第6話『触っていいのは私だけです。』
「ふあああっ……」
とても気持ちいい気分の中で目を覚ました。寝る前と同じく、視界には黒いビキニに包まれた氷織の大きな胸があって。そのおかげで、とてもいい目覚めになった気がする。
「あっ、起きましたね」
氷織は俺のことを覗き込みながらそう言った。そんな氷織の顔にはいつもの優しい笑みが浮かんでいて。目を覚ましてすぐに氷織の笑顔を見られることに癒やされて、幸せな気持ちになる。
「おはよう、氷織」
「おはようございます」
「どのくらい寝てた?」
「30分くらいでしょうか」
「30分か。昼寝にはちょうどいい時間だな。氷織の膝枕のおかげで気持ち良く寝られたよ。ありがとう」
そうお礼を言って、俺はゆっくりと体を起こした。その際に、氷織におはようと膝枕のお礼のキスをした。
30分昼寝したのもあって、眠気がなくなってスッキリしている。これなら、午後も氷織と一緒に海水浴デートを楽しめそうだ。
「いえいえ。私も明斗さんを膝枕して楽しかったです。寝ている明斗さんの写真をスマホで撮ったり、そっと体を触ったりして」
「そうだったのか」
色々なことをしていたんだな。
「あと……お試しで付き合っている頃、初めて私の家でお家デートしたときのことを思い出していました。あのときも、明斗さんは私の膝枕でお昼寝をしましたから」
「そうだったな。あれが初めての膝枕だったな。氷織の膝枕があまりに気持ち良かったから。あのときも30分くらい寝たっけ」
「そうでしたね。あのときは私が起こす形でしたね」
「そうだったな」
今回みたいに自然に起きるのも気持ちいいけど、氷織に起こされる形で起きるのも気持ち良かったな。
初めて膝枕をしたときのことを思い出しているのか、氷織は穏やかな笑顔になっている。
「あのときはゴールデンウィークでしたから、もう3ヶ月半以上経つんですね」
「そうだな。お試しで付き合っていた頃だから、結構昔のことのように感じる」
「そうですね」
3ヶ月半ほどの間に色々なことがあったし、その中で俺と氷織も正式に付き合う関係になった。正式に付き合い始めてからはキスもよくしているし、何度も肌を重ねている。それもあって、初めて膝枕してもらった頃が昔のことに思える。
「……あっ」
お昼ご飯のときに、氷織が持ってきてくれた麦茶を全部飲んだからだろうか。急にもよおしてきた。
「氷織。お手洗いに行ってくるよ」
「分かりました。いってらっしゃい」
俺はビーチサンダルを履いて、海水浴場の端の方にあるお手洗いへと向かう。俺達の拠点は海水浴場のやや外れの方にあるので、お手洗いまでは割と近い。
お手洗いで無事に用を済ませて、レジャーシートに向かって歩き始める。
お昼過ぎの時間帯なのもあって、俺達がこの海水浴場に来たときよりも人が多くなっているなぁ。砂浜の端の方まで、ビーチパラソルやレジャーシートなどを使って確保されている場所が増えている。
あと、ビーチにいる人の中には、ラムネを飲む人やかき氷を食べる人とかがいて。お昼ご飯を作ってくれたお礼に、ああいった冷たいものを氷織に奢りたいな。そんなことを思いながら海水浴場を歩いているときだった。
「あらぁ、凄くイケメンな子」
「凄くかっこいいね! 背も高くて体つきもいい感じ」
目の前に金髪の女性と黒髪の女性が立ちはだかった。2人とも若そうだけど、高校にいる女子よりは大人っぽい雰囲気だ。大学生から20代半ばくらいだろうか。
2人とも興味津々そうな様子で俺のことを見ている。この様子からして逆ナンかな。
「ねえねえ、お姉さん達と一緒に遊ばない?」
「今日の海水浴場では君が一番いいと思ってるよ!」
逆ナンだった。
この海水浴場に来てから氷織と一緒にいるけど、今は一人。一人でいるからナンパしようと思ったのだろう。
前回の海水浴ではお手洗いからの帰りに火村さんがナンパされたけど、今回は俺がナンパされるとは。それに、前回は水着に着替えて、和男と一緒に氷織達を待っているときに女性に逆ナンされたし。男女問わず、この海水浴場はナンパスポットなのだろうか。そんなことを考えていたら、女性達は俺のお腹のあたりをペタペタと触ってきた。
「わあっ、いい体してる」
「そうだね」
俺の体を触って女性達はますます興味津々な様子になる。見知らぬ人に勝手に素肌を触られるのって嫌な気分だ。
プールデートのとき、氷織はお手洗いの前で男達にナンパされていた。氷織の場合は俺が駆けつけたから男達に触られずに済んだけど、あのときの氷織もこういったような気持ちを抱いていたのだろうか。
