第1話『夏休みの始まり』
7月21日、水曜日。
今日から高校2年生の夏休みが始まった。
去年までとは違い、今年は氷織という恋人がいる中で夏休みを迎えられた。去年の夏休みには想像できなかったことだ。当時の俺に、来年の夏休みには氷織と付き合っていると伝えても信じてくれないかもな。当時は氷織に片想いする前だったし。氷織も告白を全て振っていたから。あの頃の氷織は無表情が基本で、葉月さんなどの友人の前でたまに微笑む程度の『絶対零嬢』だったから。
去年の夏休みはバイトをしたり、アニメや漫画やラノベといった趣味を謳歌したり、たまに和男をはじめとした友人と遊んだりする日々だった。それも楽しかった。
今年の夏休みはどんな夏休みになるだろうか。
今のところ、決まっている予定は、バイトを除けば数日後に行く海水浴のみ。でも、きっと……夏休み中には氷織とたくさん会って、デートするのだろう。夏休みだからお泊まりもしたいな。氷織のことを想像するだけで幸せな気持ちになってくる。
「想像するだけで楽しくなってきたな……」
大好きな恋人のパワーだろうか。
ただ、氷織のことを想像していたら、氷織に会いたくなってきた。今日、氷織は何か予定があるとは聞いていないし、俺もバイトのシフトは入っていない。今はお昼前だから、午後にデートしようかと誘ってみようかな。
――プルルッ、プルルッ。
ローテーブルに置いてある俺のスマホが鳴る。この鳴り方は……誰かから電話がかかってきているのか。
スマホを確認すると、LIMEで着信しており、発信者は『青山氷織』となっている。思わず「おっ」と声が漏れた。
「はい。明斗です」
『氷織です。こんにちは。今、お話ししても大丈夫ですか?』
「ああ。大丈夫だよ。氷織の声が聞けて嬉しいな」
氷織に会いたいって思っていたから。氷織から電話がかかってきたことも含めてとても嬉しいよ。
『ふふっ。明斗さんがそう言ってくれて、明斗さんの声が聞けて嬉しいです』
「ははっ、そうか。……それで、どうかしたか? 俺の声が聞きたくて電話してくれたのか?」
『声が聞きたかったのもあります。ただ、一番の目的は……午後に明斗さんとデートしたいなって。今日は晴れて暑いですから、どちらかの家でお家デートできればと』
「お家デートいいな。実は俺も……氷織に会いたくて、デートに誘おうかなって思っていたんだ」
『そうだったんですか!』
えへへっ、と氷織の可愛らしい笑い声が聞こえてくる。氷織の可愛い笑顔が自然と頭に思い浮かぶ。
『実は私も明斗さんに会いたくて。平日なのに明斗さんと会わないのが寂しくて。昨日までは会っていましたから』
「学校があったから、平日は必ず会っていたもんな」
『ええ。ですから、明斗さんに会いたい気持ちもあって、デートのお誘いをしました。今日はバイトないって分かっていましたし』
「なるほどな」
俺のバイトのシフトは決まり次第、氷織に伝えている。事前に俺のシフトが分かっていれば、デートに誘ったけどその日はバイトがあって無理……ということも減るから。
「じゃあ、今日の午後はお家デートをしよう。じゃあ、午後になったら、氷織の家でお家デートしてもいいかな」
『いいですよ。分かりました』
今日の午後は氷織の家でお家デートになった。初日から氷織とデートできるなんて。夏休みのいいスタートが切れそうだ。
『お家デートですけど、夏休みですし、明斗さんさえよければ課題もやりますか?』
「うん。1科目でもいいから課題を一緒にしようか。早くやるに越したことはないし。それに、分からない部分があったらすぐに訊けるし」
『そうですね。では、課題もやりましょうか』
「うん、やろう」
小学生の頃から、夏休みの課題をすることはあまり苦に感じない。ただ、氷織と一緒なら楽しくできる気がする。それに、期末試験も1位だった氷織が側にいると心強いから。
その後も話し続けて、今日のお家デートでは数学科目の課題を一緒にやることに決めたのであった。
