-6 『前準備』
「それじゃあ本当にクーナちゃん踊り子になっちゃうかもしれないわねえ」
バーのマスターがいたずらに笑みを浮かべながら言いました。
「プロの踊り子も褒めるくらいなんだからあり得る話ねえ。どうする、エリン? 愛しのお嬢様がお屋敷を飛び出して世界中を旅するようになっちゃったら」
カウンターに腰かけていた僕はマスターに向かって首を振りました。
「僕はイヤです。お嬢様が踊り子になってどこかにいっちゃうことも、エドウィン様のお嫁に行ってしまうことも」
僕は、ずっとお嬢様の傍にいたいのです。
そのためにも踊りを上達して、お祭りの日にお嬢様をあっと驚かせることを決めました。
それからというもの、僕は足しげくダンス教室へと通うようになりました。もしお嬢様に知られたら理由を聞かれそうだったので、お嬢様にもこのことは内緒です。さすがに「お嬢様とお祭りで踊るため」なんて恥ずかしくて言えるはずありません。
ちょうど、お嬢様も放課後の所用でいなくなることが多くあります。離れ離れになるのは寂しいものがありますが、今度ばかりは都合が良くもありました。
「さあ、今日も頑張っていこーエリーちゃん。乙女の恋路のために!」
「や、やめてくださいグルーシーさん」
僕の踊りの先生として付き合ってくれているグルーシーさんもとても乗り気です。むしろ僕よりも熱を入れているほどです。
「ねえねえ、その子ってどんな子なの?」とか「いつから好きなの?」とか、そんな話を嬉々としてしてきました。僕は決まってはぐらかしながらも、どうにかレッスンについていけるように日々を励んでいったのでした。
気づけばそれからもう半月程が経っていました。
「エリン。今週末はついに町のお祭りだ。お嬢様には他の貴族方の前でしっかりと品位を示していただく必要がある。不備の無いよう、しっかりと身の回りを正しておくんだぞ」
「わかりました、カーティスさん」
お屋敷では執事長のカーティスさんが、迫る祭りの日への準備に向けて奔走しています。
お祭りは貴族にとってその家の権威を示すとても大事な日です。ライオット家への忠義がとても厚いカーティスさんは、年に一度のその祭りに対してとても情熱的でした。
「私にとって、この祭りこそが一年の一大事だ。旦那様やお嬢様方がたくましく一年を過ごされ、無病息災のまま大舞台にまた立たれるということに感涙を禁じえなくなるのだ。私からすれば年末年始はこの日こそなのだよ。この祭りが来るとようやく一年が終わり、また翌日から次の祭りへの一年が始まるのだ」
昔、そう熱く語っていたことを思い出します。
事実、主人を立派に送り出すことも従者の立派な務め。
家の繁栄を縁の下で支える僕たち使用人にとっては誇らしいことです。
「エリンもしっかりとお嬢様を補助してやるのだぞ。近頃のお嬢様は息災か?」
「えっと……はい、おそらく」
最近は一緒にいないことも多くなったので自信はありませんが。
カーティスさんは僕の返事に、しかし不安そうに眉をひそめて嘆息をつきました。
「この家で一番心配なのがお嬢様だからな。あの方は昔から破天荒すぎる節がある」
昔から『なりたい病』で「あれがほしい、あれをやってみたい」などとわがままを言っていたためでしょう。
「お二人の兄上は模範的なほどよくできていらっしゃいますが……どうも末娘として自由に育てられすぎましたからな。まあ、よく言えば伸び伸びと」
「あはは……」
カーティスさんはお嬢様が産湯に浸かっていた頃からですから感傷も一入でしょう。
「この前だって、突然夜中に私のところにやってきたかと思えば変な注文をしてきて困ったものだ。なんでまたあんなものを。また『なりたい病』でも出たのか? まったく、お嬢様は普通の女の子だというのに何故あんなものを」
「あんなもの?」
「なんだ。もしかして知らないのか。急に欲しいと言い出してきたのだが。お嬢様には必要ないだろうに」
