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 -11『僕だけの勇者』

 日が沈んで夜の帳が訪れたマレスティの町は、昼間の賑やかさとは打って変わって別世界のように静かになります。


 明かりといえば家々から漏れる微かな灯火だけ。ほとんどの路地は頭上の夜空が落ちてきて飲み込まれたように真っ暗です。


 そのためこの町では、ふと夜空を見上げただけでも比較的多くの星が見れるのです。


「今日も見通しが良さそうですね」


 仕事から着替えた僕は、ライオットのお屋敷にある倉庫に置かせてもらっている箱を持って庭にでました。


 僕の下半身ほどはある大きな箱です。重さもそれなりですが運べないほどではありません。


 それを広々とした庭の片隅に下ろすと、中身を取り出し、組み立てていきました。


 小さな部品を組み合わせてできたそれは、三脚で支えられた立派な望遠鏡です。星を何倍にも拡大して見ることができ、クランクを回すと台座の回転が簡単にできる、この時代では少し高価なものでした。


 数年前に、お屋敷に働かせてもらっているお給料で買ったものです。僕はあまり浪費癖はないほうで、普段は仕事道具の買い換え程度にしかお金を使わないのですが、これだけは奮発して数ヶ月分の給料を使って買いました。


 特段、星を見ることが好きというわけではありませんでした。それに星なんてふと顔を見上げるだけで簡単に目に入りますし、物珍しいわけではありません。


 ですがその昔、お嬢様に「何か趣味でも持ったら? ずっと私と一緒にいても窮屈でしょ」と言われたのがきっかけでした。


「好きなこと、やりたいことを見つけるのは大切よ」


 そう言われても僕はとても困りました。

 当時からずっとお嬢様の世話係として一緒にいましたが、これといってその生活に不満はなかったからです。


 好きなこと、やりたいこと。

 僕にとってそれは、お嬢様のお世話くらいでした。


 なので趣味を見つける必要も特にありません。


 それでもお嬢様は僕に「仕事以外の何かをする」ということを強く勧めてきたので、たまたま骨董市で売り出されていたその古い望遠鏡を買ってみたのでした。


 それからは仕事が早く終わった日には望遠鏡を広げ、空を眺めるようになりました。


 最初は何となく始めたものでしたが、これが意外と自分にあっていたようです。


 一日の仕事を終えて、静けさに満たされた星空を見るために望遠鏡を覗き込むと、不思議と心が落ち着くのでした。


 片目をつぶって、もう片方はすっかり遙か遠くの夜空しか見えないせいでしょうか。僕自身はたしかにここにいるはずなのに、心はどこか別の空間に満たされたような感覚を覚えるのです。


 全く同じだと思っていた星空も、日によってその見える輝きの強さや鮮明さが違うことに気づき、その変化もちょっと面白かったりするのです。


 雲がなければ見えやすいですが、風が強かったりすると光が揺れるように屈折してぼやけてしまいます。


 幸いにも今日は無風で、雲もほとんどありませんでした。


「よし」


 組み終わった望遠鏡を置き、僕はレンズを覗き込みました。


 そこには小さな星が映っていました。ほんのり一つだけ、淡い光として浮かんでいます。やや赤くて、けれどちょっと中は白っぽい見た目です。


 星の多い空ですが、僕が見たその場所はほとんど星はありませんでした。


 唯一見えるその星のすぐ傍には月が出ているのです。そのせいで周囲の星はまったく見えなくなっていて、僕が見ているその星だけが微かに生き残っているだけでした。


「よかった。今日もいるね」


 あの赤い星はいつも月の傍に寄り添うように浮かんでいます。天文学には博がないので関係性はわかりませんが、まるで兄弟のようにずっと一緒にいます。月と比べると大きさは米粒ほどですいが。


