第1章7節:交換
シーア様曰く、魔統文字は、人間の血に刻まれている文字らしい。
目視で確認できるレベルの大きさではなく、また存在自体を察知するのは人間の能力では極めて困難らしい。
この魔統文字は、魔力を魔法に変換することができる。
例えば、火の初級魔法である《火球》を発動したい場合、体内の枝がこの魔法を発動するための魔統文字を組み替え、人間の中にある魔力が注がれることで、火球が発動する。
器で魔力をとどめ、枝で血に刻まれている魔統文字を組み替え、魔力をその文字に注ぎ、魔法を発動する……人間はそういう生き物らしい。
「もし魔統文字が血に刻まれていなかったら――――そうだなぁ……魔法を発動するために、一々魔統文字の文字列を詠唱する必要があるかな。かなり面倒だし、戦闘に取り入れることが難しくなりそうだね。」
私が前世で読んでいたファンタジー小説などでは、魔法を使う際に詠唱をしていたけれども、この世界は生まれつきそれが不要な体として生まれるらしい。
本当に興味深い。
ついでに見てもらったのだけれども、私自身の血の中には魔統文字は刻まれているらしい。
ただ、一番大切なものである、魔力が一切ないため、魔法が扱えない状態であるとのこと。
「この魔統文字は、全部で50文字あって、それぞれの文字が生きていて、性格があるんだ。魔法を発動するための文字列を作る時は、それぞれの性格を考えて並べる必要がある。文字の性格を考えた正しい文字列を作って魔力を注ぐと魔法が発動する。各文字の性格を教えてあげるね。」
シーア様から時間をかけて各文字の性格を教えてもらった。
これもなかなか興味深い。
優しい、怒りっぽい、呑気……いろいろな性格がある。
この文字があの文字のことが嫌いだから、隣に並べると威力が出にくいとか、逆にあの文字がこの文字のことを好きだから隣に並べると魔法の威力が上がるとか、なんて関係性もある。
文字の一つ一つが人間のようで……生きているとシーア様が言っていたことが理解できた。
文字の種類や性格、そして関係性を色々教えてもらったが……かなり難しい。
性格とか文字同士の関係性とか色々考えることがあってややこしい。
これは時間をかけてもっと理解を深めていく必要がありそうだ。
ただ、魔統文字、これはかなりいい。可能性が見えてくる発見だ。
この文字をうまく扱えるようになれば、私にも魔法を扱えると見ている。
視察の際に貰った魔力がある魔封石と、魔力から魔法を生み出せる魔統文字を組み合わせてうまいこといけば、私にも魔法が使えるかもしれない。
そう思うと、一言だってシーア様の言葉を聞き漏らしたくなかった。
シーア様が教えてくれることを必死に聞いて、すべてを吸収しようとの思いで理解を深める。
質問を繰り返しながら、ある程度分かってきた……というところで、シーア様が私の頭を撫でた。
「吸収早いなぁー。精霊達からフォーカルド領の姫君は才女だって聞いてたけど、どうやら本当みたいだね。」
「いえ……まだ50文字すべて覚えきれているか怪しいところです。それぞれの性格もちょっとあやふやなところがありますし。」
「ま、僕とのこの時間だけですべて覚えるのは難しいよ。それに、僕の目を得れば、魔法が発動されたら魔法に使用した魔統文字が見えるようになる。感覚でも分かってくるようになるよ。」
そう言われ、頭をわしわしと撫でられる。
ある程度は教えてもらえた。後は、シーア様の目を得た後の私次第というところか……。
「実は、君が視察の際にいなくなったことは、色々小細工して誤魔化しているんだけど、そろそろ君がいないことに気づかれそうなんだよねぇ。だから、目の交換、するよ。」
ここに来る直前に、急に父親とジンジャー氏、そして護衛に忘れられたような瞬間があったことを思い出す。
あれが小細工か……。精霊王の能力の高さに怖さすら覚える。
シーア様が本気を出せば、私なんか虫けらなのであろう。
シーア様と私は向かい合い、私の目にそっとシーア様の手がかざされる。
冷たくひんやりとしている手が心地よい。
「ちょっとした痛みはあるかもしれないけどすぐ終わる。僕が良いと言うまで絶対に目を開けてはいけないよ?それこそ失明する。」
「わかりました。」