なんのことでしょう。まったくわかりません。
それにお嬢様が僕を介さずにカーティスさんに言うのも不自然でした。いつもなら、そういう欲しいものの注文は専属の使用人である僕にそのまま言うはずなのに。
頭に疑問符を浮かべている僕を見て、カーティスさんも察した風に眉を持ち上げました。
「ああ、そうか。お前すら知らないならいい。まったく、いらないものばかり買い集めて。じきに倉庫がいっぱいになってしまうだろうに。彼女の『なりたい病』もそろそろ成りを潜めてほしいものだ」
それについてはまったくの同意です。
「お前もよくお嬢様に付き合ってくれるものだ」
「それは……褒めてもらえてるんでしょうか」
確かによくよく考えればお嬢様の付き人というのも大変でしょう。ことあるごとに『〇〇になりたい』と言い出しては、それに対して何かをさせられるのですから。バーのマスターたちの協力がなければ僕も諦めていたかもしれません。
けれど今となってはそれも普通となっています。
お嬢様に無茶を言われるのが当たり前で、自然で、この先もずっとそんな日々が続くと思っていました。
そんな日々をいつまでも過ごしていたい。
ただの使用人の願いとしては大それたものです。お嬢様にどこにも行ってほしくないと、自分勝手すぎる願いを抱いてしまっています。
その思いが僕の胸の奥にずっとくすぶっていて、もやもやして、けれどぞんざいにしたくない感情です。
「そういえば最近は随分と学園からの帰りが遅いようだな」
「お嬢様はなにかご用事があるみたいです。帰りは馬車で送迎してもらっているようですので心配はいらないかと」
「いや、お前の話だエリン」
「え……」
カーティスさんのしわ寄った目元がふと持ち上がりました。
「お前もやりたいことができたのか?」
「……やりたい、こと」
「お前までお嬢様のように『なりたい病』が出たのかと思ったよ」
ははっ、とカーティスさんは苦笑を浮かべました。しかしすぐに穏やかに口許を緩めると、優しいまなざしで僕を見つめました。
「思えばお前のわがままは一度も聞いたことがないな。聞き分けが良いというのは素晴らしいことだが、それは『自分を殺す』とはまた違うものだ。たまにはお前からもお嬢様に『こうしてほしい』と言ってみてもいいんじゃないか」
「僕から……ですか?」
そういえば、前にお嬢様にも同じようなことを言われました。
お嬢様にわがままを。そんなこと、僕には無理だと思っていました。
なにしろ僕はお嬢様の使用人です。主人に対してそんなわがままなど――。
「そんな、無茶ですよ」
「普段からお嬢様の無茶に付き合わされているのだ。たまには罰も当たらんだろう」
カーティスさんはそんな風に言って続けます。
「願わくば、彼女にそろそろ『なりたい病』は控えてほしい、とでも言えれば良いのだがな」
付き合う私たちの身にもなってほしいよ、とカーティスさんはほとほと困った顔で肩をすくめまていました。
――僕が、わがままを。
頭の中に自然と浮かんだ心当たりは、一つ。
――お祭りの日。お嬢様に、僕と一緒に踊ってもらいたい。
そんなわがままが許されるのでしょうか。
「とにかく、もう祭りも近い。当日までお嬢様は変なことはしないようしっかりと世話をするんだぞ」
「はい、わかりました」
カーティスさんは僕の肩に優しく手をのせてぽんと叩くと、そのまま屋敷の廊下を歩いていきました。
「ああ、そうだ」
ふとカーティスさんが顔だけを振り返らせました。
「お嬢様が注文していた舞踏会用のドレスが届いたんだ。それを後で運んでおいてくれ」
「わかりました」
「随分大きな梱包でやってきたと思ったら、どういう訳か今年は二着も用意したらしい。お色直しでもするつもりだろうか」
「……二着?」
その言葉に、僕はわずかにイヤな予感を抱いたのでした。




