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 -2 『憩いのバーの相談室』

「勇者になりたいわ」


 そんなお嬢様の無茶なわがままは、今に始まったことではありませんでした。


 お嬢様は突然、二月に一度の頻度でこのようなことを言い出すのです。


 もちろんお嬢様がそんな何でもこなせるような天才の素養などを持っているわけでもなく、ちょっと散歩に行きたいとでも言うような思い付きと気軽さで言い出します。


 それはもう発作のようなもので、それを耳にした使用人たちはみんなこぞって「またいつものですか」と苦笑を浮かべるのです。


 しかし今回は七週経った最後の週になっても一度もなかったので、執事長のカーティスさんも「ようやっとお嬢様も落ち着かれたかな」と安堵していた矢先のことでした。


「……また出ちゃいました。お嬢様のいつものアレが」

「あらあら。大変ねえ」


 背の高い丸椅子に腰かけていた僕がため息交じりにつぶやくと、正面に立っていた長身の男性が優しく微笑んでくれました。そこはバーカウンターになっていて、突っ伏した僕の前の棚にはたくさんのお酒などが並べられています。


 そのカウンターの中で僕に優しく言葉を返してくれたのは、このバーのマスターです。まるで巨熊のようにガタイのいい体つきをしていますが、角刈りにちょこんと提灯みたく垂らした前髪は男性に不似合いな明るい紫色をしていますし、目元のアイシャドウや頬のチークなどの化粧をばっちりめかしている、ちょっと変わった男性なのです。


 マスターに関しては非常に謎が多く、彼の本名すら僕は知りません。


「なんでもマスターは昔、山奥の秘境に眠るドラゴンを討伐した伝説の男なんだって噂だぜ」

「ええっ。あたしはずっと昔の戦争で百人切りを成し遂げた英雄だって聞いたのだ」


 なんて、僕の使用人仲間である友人たちが話していたこともあるくらいです。なんとも眉唾な話ではありますが、実際のところ年齢すら不詳で、三十前後の外見とは裏腹にもう二十年以上このバーのマスターとして働いているとのこと。


 そんな不思議な雰囲気をもつマスターですが、客の相談には親身になって話を聞いてくれるとてもいい人なのです。


「どうしましょう。僕、戦士だとか勇者だとか、よくわからないんですよね」

「そうねえ。エリンはそういう土臭いこととは無縁だものねえ。蚊の一匹も殺せなさそうな顔してるし」

「蚊くらい殺せますよ」


「前に蚊を叩き潰したら吸い取られてた血がべったりと手についてパニックしていたのはどこの誰だったかしらあ」

「あれは……ちょっと驚いただけです」


「たまらずクーナちゃんに抱きついてたわよねえ」

「……うう。小さい頃の話ですから」

「ふふっ。じゃあ今は怯えたりしないのかしらあ」

「もちろんですよ。この前も、庭の花壇に毛虫がいたので外に追い出してやりました」


 僕にとっては、それはモンスターと対峙してやっつけたくらいすごい頑張ったことでした。そう得意げに僕が胸を張って言うものですから、マスターはどこか笑うのをこらえたように口許を手で覆い、肩を少し震わせていました。


 マスターは低い声なのに女性的な口調です。

 一見奇妙ではありますが、不思議とそれが心を落ち着かせてくれます。


 僕は未成年なのでまだアルコールの入っていないジュースしか飲めませんが、夜遅くにもなると、お酒のグラスを片手に飲んだくれた客の仕事の愚痴などを聞いていたりします。そうして穏やかな、けれど低いしっかりした声で励ますと、客は泣き止んだ子供のように落ち着いてしまうのでした。


 そんな聞き上手のマスターを求めて、このお店は連日満員の大盛り上がりでした。


 毎夜、仕事終わりの時間となると、示し合わせたかのように客が集まってきます。そこにやってくるのは毎度見知った顔ばかり。


 それもそのはず。

 このバーは元々ライオット家に使える使用人たちのために作られたバーだからです。


 ライオット家の当主であるトニー=ライオット様はとても聡明で、それでいてお優しいお方でした。いつも温かい笑顔を浮かべ、誰にでもにこやかに接してくださります。


 特に、末の娘であるお嬢様への愛情はとりわけ大きいものでした。


 その昔。お嬢様のお誕生日のプレゼントに「浴びるほどたくさんチョコレートが食べたいわ」とおっしゃられた時のことです。トニー様はすぐさま町中の菓子職人に声をかけ、お屋敷のバスタブいっぱいになるほどのチョコレートを用意しました。


