-4 『まずは形から!』
筋肉の大波から逃れるように道場を飛び出したお嬢様は、町の表通りまで振り返ることなく走り続けていました。
「はぁ……はぁ……」と息を切らせて僕も追いかけました。
どうにか追いついた僕がようやく立ち止まったお嬢様を見やると、しかし僕以上に死にそうな顔で過呼吸気味に疲れ果てている様子でした。
「だ、大丈夫ですかお嬢様」
「だい、じょうぶよ……」
肩が激しく上下していてとても平気そうには見えません。額の汗も滝のようです。
僕がハンケチを取り出して差し出すと、ありがとう、と声にならない声でお嬢様は受け取っていました。
「やっぱりお嬢様は体力がないですから、ちょっとくらい筋トレしていったほうがよかったんじゃないですか?」
「ぜったい、いらないわよ!」
がたん、と不意に僕たちが出てきた路地のほうから物音が聞こえ、「まさか追いかけてきたんじゃ?」とお嬢様は大きく体を震わせました。
「あ、ネコさんですよお嬢様」
「お、驚いてないわよ私は」
「何も言ってませんけど」
「…………」
お嬢様は不満そうに眉をひそめながらも、やや恥ずかしいのかほんのり頬を赤らめていました。
「そんなことより!」
多少の休みを経て体力を取り戻したお嬢様が、顔を持ち上げて言います。
「長々と目に見えない努力なんて私には似合わないわ。もっとこう。目に見えるところから始めないと!」
「と、いいますと?」
お嬢様は随分と自信満々ですが、イヤな予感がします。
「まずは見た目からなりきるのよ!」
どうやら僕の悪寒は当たりそうで、目をキラキラと輝かせながら歩きだしたお嬢様の後を気もそぞろに追いかけました。
お嬢様が向かったのは、人通りの多い表通りから町の外れに進んだ先にある小さな路地でした。そこは石畳の階段が続くこじんまりとした細道で、その脇には大小さまざまな看板を掲げた建物が多く並んでいました。
「お嬢様、ここは?」
「鍛冶通りって呼ばれてるところらしいわ。私も来るのは初めてだけど」
お嬢様が言う通り、立ち並ぶ建物の看板や軒先には剣や槍といった鋳造品が掲げられていました。とても重たそうな両刃剣に、非常に重厚な鋼の盾。
「すごい場所ですね。見ているだけでドキドキします」
「ここは戦士の人とかがよく通う場所なんですって。ここなら旅に使えるものが何でも揃うらしいわ」
お嬢様はそう言いながら、わくわくしたように足を弾ませて路地を進んできます。
すれ違う人は屈強そうな男性ばかり。巨大な剣を背中に担いでいます。他にも小柄な商人のような人も見受けられました。武器だけでなく、旅に使う川の水筒や保存食、それに樽や籠といった旅に使う小物までが置かれているようです。
まさに専門街といったところでしょうか。
「あの、お嬢様。ここでどうするんですか?」
「だから、まずは見た目からってね」
そう息張ったようにして鍛冶通りを歩いて行ったお嬢様は、迷うことなくとあるお店に入っていきました。
そこは防具店のようでした。
大きな鈍色の鎧や兜、それに軽装な外套といったものまでが並んでいます。
「らっしゃい」
中に入ると髭の濃い店主が迎え入れてくれました。あまり愛想のいい雰囲気ではなく、僕らには見向きもせずにカウンターで肘をついています。
おそらく、ただの冷やかし客だと思われたのでしょう。
まあ僕たちは見るからに華奢な子どもでしかないですから当然でしょう。
そんな店主の冷ややかな視線も気にせず、お嬢様は興奮気味に、棚などに飾られている鎧などを見て回っていきました。綺麗な彫金の施された高そうなものから、ただただ頑丈さだけを求めたような分厚く質素なものまで。鎧や兜の他にも、それらにつけられるアクセサリーなどの彫金も売られています。
