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第8話『氷織とお風呂-前編-』

 俺達は1階の洗面所に向かう。

 七海ちゃんがお風呂を出てからそこまで時間が経っていないからだろうか。洗面所に入った途端、七海ちゃんから香ってきたものと同じ甘い匂いが感じられた。

 氷織の側で、俺は甚平と下着を脱いでいく。

 氷織と一緒にお風呂に入るのは今回が初めてじゃないし、肌を重ねたことだってある。それでも、段々とドキドキしてきて。視界には服を脱いでいく氷織の姿があるし、衣擦れの音もするからだろうか。……あと、浴衣の下には水色の下着を付けていたのか。氷織は青系の色が本当に好きなんだなぁ。

 俺は服を全て脱ぎ、脱いだ服を袋にしまったり、フェイスタオルやシャンプーなどを取り出したりする。


「明斗さんの体は変わらず素敵ですね……」


 そんな言葉が乗せられた氷織の甘い声が聞こえたので氷織の方を向くと……氷織がすぐ側から俺の体を凝視していた。恍惚とした様子で。ちなみに、氷織も浴衣や下着を全て脱ぎ終わっている。

 一糸纏わぬ氷織を見ていたら、俺の誕生日に氷織が泊まりに来たことを思い出す。特に夜のことや翌朝にお風呂に入ったときのことを。


「氷織の体も変わらず素敵だよ」

「ありがとうございます。あと、明斗さんの汗の匂いがたまらないです」

「ははっ。氷織は俺の汗の匂いが好きだもんなぁ」


 それが判明したのは、中間試験の後に俺が風邪を引いたときだったか。俺のインナーシャツの匂いを嗅いでいた氷織……可愛かったな。

 氷織が俺の体に顔を近づけてくる。なので、氷織の体をそっと抱き寄せた。その瞬間、「ほえっ」と氷織は可愛い声を漏らす。


「あ、明斗さん……?」

「こうすれば、より匂いを嗅げると思って。あと、氷織の体に触れたいのもある。嫌だったらごめん。すぐに離すよ」

「全然嫌じゃないですよ。突然のことだったのでちょっと驚きましたが。むしろ、明斗さんの匂いをもっと感じられますし。温もりも感じられますし。明斗さんに包まれて幸せです」

「それなら良かった」


 幸せをもたらせて嬉しいくらいだ。それに、俺も氷織の温もりや汗混じりの甘い匂い、肌の柔らかさを感じられて幸せだ。

 氷織は俺の胸元に頭をスリスリすると、「すー……はー……」と深呼吸する。俺の汗の匂いを堪能しているのかな。もしかしたら、帰っている間に一緒にお風呂に入ろうと誘った理由の一つはこれだったのかもしれない。

 胸元中心に生温かい吐息が直接肌にかかってくすぐったい。でも、それが嫌だとは全く思わなかった。ただ、

 ――ちゅっ。

 たまに、胸元にキスしてきたときには結構ドキッとしたけど。


「……十分に匂いを楽しめました。幸せなので、何度か胸元にキスしちゃいました」

「キスされたときはドキッとしたよ。ただ、俺も氷織に触れて、匂いを感じられて嬉しかったよ」

「良かったです。では、入りましょうか」

「ああ」


 タオルやシャンプーなどを持ち、俺は氷織に手を引かれる形で浴室に入る。


「おおっ……」


 結構広い浴室だ。少なくとも紙透家の浴室よりは広い。浴槽も広々としているので、氷織と俺が一緒でもゆったり入れそうだ。あと、洗面所で感じていた甘い匂いが濃くなって。


「広くていい雰囲気の浴室だ」

「ありがとうございます。さあ、バスチェアに座ってください。髪を洗ったり、背中を流したりしますよ」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるよ。まずは髪からお願いできるかな。シャンプーは俺が持ってきたこれを使ってほしい」