 もちろんそれほどの量のチョコレートなど食べきれるはずもありません。お嬢様は三口ほど食べた頃にはすっかり飽き、残った大量のチョコレートは僕たちが学校の子供たちやご近所さんに配ったりしてどうにか処分したのも懐かしい記憶です。


 あの後、トニー様が、執事長であるカーティスさんに「またお嬢様のこととなると無駄に浪費をして。お嬢様を虫歯にでもするおつもりですか。まったく」と説教されていました。本来の主従が逆転しているその光景はあまりに面白おかしくて、今でもライオット家の笑い話として語り継がれているほどです。


 それほどにトニー様は気さくで、僕たち使用人にも分け隔てなく接してくれていました。


 その最たるものが、お屋敷のすぐ近くの小路を少し入ったところにあるこの小さなバーです。トニー様は空き地となっていたそこを買い取り、僕たち使用人が休める憩いの場所として用意してくださいました。


 お屋敷も大きくなれば働き手の数も増えるものです。

 そんな彼らが仕事終わりや休憩時に立ち寄り、おまけに格安の値段でまかないやドリンクを提供してくれる。トニー様なりの、福祉厚生の一環ともいえるものでした。


 おかげで僕たち使用人の多くは決まって、仕事終わりにはそこに立ち寄り、仕事の愚痴なんかを各々存分に吐き出していくのでした。


「今度は戦士か。毎度のことだけどよ、お嬢もなかなかぶっとんだことを言いだすな」


 そう言いながらカウンターの隣の席にやってきて僕の肩を揺らしてきた青年も、僕と同じくライオット家の使用人として働いているライニーさんです。年は僕よりも少し上で、庭師として庭園の木々の剪定をしています。サスペンダーの下の白シャツはいつも土で汚れているのが特徴で、彼のそばにいると土と鼻の混じった不思議な匂いがします。


 そんなライニーさんの後ろにもう一人。

 今度は僕より少し小さい背丈をした女の子も一緒でした。


「クーナお姉ちゃんは戦士になりたいのだ?」


 はきはきとした口調でその少女は僕に訪ねてきました。


「うん、そうみたい。戦士……というより、勇者? でも戦士とか勇者とかって僕にはよくわからなくて」

「リムもよくわからないのだ。喧嘩が強い人ってことなのだ?」

「うーん。ちょっと違うと思う」


 ライニーさんとは逆の椅子にちょこんと腰かけた少女――リムは、よくわからないといった風に小首をかしげて不思議そうにしていました。


 彼女もライオット家の使用人で、まだ十歳前後の屋敷で一番若い子です。僕と同じく両親を亡くして孤児院から引き取られてきましたが、それも赤ん坊の頃で、彼女にとってはこのライオット家が家族のようなものなのでしょう。


 もちろん使用人仲間である僕たちも家族のように気さくに接してくれる、明るくて素直ないい子でした。


「戦士ってあれだろ。町の外で戦う用心棒だろ。ありゃあモンスターどもの相手をしなくちゃならないから、相当な腕っぷしが必要だぜ」

「おおー。ライニーは詳しいのだ。戦士って大変なのだ?」

「そりゃあそうよ。なんてって猛獣を相手にする命がけの仕事だからな」

「それじゃあエリンにはぜったい無理なやつなのだ」


 きっぱりと言いきられ、僕はカウンターについていた肘を落としそうになった。


「いやいや。そもそも、なりたいのお嬢様なんだけど」


 流れ弾で勝手誹謗中傷された気分です。

 ただリムには一切の悪意がないのでなんとも言いづらい。


 それに、僕だって自分は戦士みたいになれないとはよくわかっている。そんな屈強さなんてあるはずがないし、それはもちろんお嬢様だって。


「あのか弱いお嬢様が戦うだなんて……想像しただけでも心配です」

「でもクーナお姉ちゃんはエリンよりは強そうなのだ」

「たしかにな」


 ライニーさんまで調子づいて笑ってきて、僕は情けなく苦笑を浮かべました。いや、実際その通りな気がしてなにも言い返せなかったのです。


 庭師として重たい鋏を毎日もって仕事しているライニーさんと比べても、僕の四肢はひどく貧相で細いです。


「まずはお嬢と一緒に鍛えるところから始めたらどうだ? 筋トレとか稽古とかしてさ」

「ええっ。どうして僕も」

「男なんだからちょっとくらい筋肉つけろって。筋肉ついたら度胸も付くぞ」

「ええ……」


「あらぁ。だったら――」


 静かに傍聴していたマスターが、ぱん、と平手を打ちました。


「いいところを紹介するわよ」

「いい、ところ?」


 にこやかな表情を浮かべるマスターに、僕は嫌な予感を浮かべながら首をかしげたのでした。


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