 他の星は月の明るさに負けて消えてしまっているのに、その星だけは頑張って残っています。でも眼を離せば今にも月の光に呑まれて消えてしまいそうでもあります。


 そんな様子を見ることがいつしか癖になっていて、もう長いこと、その月の傍にある星を見守っているのでした。


 眩しいほど大きな月にずっと寄り添っている小さな星。


 あの星はいつからあそこにいるのでしょうか。いつまでもあそこにいるのでしょうか。


 ――どれだけの時間を。


 数日前に見たときと何も変わらずそこにいる星に、僕は心を落ち着かせていました。


「また星を眺めているの?」


 ふと声をかけられました。

 顔を持ち上げると、お屋敷から寝間着のまま出てきたお嬢様の姿がありました。


 お嬢様の部屋の窓からやや見える位置だったので気づいたのでしょう。


「すみませんお嬢様。物音がうるさかったですか?」

「そんなことないわ」


 お嬢様はランタンを片手に持ちながら僕の方へとやってきました。


「今日も星が見えやすそうね」

「はい。雲も少ないですし」

「肉眼でもけっこう見えるものね」


 見上げたお嬢様の頭上には、満点の星々が敷き詰められて広がっています。すうっと付加区域を吸ったお嬢様は思わずため息をこぼしていました。


「星って不思議よね。あれだけたくさんのものが、毎日、まるで宝石のように綺麗に輝いているんだもの」

「この惑星の外の、ずっとずっと遠いところにあるものだそうです」

「町の灯りだって遠く離れればほとんど見えなくなるのに、そんなに遠い光がここまで届いているだなんて。意外と星って近いんじゃないかしら」


 お嬢様はおどけた風にそう言って見せました。


「いえ。近くは見えても実際は本当に遠いですよ」

「隣通しに見える星同士も?」

「おそらく」


 見かけだけでは近そうだけれど、実際にある距離はずっと離れています。


 きっと僕が見ているあの大きな月に寄り添う星も、ここから見るととても月に近そうなのに、きっと実際はもっともっと遠く離れているのでしょう。


「本当の距離なんて、見た目だけじゃわかりませんね」


 苦笑を浮かべた僕に、お嬢様は不思議そうな顔を浮かべていました。


 それからお嬢様は僕の望遠鏡を使っていくつかの星を見て回っていました。


 僕も正座や星の名前については浅学で、あまり説明できることはありません。普段も適当に星を眺めているだけなのです。せいぜい、一際大きな一等星や惑星を見せてあげるくらいでしょうか。


 それでもお嬢様は楽しそうに望遠鏡を覗いていました。


「……あの、お嬢様」


 彼女がしばらく楽しんでいた頃、ふと僕は言いました。

 お嬢様は望遠鏡を覗いたまま「なに」とだけ応えました。


「今日はすみませんでした。僕のせいであんなことになってしまって」


 申し訳なさそうに僕が言うと、お嬢様は望遠鏡から顔を持ち上げ、「そんなことか」とでも言いたげな顔を浮かべました。


「別に良いわよ。大事にしたのは私のせいだし」

「でも、お嬢様は僕をかばってくださったからですし……僕がそもそも彼らに絡まなければ、お嬢様が厳重注意されることもなかったんです」


 卑屈に声を曇らせて言う僕に、お嬢様は短く嘆息をつきました。


「それにしても、もうちょっと上手く相手できると思ったのだけれどね」


 そう言うお嬢様は、バットを手に持ったような素振りで腕を振ってみせました。


「やっぱり腕の力がないのかしら。経験も足りないわよね……ううーん、立派な勇者になるためにはあんな奴らなんかちょちょいと倒せないといけないのに」 

「また勇者ですか」

「そもそも私には戦うセンスがないのかも。あいたたたっ」


 ふとお嬢様が僕の方を向いたとき、急に顔をしかめてぎこちない動きになりました。


「どうしたんですか?」

「まだ筋肉痛がけっこうマシになってたと思ったら急にまた痛み出したの」

「あらら。今日もまたいろいろ体を動かしましたしね」


 体育もそうですし、取っ組み合いも。


 また体が悲鳴を上げているようです。それで目が冴えて僕のところに来たのかもしれません。


「そんなに動いてないつもりなのに。どうして筋肉痛って簡単にくるのかしら」

「もともとの筋肉量が少ないんでしょうね。お嬢様はただでさえ運動しませんから」

「なによ。貧弱っていいたいの?」


 その通りだとは思いますが、頷いたら機嫌を損ねてしまうでしょう。曖昧に笑顔を浮かべるだけにしておきました。


「……はあ。これじゃあ戦うなんてもってのほかね。残念ながら勇者になるのは無理かしら」


 やっと気づいてくれたようです。


「ようやく諦めになったんですか?」

「悔しいけれどね。勇敢に戦う戦士になって、いろんな人たちを守るかっこいい正義の味方になりたかったのになあ……」


 お嬢様はとても残念そうに肩を落としてそう言っていました。


 あはは、と笑いながらお嬢様に「残念でしたね」と慰めの声をかける僕ですが、僕はお嬢様とは少し違っていました。


 ――お嬢様は勇者になんてなれないと言いますが、僕のために戦ってくれたお嬢様の姿は、まるで本物の勇者のようだと思ったのです。


 それをお嬢様に伝えると調子づいて「勇者になる」と言い続けてしまうかもしれないので口には出しませんが。


「――お嬢様。今日はありがとうございました」


 僕がこぼすようにそう呟くと、お嬢様は頼もしいほどの笑顔で気さくに笑い返してくれたのでした。


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