午後1時45分。
俺は氷織の家に向かって、自宅を出発する。氷織の家には午後2時頃に伺うことになっている。
夏本番の直射日光を背中から浴びるとかなり暑い。今日の最高気温は34度予想だけど、この暑さだと猛暑日になっている可能性もありそうだ。ただ、自転車で走っているから、顔に受ける空気は多少気持ち良く感じられるのが幸いだ。それに、行き先は氷織の家だし、涼しい部屋の中で氷織と一緒にいられるから、暑い中自転車を漕ぐのも頑張れる。
登下校の際も通る広い道は、車がちょくちょく走っている。しかし、歩いている人や自転車を漕いでいる人はあまりいない。普段の平日昼過ぎの様子がどうなのかは分からないけど、この暑さは人をあまり見かけない一因になっていそうだ。
自宅を出発してから10分ほど。
氷織の家が見えた。蒸し暑い中で漕いだから疲れを感じ始めていたけど、氷織の家が見えたことで疲れが取れた気がした。
氷織の家の門の前で自転車を降りる。
門を開けて、自転車を押して家の敷地の中に入った。青山家のみなさんから、自転車で来たときには庭に停めることの許可をいただいている。
自転車を停め、俺は玄関の前に立つ。その瞬間に、額や首筋、胸元に汗が流れていることに気付いた。いくら氷織が俺の汗の匂いが好きだとはいえ、汗がダラダラなのはまずいだろう。スラックスからハンカチを取り出し、汗を拭った。
――ピンポー。
『はいっ。明斗さん』
インターホンが鳴り終わる前に、スピーカーから氷織の声が聞こえてきた。約束の時間が迫っていたし、モニターの前で待ち構えていたのかも。あとは門が開く音がして俺が来たと分かったのもありそうだ。
「明斗です。来たよ」
『お待ちしていました。すぐに行きますねっ』
弾んだ声でそう言うと、プチッという小さなノイズが聞こえた。きっと、すぐに氷織が来てくれるだろう。
それから10秒も経たないうちに、
「明斗さん、いらっしゃい」
玄関が開き、膝丈のスカートにノースリーブの襟付きブラウス姿の氷織が姿を現した。よく似合っている。笑顔も相まって、とても可愛らしい。涼しげな格好なので、気持ちが爽やかに。
「こんにちは、氷織。お家デートに誘ってくれてありがとう」
「いえいえ。明斗さんに会いたかったですから。Vネックシャツ姿の明斗さん、素敵です」
「ありがとう。氷織もノースリーブのブラウス似合ってるよ。可愛い」
「ありがとうございます。嬉しいです」
ニッコリと笑ってそう言うと、氷織は俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。その流れで俺の胸に顔を埋めてきて。
蒸し暑い中で自転車を漕いできたけど、氷織から伝わってくる温もりはとても心地いい。温もりと同時に、氷織の甘い匂いもしてきて。右手で氷織の頭をポンポンと優しく叩くと、髪からシャンプーの甘い香りもしてくる。癒やされる。
「あぁっ……汗混じりの明斗さんの匂い。最高ですっ……」
「ははっ。氷織らしいな。氷織の匂いも最高だぞ」
「良かったですっ」
そう言うと、氷織は俺の胸から顔を離す。俺のことを見上げて、いつもの優しい笑みを浮かべる。そんな氷織も本当に可愛くて。
氷織の笑顔に吸い込まれるような形で、俺から氷織にキスする。
全身を氷織の温もりに包まれる中、唇から伝わる温もりも心地良くて。氷織の唇の柔らかい感触もいい。
俺から唇を離すと、目の前にはうっとりとした様子で俺を見つめる氷織の姿があった。
「夏休み最初のキス……とても良かったです」
「そっか。俺も良かったよ。夏休み中もたくさんキスしたいって思った」
「私もです。夏休み中もたくさん会って、たくさんキスしましょうね」
「ああ」
俺がそう返事すると、氷織はニコッと笑って「ちゅっ」とキスしてきた。自分からするキスもいいけど、氷織にされるキスもいいな。夏休み初日から何度もキスできて幸せだ。
「じゃあ、お邪魔します」
「はい、どうぞ」
俺は氷織の家の中に入るのであった。