第1章4節:落下
数日後、風の鉱山、サイリア山脈に私と父親、そして護衛数名を連れて視察に訪れていた。
サイリア山脈は、フォーカルド領の北部に位置する国内でも5つ指に入る広大な山脈である。
風の精霊の住処だと言われており、風の加護に溢れている場所だった。
風の魔力の影響を受けて生成されるエメラルドに輝く宝石、「アルメニド」の他、多様な鉱石が多く取れ、鉱業を生業とする者にとっては、夢のような山脈だった。
フォーカルド家初代当主が、ここに住まうと言われている精霊の王、シーアと契約をした後に、フォーカルド家の所有権が認められていた。
所有権といっても、精霊の王シーアが指定した山脈の一部分のみの開発、そして鉱石、宝石の採取を認められており、その他は契約によりフォーカルド家であっても開発はおろか、踏み入れることさえ許されていない。
山脈の中に鉱石場が作られており、管理長のジンジャー氏の案内を受けていた。
「こちらが、私どもの作業場であります。採れた鉱石や宝石を、鑑定、そして仕分けをし、基準を満たしたものだけを運び出しておりますな。研磨など、発掘されたものへの加工作業などは、風の精霊を刺激するといけませんので、基本的には鉱石場内では行われません。」
ジンジャー氏は、くるくるとカールされている顎鬚が印象深い、険しそうな雰囲気を持った人物であった。
時折雑談を交えながら案内を受けているのだけれども―――なんとなく、私に対しては一歩壁を置いているというか、何とも言い難い距離感があった。
向かい合って話す場面であっても、妙に視線があわない。
質問を投げかけると、いったん間を置いてから、少し渋るような答えで返ってくることが多かった。
残念ながら、私のことを好意的に思っていない方の人物なのだろう。初めて感じるこの距離感に少し寂しく思うけれど、私の体質を考えれば仕方ないのだろう。
ただ、サイリア山脈は、とても美しい山脈で、深い緑に覆われた空間で、時折きらきらと何かしら輝いていた。
常に風が吹いており、肌寒かったが、空気が澄んでいて心が洗われるような雰囲気に、少しの寂しさくらい気になくなる。
神秘的な場所であり、精霊の王が、認めた場所以外に触れることを許さなかった理由が何となく分かるような気がした。
ジンジャー氏の説明を受けながら歩いていると、時折黒ずんだ鉱石が積まれている箱が目に入った。
鉄で作られたような箱が並べられており、鈍く光を放つ、不思議な雰囲気のある鉱石だった。
特別に扱われている様子もなく、ただ並べられているのが何となく気になった。
「ジンジャー様、こちらの鉱石が気になったのですが、詳細を教えていただけますか?」
ちらりと私に視線を向け、一瞬眉をしかめられた……気がした。
そんなに面倒くさい質問だっただろうか。
「そちらは、魔封石でございます。採掘をしていますと、その過程で必ず大量に採れる鉱石です。ただ、よく採れるものの、扱いが非常に厄介なうえに、価値があまりないのですよ。よってそちらにあるのは廃棄予定のものです。」
魔封石……たしかここの資料に目を通した時に時折目にした名だった。毎月それなりの費用をかけて廃棄している鉱石だった。
「価値があまりない――――それはなぜでしょうか?」
「熱で変形しやすく、加工が非常にやりにくいのです。石によっては人が長らく触れるだけで変形するものがあるくらいです。ただ、武器を作ったとしても脆く、壊れやすい――――あまり使いどころがないのですよ。だからといって周囲の魔力を吸収する特性のある鉱石ですから、簡単に廃棄もできません。数百個単位を塊で置いてそこに熱でも加えられてしまえば、魔力の作用で爆発してしまう恐れだってございます。そのため、魔力を抜いてから廃棄する必要があり、費用ばかりを食い、利益にもならない石でございます。」
忌々しいとでも言いたげな顔で、ジンジャー氏は傍らにある魔封石を睨んでいた。
有用な話ではないためか、あまりこの件については触れたくなさそうだったが、私は興味深々だった。
魔力を吸収し、廃棄に特定の手順を踏まないと魔力が抜けない……ということは、魔封石は魔力を保有することができるということだ。
加工が難しいことは確かに厄介だけれども、私の構想に理想的な鉱石だった。
「説明、ありがとうございます。失礼ではあるかと思いますが、この魔封石、ここのある分をいただいてもよろしいでしょうか?」
そう尋ねるとジンジャー氏と父親が驚いたように私を見る。
そんなに不思議なことだっただろうか……失礼であったのなら謝りたいけど、廃棄すると言っていたし、双方に何のデメリットもない気がした。