言われた通りに目をつぶる。
シーア様の手が私の肌の上で左右にすっと動いたかと思えば、目の奥をきつくきつく摘ままれたかのような鈍い痛みがはしる。
「っ」
「もう少し!絶対に目は開けないで!」
ぎりぎりと目の奥が削られていくような感覚で、じんわりと奥のほうから熱くなってくる。
目を掻きむしりたくなるような痛みに奥歯を噛みしめ、ぐっと耐える。
目の奥が熱い……沸騰しそうだ。
「よし、これで……終わる!」
シーア様の手にぐっと力が入る。
目の奥でぱちんっと何かが切れたような音がし、痛みと熱さが引いていく。
ほっと胸を撫でおろす。……ちょっとした痛みではなかったことは確かだ。かなり痛かった。
「アーリア、もう目を開けてもいいよ。」
恐る恐る目を開く。
部屋の明かりが一瞬目を刺したけど、すぐにそれは引いていく。
視力に問題は一切感じなかった。以前と同様にクリアに周りが見える。
シーア様に目を向けると、さっきまで赤かった目が、澄んだ青に変わっていた。
鏡で何度か見た私の青い目がたしかにシーア様の目になっていた。
そして……シーア様のまわりに、小さく金色に輝く文字列がふわふわと浮いていた。
これがシーア様が言っていた魔統文字か。
本当に生きているようで、くるくる回ったり、跳ねたりしており、楽しそうに文字が並んでいた。
まだ教わったばかりですらすら読めるわけではないが……何らかの加護の効果があるようだった。
「魔統文字が見えます。」
「よかった。僕の目はちゃんと機能しているようだね。君の目も……いいね。不思議だ。」
何がいいのかはよくわからないけれども何だか気に入っているらしい。
何度もうんうんと頷き、手を握りしめたり、開いたりを繰り返している。
こっちからは効果がさっぱり分からないが、シーア様なりに何か意味があるのだろう。
聞いても教えてくれなさそうな雰囲気があるが。
「アーリア、ありがとう。君の目は大切にするよ。」
シーア様が私の両手を手に取り、本当に嬉しそうに笑いかけた。
青い目に変わったシーア様は、優しそうな雰囲気になっている。
やはり、赤い目はそれなりに威圧感があったのだろう……今は私がその赤い目になった側だけれども。
「そして、アーリア……僕が言うのもおかしいけれど、忠告したい。」
シーア様は、ふっと顔から笑みを消し、真剣な顔で私の耳元にそっと口をよせた。
「君は肝心なところで甘い。フォーカルド家に好意的な僕だったからいいものの、今後も僕と似たような精霊や人間に会うとは限らない。そう簡単に心を許してはいけないよ?でないと、大事なものを盗られる。」
低く、冷たい声でそう言われる。
尤もな忠告だ。
私は初対面のシーア様と二人きりになり、目の交換をすることになった。
いくら連れてこられたとは言え、二人きりになる状況を許し、しかもシーア様の横に無防備に座っていた。
シーア様が殺してしまおうと思えばすぐに殺すことができた。
自身の行動に呆れてしまう……本当に私は馬鹿だ。
それを気づかせてくれたシーア様は、やはり悪い方ではないのだろう……そう思うことこそ甘いのかもしれないけれども。
「理解しました。頂戴した忠告、心に刻みます。」
「うん。ただ、少なくとも風の精霊には君に手出しはさせない。他の属性の精霊がどこまで僕の言うことを聞くかわからないけど、できる限り君に危害を与えないように対処するよ。」
「ありがとうございます。ただ……シーア様はどうして私個人にここまで良くしてくれるんでしょうか?」
疑問に思い、そう問う。
シーア様はこんな5つそこらの女の子に良くする理由はないと思う。
いくら誕生の祝福があっても、ここまで気を配るだろうか。
フォーカルド家が好きだと言っても、ここまでするだろうか。
シーア様のメリットがあまり分からない。
シーア様は困ったように笑うけれど、それがどこか楽しそうに見えた。
「それは秘密で……さぁ!そろそろ君を家族の元に帰そうか。」
それから先の問いは受け付けないとでも言うようにシーア様は私の手を引いて部屋の扉を開く。
すごくその秘密が気になったが、シーア様の反応から悪い印象は受けなかった。
気になるが、答えは得られないのだろう。そのままシーア様に引かれ部屋を出た。