プロローグ 『僕はお嬢様と――』
プロローグ
お祭りが終わると、町の活気もすっかりいつもの物へと戻っていきました。
祭日に花を彩った踊り子や管弦楽団などを引きつれた商隊も町を去り、連日にぎやかだった大通りの往来も元通りです。ですが町には先日のお祭りの感傷に更けて思い出話をする人や、また来年のお祭りに向けて新しい一年が始まったと気持ちを改める人など、その残滓はいたるところに見受けられます。
僕たちはというと、元の変わらない日常へと――戻ることはできなかったようです。
僕はなにも変わらずお屋敷の仕事をする日々に戻ったのですが、問題はおじょうさまでした。
お嬢様は貴族の舞踏会を抜け出して、さらには男装までして庶民に紛れ踊っていたことを執事長のカーティスさんに強く言われ、罰として朝から晩まで休む暇もないほど家庭教師の予定を組まされていました。ここ数日間ずっとお屋敷の自室に缶詰め状態で、おかげで普段付き添っている僕は日中が非番になることが多くなってしまいました。
けれどこれもあと数日の辛抱でしょう。
明日には学園の授業もありますし、久しぶりに一緒に登校です。今は会える時間が減っていますが、朝晩は相変わらずお世話をしていますし、どうせいつでも一緒にいられるのですから寂しくなどありません。
今日もほとんどのお屋敷の仕事を終え、お嬢様がお勉強を終わる日暮れごろまでの空いた時間を持て余していた僕は、ふと思い付きでマスターがいるバーへと訪ねることにしました。
そういえばお祭りの日に助けてもらったことでお礼を言っていないことを思い出しました。日没前のお店なら人も少ないでしょうしちょうど良いと思ったのです。
開店中の掛札が提げられた扉に手をかけたとき、ふと、中から声が聞こえて僕は思わず手を止めてしまいました。
ただ客が入っているだけなら気にせず中に入るのですが、扉の向こうから漏れてきた声に僕はつい耳を傾けてしまったのです。
「こんなところにいていいのお? 心配されちゃうわよ?」
「大丈夫大丈夫」
「本当かしらねえ?」
マスターとかけあう声に僕はひどく聞き覚えがありました。
「今だって本当はお勉強中なんでしょう?」
「問題ないわよ。誰にもバレてないから」
「悪い子ねえ、クーナちゃん」
――どうしてお嬢様がここに!?
今もお部屋で家庭教師に見てもらいながらお勉強中のはずなのに。
「家庭教師の先生にはうまく言って帰ってもらったから、しばらくは大丈夫。だってずっとお勉強ばかりなんだもの。たまには一息つきたいじゃない?」
こっそりと扉を開けてバーの中を窺ってみると、お嬢様がカウンターにだらしなく突っ伏している姿が見られました。マスターはそんなお嬢様を、グラスを拭きながらやや困った風に相手しています。
どうやら家庭教師をさぼったようです。
このまま顔を出して注意してもいいですし、カーティスさんに言いつけることもできますが、どうしたものでしょう。それはそれでお嬢様がイヤがるだろうから気が引けますが。
「まあ、お嬢様もお祭りが終わってからずっとお勉強続きのようでしたし、今日のところは黙っておきますか」
そうして僕が踵を返してお屋敷に戻ろうとしたとき、
「ねえマスター。次は何になりたいって言ってみようかしら」
――え?
僕はお嬢様の何気なく放った言葉に耳を疑いました。
「んもう。そろそろエリンを困らせるのもやめてあげたら?」
「ええー。だって面白いんだもの。エリンったら、いっつも私のために頑張ってくれて」
「昔からの悪い癖ねえ。本当はなりたいなんて思ってない癖に」
「思ってる時もあるわよ」
――ど、どういうことでしょう!?