「ちょっといいかしら?」とお嬢様が店主に声を掛けました。
なんだよ、とでも言いたげに店主は顔だけを向けてきます。そんな彼に、お嬢様は懐から金貨の入った取り出し、カウンターへと叩きつけました。
「これで戦士の鎧を買いたいの。良いものをちょうだい」
「えっ……あ、へえ」
ただの冷やかしと思っていて面食ったのでしょう。
店主はひどく驚いた顔でお嬢様を見やっていました。
「そ、それで。どのような鎧ですかい?」
「そうね。とにかく実用的なものがいいわ」
客と分かり、心なしか店主の言葉も丁寧です。
それもそのはず。お嬢様の差し出した金貨の袋は、このお店に並ぶ品物ならばどれでも買えるほどには高額だったからでしょう。
どこぞの貴族のご令嬢である、と理解したのだと思います。
先ほどまでの冷淡さはどこ吹く風。店主はあつらえたよな笑顔を浮かべて揉み手をしながらお嬢様の前まで出てきました。
「鎧はどのような方がお使いになるのでしょうか。サイズもいろいろとありますもので」
「私よ」
「へ……? お嬢さんが?」
「ええ」
当然じゃない、とばかりに返すお嬢様ですが、店主の驚いた反応も至極もっともでしょう。まるで鎧どころか剣の一つも持てなさそうな女の子に言われたのですから、どんな冗談かと思ってしまうのも頷けます。
けれど多額のお金を積まれた以上、嘲笑を返すこともできず、ただただ困惑しているようでした。
「えっと。お嬢さんは冒険者かなにかなのでしょうか」
「これからなるの。立派な戦士にね」
「戦士にですか。へえ……」
店主の眉がすっかりハの字に垂れてしまっています。
まるで助けを求めるように後ろの僕へと視線を移してきましたが、僕も何も説明することはできませんでした。
せめてもの助け舟として、
「お嬢様。ひとまずは適当なものを試着などしてみてはどうでしょうか?」
「そ、そうですね。そこの端にあるやつはうちの店にある一番小さいやつです。やや小柄なお嬢さんでも着れるかと」
「あらそう」
僕の助言を頼りに、店主は店の片隅に追いやられていた小さな鎧を持ち出してきました。あきらかに他のものよりサイズは小さく、まるで子供向けです。
「腰の紐を外して体を挟むプレートタイプの鎧です。ぜひご試着を」
「ありがとう。エリン、手伝ってくれる?」
「はい、お嬢様」
僕は店主からその小さな鎧を受け取りました。が、これが小さい割に思いのほかずしりと重く、受け取った瞬間、思わず僕の非力な腕から抜け落ちそうになったほどでした。
「あの、お嬢様」
「なに?」
――お嬢様の体ではこれを着て動くのは難しいかと。
そう言いたい僕でしたが、はやくして、と待ち望むばかりに僕に背中を向けてきたお嬢様にはとても言い出しづらい雰囲気でした。
もう仕方がない、と僕がお嬢様の首から薄板の鎧を被せた瞬間。
「うぎゃっ」
お嬢様の情けない悲鳴とともに、彼女の体は後ろにあった壁へと倒れ掛かりました。
やはりお嬢様には重かったようです。
「な、なによこれ。どんな物質でできてるのよ」
「この町の一流の鍛冶師によって精錬された金属でございます」
「お嬢様。金属が重たいのは当然ですよ」
まさかそれすらもお嬢様は想定外だったというのでしょうか。
薄板の金属鎧とはいえ、ある程度の衝撃は防げるように最低限の厚さがあります。
これが最も軽いというのですから、お嬢様にはやはり無理なのでしょう。
「ああ、残念ですねお嬢様」
僕は全くそう思っていない気持ちでお嬢様に言いました。