「勝手に触らないでください」
俺は女性達から一歩引く。
「えぇ。別にいいじゃない、褒めているんだし」
「それに減るものじゃないんだしね」
「見知らぬ人から勝手に体を触られるのが嫌なんです。あと、彼女と一緒に海水浴デートに来ているんで。そういうお誘いはお断りします」
「彼女と来ているの?」
「本当なの?」
「本当ですよ。私がこちらの男性の彼女なので」
そう言う氷織の声が聞こえた。
声がした方に視線を向けると、氷織がすぐ側まで来ていた。氷織の存在に安心感を抱く。
氷織は俺と目が合うとニコッとした可愛い笑みを見せ、女性達の方を向きながら俺の右腕をぎゅっと抱きしめてきた。
「私という彼女がいますので、これ以上彼にナンパするのは止めてください。あと、私の彼氏が嫌がることをしないでください。勝手に彼の体を触らないでください。触っていいのは……私だけなんですから」
氷織は真剣な様子で女性達のことをしっかりと見ながらそう言った。あと、氷織の言葉が嬉しいし、心強くも感じられる。
彼女である氷織の登場と、氷織からの強い拒否の言葉に女性達は気まずそうにしている。
「えっと、その……本当に彼女と一緒に来ていたんですね。すみません」
「人様の彼氏の体を勝手に触っちゃってごめんなさい」
「た、楽しいデートにしてくださいねっ!」
「もうナンパしませんので!」
苦笑いをしながら謝罪の言葉を言うと、女性達は早歩きで俺達の元から立ち去っていった。女性達がいなくなってくれて一安心だ。
「立ち去ってくれて良かった。来てくれてありがとう、氷織」
「いえいえ」
氷織はそう言うと、俺にニコッと笑いかけてくれる。
「お手洗いのある方を見ながら明斗さんの帰りを待っていたら、さっきの女性達が明斗さんの前に立ち止まったのが見えまして。明斗さんの体を触っていたのが見えたので、これはナンパ目的だと思って、明斗さんのところへ行ったんです。明斗さんが嫌そうな様子になっていたので急がなければと」
「なるほどな。来てくれて助かったよ。俺の体を触ってきたし、彼女とデートに来たって言っても本当なのかって疑っていたから。氷織が来なければ、もっとしつこく食い下がられていたかもしれない。氷織が来てくれて安心したよ」
「そうですか。早く気づけて良かったです」
氷織は穏やかな笑顔でそう言ってくれる。さっきナンパされたのもあって、氷織の笑顔を見ているととても安心感がある。
「前回は恭子さんで、今回は明斗さんですか。あと、前回は倉木さんと一緒に、私達が着替えるのを待っていたときにナンパされたんでしたっけ。この海水浴場はナンパのスポットなんですかね? 明斗さん達が素敵なのもあると思いますが」
「俺もナンパされたときに、ここがナンパスポットかなとは思ったよ」
「そうでしたか。あと、明斗さんはゴールデンウィーク中にも逆ナンされていましたよね。萩窪駅の周辺でデートするときの待ち合わせで」
「あったなぁ」
ゴールデンウィークの頃、氷織と萩窪デートした。その待ち合わせ場所で、俺は氷織と会う前に大学生の女性に逆ナンされたっけ。俺の中ではセクシーお姉さんと呼んでいた。氷織とお試しで付き合っていた頃の話なので、結構前のことのように感じる。
「明斗さんはとてもかっこよくて素敵ですからね。ナンパしたくなる女性が多いのかもしれません」
「そう……なのかな? ただ、かっこよくて素敵だって氷織が言ってくれるのは嬉しいよ。……プールデートのとき、氷織は男達にナンパされていただろう? あのときの氷織ってこういう気持ちだったのかなって思ったよ。あの女性達に体を触られて嫌だなって思ったときに」
「私の場合は明斗さんのおかげで体を触られることはありませんでしたが、逃げるつもりかって大声で言われたので、それが怖くて嫌でしたね。明斗さんが助けに来てくれて安心したのをよく覚えています」
「そっか。あと、俺を触っていいのは私だけって言ってくれたのが嬉しかったし、可愛かったな」
「あの女性達が明斗さんの体を触っているのを見て嫌な気持ちになりましたからね。明斗さんも嫌がっていましたし。なので、ああいったことを言いました」
氷織は照れくさそうな笑顔で話す。そんな氷織がとても可愛くて、愛らしいなって思う。
「ここに来てくれて、俺を助けてくれてありがとう、氷織」
俺は氷織にお礼のキスをする。