「でも、私がそう言ったらエリンはいつも一生懸命に私を楽しませようとしてくれるんだもの。それがすっごく可愛らしくて」
それはつまり、これまではわざと僕に無理難題を押し付けて遊んでいたということでしょうか。この様子だとマスターも知っていたようです。まさか二人がこんな関係だったなんて。
今まで僕は、そのことを承知のマスターに相談してしまっていたということでしょうか。
「性格が悪いって言われちゃうわよお」
「そうかも。でも、エリンはああ見えてけっこう仕事の手際はいいのよね。そのうえ人柄も悪くないから他の部署の手伝いとかにもすぐ行っちゃうし。だから、なんというか……」
言葉に詰まって口を閉じたお嬢様に、
「つまりクーナは、他のとこに行かずにいつも一緒にいてほしいからって無茶振りをするかまってちゃんだってこと?」
「ち、違うわよっ!」
お嬢様は顔を真っ赤にして強く言い返していました。それを見て僕は思わず息を噴き出して笑ってしまいました。
マスターも、気恥ずかしそうに顔をそむけたお嬢様にニヤニヤと口元を緩めます。
「味を占めてやめられなくなっちゃったってところかしら。それにしても、まさか今度は踊り子だなんて。どうしたものかとエリンも随分困ってたわよ」
「それは……だってエリン、もうすぐお祭りだっていうのにどうせ踊りなんてやったことなかっただろうし、絶対下手だと思ったから。真面目なあの子なら私のためにって踊りの勉強をすると思ったよ」
「そうね。一緒に踊る子が下手だったら困るものね」
「…………っ!?」
またお嬢様の顔が熟れたリンゴのように赤くなり、けらけらと笑うマスターにお嬢様は下唇を噛んで睨んでいました。
こんなお嬢様を見るのは新鮮です。
――子供みたいなところもあるんだ、お嬢様。
普段がしっかりしているから意外な一面です。まあ、純粋に手品を魔法だと勘違いしたりともともと抜けているところはありましたが。
「と、とにかく! 私は別にそういう他意はなくて、ただエリンで遊ぼうと――」
「へえ、そうだったんですね。お嬢様?」
おもむろに扉を開けてバーの中に入っていった僕を見て、お嬢様は驚いた風に固まりまいた。
「え、エリン!? どうしてここに」
「それはこっちのセリフですね、お嬢様。今はお勉強の時間のはずでは?」
「そ、それは……」
いつになく気弱なお嬢様につい僕も調子づき、したり顔を浮かべて責めるように言ってしまいました。それが気にくわないのか、お嬢様はぷうっと頬を膨らませ、
「そ、それよりも!」
「なんですか?」
ふと、窓の外から打楽器の音が聞こえてきました。どうやら表の通りを音楽隊が通っているようです。おそらくまだ町に残っていたお祭りのためにやってきた人たちでしょう。次の町へと出立するときに、周囲へのアピールも兼ねて賑やかに演奏をしながら旅立つ商隊も少なくはありません。
その賑々しい音楽に耳を傾けたお嬢様は、話をそらそうとおどかけた顔をしてそう言いました。
「――私、音楽をやってみたいわ!」
そんな彼女に僕もにこやかな笑顔を浮かべ、
「それじゃあ音楽のことを学ぶために、いっぱい勉強しないといけませんね」
「え?」
「その分野の家庭教師の先生に来ていただきましょう。朝から晩まで、みっちりと指導してもらうということで」
「ちょ、ちょっと……エリン?」
口許を引きつらせたお嬢様に、僕は満面の笑みを浮かべました。
「お嬢様の『なりたい』を叶えるのが僕の喜びですから」
お嬢様は血の気を引かせたように後悔の顔を浮かべていました。
「私が悪かったわよー、エリンー!!」
「ふふっ。頑張ってくださいね、お嬢様」
「ふふっ。一本取られたわね、クーナ」とマスターが面白おかしそうに笑う声が店内に響きます。
落胆したお嬢様がゆっくりと顔を持ち上げ、僕へと眼差しを向けました。
「ねえ、エリン」
「なんですか、お嬢様」
「貴方も付き合うのよ! いい?」
お嬢様の言葉に、僕は数拍の間をおいて、
「はい。ちゃんとお付き合いいたしますよ」
自信をもって答えました。
「お嬢様が望まれなくともそのつもりですから」
お嬢様が『〇〇になりたい』と言うのなら、僕にだって言う権利はあるはずです。
――僕は……お嬢様とずっと一緒にいられる存在になりたい。
それがどんな形で、どんなふうに叶えられるかはわかりません。けれど、これはお嬢様の『なりたい病』のように途中で投げ出すことも、簡単に変えたりするつもりもありません。
最初からあきらめていた僕はもういません。
絶対に、僕は叶えてみせます。僕の『なりたい』を。
「お嬢様。さあ、いきますよ」
僕は力強くお嬢様を手を取ると、それを離さないようにしっかりと引き上げたのでした。
終
ここまでお付き合いくださりありがとうございました!
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