「これがこのお店にある一番軽いものみたいです。けれどこれが着れなければとても戦士にはなれないでしょうね」
そうわざとらしく言った僕の言葉が気に入らなかったのか、お嬢様はもたれかかった壁からどうにか体を起こし、
「……き、着れるわよ」
無理やり強がって立ち上がって見せたのでした。けれど、
「お嬢様。足が震えてますよ」
「持病の貧乏ゆすりよ」
「そのようなものはなかったと思いますが」
「エリンだって私の全てを知ってるわけじゃないでしょ」
「確かにそうですが」
意地っ張りで強情なお嬢様らしい言い分です。
――うーん。これでもお嬢様に諦めてもらうことはできないか。
お嬢様はなんとしても鎧を着てちゃんと立とうと必死です。いつもの『なりたい癖』が出れば毎度のこと強情ですが、しかしそれもしばらく経てば落ち着いてくれます。それまでいかに、無駄な買い物をせず、執事長のカーティスさんに怒られないようにするかが僕の役目でした。
そろそろ今日のところは引き上げてもらおうかと考えているのですが、今日のお嬢様はひときわ引き下がらない様子。
「お嬢さん。無理はしないほうが」と店主までもが心配するほど、お嬢様は生まれたての小鹿のように体を震わせてまで鎧を着ようとしています。
どうにかできないものか。
僕が眉を困らせながら考えていると、
「やはり筋肉だ!」
急に、さっきイヤというほど耳を劈いてきた声が急に店内に響きました。
何事かと振り向けば、気づけばいつの間にか店の中にマスランディさんが入ってきていたのでした。
なんでここに、と驚く暇も与えてくれず、マスランディさんはむさくるしい笑顔を筋肉を引っ提げてお嬢様に歩み寄り、
「鎧を着るにも筋肉が必要! やはり戦士には筋肉がなにより不可欠なのだよ!」
「なっ、なんで貴方が……」
「マスランディ先生はうちのお得意様なんです」
「ええっ!?」
まさかの店主の言葉でした。
「いやはや。君たちの指導の時間がぽっかり空いてしまったのでちょっと防具などの仕入れに着たのだが、まさかまた出会えるとは。やはり我々は太い筋肉の絆で結ばれているのだな!」
「ありえないわよ! ちょ、ちょっと。叩かないで! ころぶから!」
マスランディさんに、がははっ、と大きく笑我ながら肩を叩かれ、どうにかこらえていたお嬢様の体が倒れそうに傾きます。ぐらりと前に倒れそうになり、目の前にいた僕が慌てて支えました。
鎧の重さとともに彼女の細い腕が僕の首に絡みついてきました。お嬢様の顔が僕のすぐそばにまで近づき、揺れた綺麗な白髪から華やかな良い香りが鼻孔をくすぐってきました。
「……っ!」
お嬢様の端正な顔がすぐ間近に迫り、思わずどきりとしてしまいました。
「あいたたっ。ごめん、エリン」
「い、いえっ」
「なんか声が上擦ってるわよ。変なところ打っちゃったかしら?」
「いいいい、いえ。大丈夫です。急なことで驚いただけです」
「だって急に叩いてくるんだもの」
そういう意味ではないのですが、説明できる度胸など僕にはありません。というより、そんな恥ずかしいことはしたくありませんでした。
お嬢様にドキドキしていた、だなんて。
――僕は、お嬢様のお世話をするただの召使いの分際なのに。
「さあ、君たちも筋肉の重要性がわかっただろう! だったら一緒に戻って筋トレだ!」
「エリン」
「は、はいお嬢様」
お嬢様はなおも暑苦しく言ってくるマスランディさんに体を背け、
「逃げるわよ!」
「またですかっ!?」
首にかかった鎧を僕に剥がさせ、そのまま一目散にお店の外へと出て行ってしまったのでした。
「筋肉から逃げるな!」
そんな、よくわからないマスランディさんの言葉を背中に浴びながら。