何秒かして俺から唇を離すと、目の前にはほんのりと頬を赤くしながら可愛い笑顔で俺を見つめる氷織がいた。
「いえいえ。彼女として明斗さんを助けられて良かったです」
「ありがとう。……なあ、氷織。美味しいお昼ご飯を用意してくれたこととナンパから助けてくれたことのお礼に、海の家で何か冷たいものを奢らせてくれないか? まあ、ナンパされる前に、お昼のお礼に奢りたいって考えていたけど」
「ふふっ、そうですか。では……お言葉に甘えて、かき氷を奢ってください」
「分かった」
その後、俺達は財布を取りにレジャーシートに戻ってから、近くにある海の家へかき氷を買いに行った。
お昼過ぎの時間帯なのもあり、10分ほど並んでかき氷を買うことができた。俺はメロン味で、氷織はイチゴ味。約束通り、氷織のかき氷は俺が奢った。
レジャーシートに戻って、俺達はスマホでかき氷の写真を撮る。
「では、イチゴ味のかき氷いただきますっ!」
「どうぞ召し上がれ。俺もメロン味いただきます」
俺はスプーンでメロン味のかき氷を一口分掬い、口の中に入れる。
「おぉ……」
口の中に入れた瞬間、かなりの冷たさを感じて。氷なので当たり前だけど、この冷たさに思わず声が漏れてしまった。そんな俺の反応を見てか、氷織はかき氷を食べながら「ふふっ」と笑っている。
冷たさと共に、シロップの強い甘味とメロンの風味が感じられて美味しいな。
「あぁ、冷たくて美味しい」
「イチゴ味のかき氷も美味しいです!」
そう言って、氷織はイチゴ味のかき氷をもう一口食べる。美味しいのか「う~ん!」と可愛らしい声を出して。そんな氷織を見て、自然と頬が緩んでいく。
俺もメロン味のかき氷をもう一口食べると……さっきよりも甘味が増したような気がした。
「昔、家族で海へ遊びに行くと、両親が海の家でかき氷やラムネといった冷たいものを買ってくれました」
「そうだったんだ。俺も家族で海に来たときは、両親に冷たいものを買ってもらったな。かき氷やラムネはもちろん、海の家で氷水に冷やしたスイカとかも」
「ふふっ、そうだったんですね。かき氷を食べると、七海と舌を見せ合って舌がシロップの色に染まっているか確認し合いましたね」
「俺も姉貴とやった」
舌を見せ合って色を確認するのって、かき氷を食べたときのあるあるな行動の一つなのかもしれない。
氷織とお互いに思い出を語ったのもあり、メロン味のかき氷がますます美味しく感じられる。こういう思い出話は食べ物を美味しくするいい調味料なのかもしれない。
「明斗さん」
俺の名前を呼ぶと、氷織は舌を出して、
「ひた、あかくなっへまふか?」
と言ってきた。今の話の流れからして、「舌、赤くなってますか?」って訊いているのだろう。
氷織の舌を見てみると……一部分が赤くなっている。イチゴシロップによるものだろう。舌が赤いのはもちろん、舌を出しながら喋る氷織がとても可愛い。
「うん、赤くなってるよ」
と言って、俺はスマホで舌を出している氷織を撮影した。あと、写真で改めてみると、舌を出している氷織って可愛いだけじゃなくて、ちょっとエロさも感じられる。
舌を出した氷織の写真を氷織本人に見せると、氷織はクスッと笑う。
「赤くなってますね」
「ああ、なってる」
「ふふっ。……明斗さんの舌が緑色になっているかどうか見たいです」
「分かった」
俺は舌を出して、
「ほうだ?」
と、氷織に問いかける。「どうだ?」と訊いているのだけど、舌を出した状態だから喋りにくいな。
「ふふっ、可愛いです。明斗さんの舌……見事にメロンの緑色になっていますね」
やっぱりなっていたか。
氷織は自分のスマホを使って、舌を出している俺の写真を撮影した。こんな感じです、と画面を見せると、俺の舌は見事に緑色になっていた。
「ほんとだ、緑色になってる」
「ふふっ。いい写真が撮れました。LIMEで送っておきますね」
「ありがとう。俺も送るよ」
「ありがとうございますっ」
俺達はシロップで色が変わった舌を出した写真を送り合った。自分が写っている写真だけど、氷織が撮ってもらったものだといい写真に思える。
それからも俺達はかき氷を楽しむ。俺の選んだメロン味はもちろん、
「明斗さん、あ~ん」
「氷織もあーん」
氷織と一口交換して食べさせてもらったイチゴ味も美味しくて。氷織もメロン味も美味しいと言って。まあ、かき氷のシロップは同じ味で、色や香料の違いで脳を錯覚させて違う味なのだと認識させられるそうだけど。それでも、氷織のおかげで2種類の味を楽しめたのだと思えて幸せな気持ちになれた。