「アーリア、そんなにこの石が気になるのかい?ただの廃棄物だよ?」
「そうかもしれませんが、私は非常に興味深い鉱石だと感じました。私自身で分析したいと感じたのです。」
「はは、分析か。アーリアは勉強熱心なのだな。ジンジャー氏、いただいても問題はないな?この量なら爆発の恐れはないな?」
許可を取るというよりも、断言しているに近い父親の問いかけにジンジャー氏が恐れ多いというように肩をすくめた。
「この量であれば、冷暗所に保管いただければ問題ないでしょう。サイリア山脈はフォーカルド伯爵様が所有しております。お嬢様がお望みであれば、どうぞお好きなだけお収めください。」
「ありがとうございます。ヤーコン、こちらの鉱石をお願いします。」
「かしこまりました。」
今日ついた護衛の内の一人、ヤーコンは私の言葉を受け、箱持ち上げ運び出す。
一気にもらうのは強欲かもしれないけれど、実験したいのでたくさん必要だろう。
可能性を秘めている鉱石をゲットできたことにわくわくしていた。廃棄物ゆえに、遠慮なくもらえることも嬉しい。
今日受けた不快感はこれでちゃらだ、といった具合に浮かれていた。
そんな私を怪訝そうにジンジャー氏が見ながら口を開いた。
「さぁ、最後に立ち入り禁止区域を見ていただきましょう。もちろん入ることはできませんので、その手前まででございますが。」
◇
立ち入り禁止区域との間には渓谷があった。実に分かりやすい境界線であった。
この境界線を越えるのには一苦労しそうであり、意図しない限りは越えられないだろう。
ジンジャー氏曰く、この渓谷の深さは分からず、見た限りでは底は確認できないらしい。
「立ち入り禁止区域へは、決して立ち入ってはいけませんよ、お嬢様。過去に二人、欲にかられてこの境界を越えた者がいましたが、次の日には目も当てられないほど切り裂かれ、遺体として戻ってきております。」
それを聞いて悪寒がはしる。
精霊王と交わした契約は何度か目にしているため、厳しい対処については知らなかったわけではない。
実際、その遺体は、見せしめのようこの渓谷の真上に宙づりに浮いていたそうだ。
ただ、遺体が浮いていたであろうことを想像すると、気持ちがいいものではない。
山脈の所有を一部認めるに至った精霊王の気持ちは知らないが、容赦のなさは本物であるということだ。
「さて、お嬢様にお見せすべきところは、これで一通りご案内したかと……経営面の詳細な話は私の執務室でするとしますか。」
「そうだな。アーリア、移動しよう。」
「はい。父上様。」
ジンジャー氏と父親、そして私で執務室に向かおうとした際……ふと肩に何か触れた気がした。
振り返ってみるが、誰もいない。
ついている護衛も、私の肩に手の届く範囲には配置されていない。
気のせいだろうか……。確かに触られた気はしたのだけれども。
気になりつつ前を向くと、いつの間にかずっと先にジンジャー氏と父親がいた。
護衛も二人についており、私のことを忘れているように見えた。
そんなに存在感が薄いのだろうか、私は。
置いて行かれないよう、足を踏み出した瞬間―――
「あっ!」
何かに足をかけられたような不自然な感覚で前のめりに転んだ。
すぐさま足元を見るが、やはり何もない。今度こそおかしいと確信する。
何かされている気がする……。でも何に?誰に?まったく思い当たらない。
ジンジャー氏が何かするだろうか、父親の前で。父親も実の娘に変なことを仕掛けるような人ではないし、私が二人から離れていることに気づかない人間ではない。
再度前を見ると、二人とも相変わらず私に気づかず談笑しており、歩き続けている。
「父上様!」
大きな声を出してみる。絶対に声が届く距離にいるはずなのに、誰も振り返ることはない。
急に怖くなった。
世界から一人取り残されたような気分だ。私がいなくても何でもない世界。
たまらなくなって立ち上がる。とにかく今がおかしい状況なのは理解した。
早くこの状況から逃げなければ。
そんな気持ちをへし折ろうとでもいうように、後ろ――――つまりは渓谷側から強い風が吹いてきた。体がよろけそうになる突風で、たまらずしゃがみ込む。
ここは風の精霊王の住まう山脈。もしかすると私が何かしらの不敬を働いたのかもしれない。
魔封石をもらったのがいけなかったのか?立ち入り禁止区域に近づきすぎたからか?と色々よぎるが、どれも正しくない気がする。
そんな考えを巡らせていると急に体が包まれるように浮いた。
何が起こっているというのか……!