「分かりました」


 俺は鏡の前に置いてあるバスチェアに腰を下ろす。

 鏡にはシャワーを持つ氷織が映る。鏡に映る氷織もまた美しい。鏡越しで目が合うと氷織はニッコリと笑った。


「では、髪を洗っていきますね」

「お願いします」


 氷織に髪を洗ってもらい始める。

 シャワーのお湯の温度がちょうど良く、氷織の手つきがいいのでとても気持ちがいい。今日はバイトがあって、お祭りにも行ったから少し眠気を感じるほどだ。

 あと、この家の浴室は初めてだけど、愛用しているシャンプーの匂いが感じられるのでちょっと不思議な気分になる。


「明斗さん、どうですか?」

「とても気持ちいいよ。だから、目を瞑っていると眠くなってくる」

「ふふっ、寝てしまわないように気をつけてくださいね。では、こんな感じで洗っていきますね」

「うん、お願いします」


 目をゆっくり開けて鏡を見ると、とても楽しそうに俺の髪を洗う氷織が見える。そういえば、この前泊まりに来たときも楽しそうに洗っていたっけ。


「普段感じないシャンプーの匂いがすると、誰かが泊まりに来ているんだって実感しますね」

「そうか。それにしても、この前のお泊まりも今も、氷織は楽しく髪を洗ってくれるよね。しかも上手だし。七海ちゃんと一緒に入って、髪を洗ってあげたりするのか?」

「私が小学生の間はよく一緒に入って、髪を洗ってあげていましたね。今もたまに入って、髪を洗ってあげますね」

「そうなんだ。じゃあ、この気持ちよさは七海ちゃんへの髪洗いで培われたものなんだな」

「それもあると思います。ただ、技術の原点はお母さんですね。小さい頃はお母さんと3人で入って、七海と一緒にお母さんの髪を洗うこともあって。お母さんは綺麗に気持ち良く洗うコツを教えてくれたんです」

「そうだったんだ」


 親から技術が受け継がれ、妹の髪を洗うことでその技術が磨かれていった。とても美しい話だ。


「今までやってきたことで、大好きな明斗さんを気持ち良くさせられているのが嬉しいですね」


 優しい笑みを浮かべながらそう言う氷織。気持ち良く洗える一番の理由は洗う相手のことを想う優しい気持ちなんじゃないだろうか。


「明斗さん。シャワーで泡を落としますから、目をしっかり瞑ってくださいね」

「はーい」


 氷織の言う通り、目をしっかりと瞑る。

 氷織にシャワーで髪についた泡を流してもらい、俺のフェイスタオルで拭いてもらう。拭いてもらっているときも気持ち良くて。至れり尽くせりだ。


「はいっ、これで髪は終わりですね」

「ありがとう」

「では、次は背中を流しますね」

「ああ。俺が持ってきたこの青色のボディータオルでお願いします」

「分かりました。ボディーソープはどうしますか? 明斗さんの家にあるものと同じシリーズで香りが違いますが」


 そう言うと、氷織はバスラックにあるボディーソープのボトルを手に取る。確かに、俺の家にある同じシリーズのボディーソープだ。ピーチの香りか。お風呂上がりの七海ちゃんに会ったときや、洗面所や浴室に入ったときに甘い残り香が感じられたのは、このボディーソープの匂いだったんだな。


「おぉ、ピーチか。家で使っているのはシトラスだけど、普段と違う香りも良さそうだ。そのボディーソープでお願いします」

「はーい」


 俺はボディーソープを泡立てたボディータオルを氷織に渡し、背中を流してもらい始める。その際、肩や背中に氷織の手が触れる。


「明斗さん、どうですか?」

「気持ちいいよ。今みたいな感じでお願いします」

「はいっ」

「氷織は背中を流すのも上手だよな。これも七海ちゃんや陽子さんのおかげかな」

「そうですね。……明斗さんの背中って大きいですよね。見惚れます。七海やお母さんとは違いますね。あと、とても小さい頃にお父さんと一緒に入ったとき、お父さんの背中も大きいと思いましたが……きっと明斗さんの方が大きいでしょうね」


 亮さんは俺よりも背が少し小さいし、細そうだもんな。その推測は合っていそうだ。


「きっと、私が洗う一番大きな背中は明斗さんの背中になるでしょうね。明斗さんよりも大柄な女性と出会う可能性はかなり低そうですし」

「……そうだと嬉しいな」


 こういうことでも、氷織の一番になりたいから。

 氷織と鏡越しで目が合うと、氷織は「ふふっ」と上品な声で笑った。浴室にいるからその笑い声はいつもより響き、甘美に聞こえた。


「明斗さん。流し終わりました」

「ありがとう。あとは自分で洗うよ」

「分かりました」


 氷織からボディータオルを受け取り、洗っていない残りの部分を洗い始める。その間、氷織は俺の後ろにいる形に。

 自分自身で洗うのだから、気持ち良くなる力加減は分かっている。それでも、氷織に背中を流してもらったときよりも気持ち良く感じることはなかった。

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