くッスから。それに、これまでもコアマに行ったときにこの路線に乗ると、アニメ関連のものを身に付けたり、グッズを持っていたりする人達がいて、そういった人達はみんな国際展示ホール駅で降りたので。個人的に、今の車内の光景もコアマらしいなって思えるッス」
「そうなのね」
コアマではサークルが漫画やアニメなどの二次創作のものを頒布したり、企業がグッズを販売したりすると沙綾から聞いている。だから、自分の好きな作品のグッズを持ったり、身に付けたりしてコアマに参加したくなるのかも。
「今後もそういった人達が乗ってくると思うッス。あと、途中、いくつかの駅で、別の路線から乗り換える人達がたくさん乗ってくるッス。そのときはかなり混むので覚悟しておいてほしいッス」
「分かったわ」
沙綾、結構真剣な表情で言ったわね。電車通学をしているあたしにこういう雰囲気で言うなんて。相当な数の人が乗ってくるのかも。覚悟しておかないと。
その後は沙綾とコアマやアニメなどの話をしたり、
「わぁっ、スクランブル交差点よっ! 実際に見るとあんな感じなのねっ」
「あははっ、ヒム子大興奮ッスね」
「だって、凄く有名な場所だしっ。それに、この路線は全然乗ったことがないんだものっ」
車窓から見える都心の有名な場所にあたしが興奮したりして、電車の中での時間を過ごしていく。結構楽しい。
そして、琴宿駅を発車してから15分近く経って、
『まもなく、小崎駅。小崎駅。お出口は右側です』
もうすぐ小崎駅という駅に到着するとアナウンスされた。
「ヒム子。次の小崎駅は、たくさんの人が乗ってくる駅の一つッス」
「そうなのね。分かったわ」
どのくらい多くの人が乗ってくるんだろう。そして、そのことでどのくらい混雑するんだろう。緊張してきたわ。
ちなみに、今の電車内は、立っている人はそこそこいるけど、体が触れることはない。なので、通学での満員電車に比べたらかなり快適だ。
それから程なくして電車は減速して、小崎駅に入る。開く予定の扉の方に視線を向けると――。
「な、何か人がたくさん立っているわね」
かなりの数の人がホームに立っているのが見える。
「もしかして、あの人達みんなコアマ目当て?」
「大半の人はそうだと思うッス」
「そうなのね……」
これは……本当に覚悟しないといけないわね。
小崎駅に停車して、扉が開いた。2、3人が降車すると、ホームに立っているたくさんの人達が一斉に乗ってきた!
「うわっ!」
たくさんの人達が一気に乗ってきたので、後ろから勢い良く押されてしまう。そのことで、扉を背にしてあたしと向かい合う形で立っている沙綾に向かって倒れてしまいそうになる。
――ドンッ!
沙綾に向かって倒れてしまわないためにも、あたしは扉に右手を付ける。そのことで倒れずに済んだ。後ろに乗客がたくさんいるので、沙綾と密着する形に。あと……この体勢だと、まるで沙綾に壁ドンしちゃっている感じね。
それにしても、物凄く人が乗ってきたわね。朝の通学の満員電車以上の混み具合だわ。背中から圧力を感じるわ。
「沙綾、大丈夫?」
「大丈夫ッスよ。扉に寄りかかっている体勢ッスし、ヒム子がクッションになってくれているッスから」
沙綾は朗らかに笑いながらそう言ってくれる。今までで一番と言っていいほどに近いところから笑顔を向けられているからキュンとなっちゃうわ。それに、沙綾の温もりとか甘い匂いとかそこそこある胸中心に体の柔らかさとかが感じられるし。定期的に沙綾の生温かい吐息もかかってくるし。だからちょっとドキドキしてきたわ。
あと、沙綾と密着していると、氷織とも電車内で密着したくなってくるわ。会場で合流する予定だし、帰りの電車の中でくっついてみたいわ。
「大丈夫なら良かったわ」
「ヒム子は大丈夫ッスか? 勢い良く押された感じもしたッス、倒れてきそうにも見えたッスし」
「ええ、大丈夫よ。通学するときの電車以上に混んでいるけれど……目の前に沙綾がいるからね。沙綾が可愛いし、沙綾の体を感じているからちょっとドキドキしてる。壁ドンみたいな体勢になっているしね」
「あははっ、そうッスか。何だかヒム子らしいッス」
そう言い、沙綾はニコッと笑いかけてくれる。沙綾、本当に可愛いわ。あと、沙綾はあたしよりも少し背が低いのもあって、庇護欲をかき立てられる。……満員電車の中で沙綾が変なことをされないように、沙綾のことはあたしが守るわ。
それから程なくして、あたし達が乗る電車は小崎駅を発車する。
「本当に混雑しているわね。いつもコアマに行くときはこんな感じなの?」
「小崎駅を発車したときはこんな感じッス。あと、この次の小井町駅でも、多くの人が乗ってくるッス」
「……そ、そうなのね。覚悟しておくわ」
そして、次の小井町駅でも沙綾の言うように多くの人が乗ってきて、電車内はさらに混雑する。人生で一番、混雑している電車に乗っているわ。学校に行くとき、遅延して遅れた電車に乗ったときでさえもこんなに混んでいることはなかったし。コアマには非常に多くの人が参加することまさに肌で実感している感じがするわ。
ただ、人生で一番の混雑さを体感しているけど、目の前に沙綾がいるおかげで嫌な気持ちにはならなくて。小さい声で沙綾と話すとちょっと楽しくも思えてきて。
その後、会場の最寄り駅である国際展示ホール駅まで、電車の中は超混雑する状態が続くのであった。
夏休み小話編2がスタートしました! 既に完成しており、2つの小話を全6話でお送りします。
1日1話ずつ公開していく予定です。よろしくお願いします。