手足をばたつかせるけれども、意思とは関係のない方角に動いていく……それもやばい方向に……立ち入り禁止区域との境界線である渓谷に私の体は向かっているのだ。
「嫌っ」
さらに暴れるが私の意思は全く考慮されていない様子で、引きづられるように渓谷に連れてゆかれる。
まるで私を包んでいる風自体に意思があるようだった。
ふと前世で電車に轢かれた記憶がよぎる。ミシミシと頭蓋骨や体の骨が軋む音に、皮膚が破れるような感覚。
忘れていたはずの感覚がよみがえる。……そんな風にここでも引き裂かれてしまうのか。
体中が一気に冷たくなり、暴れる手足も次第に力を失っていく。抗わなければと思うが、思った以上に恐怖が体を覆う。
そうこうしているうちに、体が渓谷の真上に到達し、足元に底の見えない暗い渓谷が広がる。
この風が気まぐれで私を落とせば、一たまりもないであろう。体中が小刻みに震えているのがわかる。
情けない……まるで子羊のように非力であった。
ぷつんっと耳元で妙な音がし、重力を思い出したかのように体が下に引っ張られる――――つまりは落ちていた。
抗うことのできない重たい力に、私はどうすることもできない。
「きゃぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
落ちていく――――
冷たい空気が頬をかすめていき、終わることのない浮遊感で吐きそうだった。
すがるように上に手を伸ばすが、何もつかめない。ここで何かに当たれば即死だろう。頭上の光がどんどんと遠ざかっていく。
すがるように目を思い切りつぶる。
どうにかなるわけではないが、目をあけていられるほどの勇気は持ち合わせていない。
壁に当たらないこと、突き出ている岩などに当たらないことを願いながらも、完全にパニックになっていた。
誰か……誰か……!擦り切れるような痛みに喉が侵される。もう死んでしまう――――
「っ!」
絶望に包まれていた体の落下が急に止まった。ふわりとまたしても体が浮いていた。
体の中の臓器という臓器が、いきなりの急停止にぐるりと回る。本当に……気持ちの悪い。
こらえきれなくなってその場で涙を流しながら嘔吐した。
だが……垣間見えた嘔吐の中で、地面が見えた気がした。
涙にゆがむ視界を腕で拭い、目を開くと、地面まであと数センチという距離で私は浮いていたのだ。
助かった……?
まさか、あれだけ落ちておいて……生きている?
信じられない、何が起こったんだろう。むかむかとする胸を掻きむしる。
「気持ち悪かったかい?悪いことしたね……ごめんね?」
ふと聞き覚えのない細い声が聞こえた。慌てて横を向くと、そう遠くないところで男が立っていた。
長身の若い男――――髪は白いような銀髪のような、不思議な色をしていた。
何よりもルビーのように赤く光る目に目を奪われる。人離れしているような容姿に思わず見入ってしまう。
いや……実際その存在自体が人離れしているのであろう。ここにいるのはきっと人間じゃない。
私の視線に視線を絡めるように怪しく彼の目が光る。
そして、妖しく、ニタァとの効果音のつきそうな笑みを私に向けてきたのであった。
「急にごめんねぇ?びっくりしたねぇ?フォーカルド家のお嬢様。」
「なんで私の名を知って……」
「知っているさぁ、知っているとも。」
長い足で一歩ずつ私の元に彼は歩いてくる。
「こんにちは、アーリア。僕は精霊王、シーア。ようこそ、僕の城へ。」
そう言って彼は私の手を取り、そこにそっと口づけた。