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無印の呪い  作者: J佐助
国立王都研究所編
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第2章30節:白い教皇

灰色の目が私たち2人を捉えている。

はらはらと真っ白な髪が落ち、気だるげに追いかけた指がそれを拾い、耳にかける。

唇は薄く、生気がない。

ただ、その柔らかな目元から感情が漏れ、その人が生きているのだと気づかされる。

失礼な気づき、かもしれないけれど。


「お二方、どうかそんなに警戒なさらないでください。私はただ騒ぎを聞きつけて来ただけです。襲われている人々が多くいるというのに、私だけ指を咥えて守られているだなんて、耐えられません。」


そう言うと、彼は花が咲いたように笑った。

今にも消えてしまいそうな儚さを持つテリューア教皇。

この人が本当に私が恐れていた人なのだろうかと目を疑いたくなる。

それに…何だか懐かしい気がする…どこかで会ったような。

ぼうっとそう思うも、今は緊急事態なのだからと、頭を振ってその考えを追い払う。


「だがしかし、あなた様は守られているべき身。ここは危険です。離れましょう。」

「あらあら私の力を知っているくせに。意地悪なことを言うのですね。」

「力があるなしに関わらず、あなた様はここにいるべきではありません。」


リツさんの厳しい声から逃れるように穏やかな声が紡がれる。

ただその穏やかさにも芯を感じる強さが不思議とあって…リツさんには従わないという固い意志を感じる。

二人は距離をとってお互いを睨みあい、譲り合う様子はない。


「さっそく敵の気配がしますね。まぁ、見ていてください。自分の身くらいは守れますから。……おいで。」


愉快そうに三日月のような笑みを浮かべ、どこか空を手招く仕草をみせた。

手招く先は何もないのに…何をしようとしているのだろう。


疑問に思って見ていると、叫ぶように喜ぶ女たちの声が頭上から聞こえた。

見上げると、白い面を被った女たちが今さっきリツさんが開けた穴からこちらを覗いている。

まるで仕留める前に獲物を品定めするような光景にぞわり、と背中が粟立った。


「ほら、君たちの恐れる現実がやってくるよ。君たちは何が怖いのだろうね。」


テリューア教皇が指を振った。

すると、その指に合わせて白い面を被った女たちがぴくりと動きを揃えて反応する。

複数の操り人形が繋がっている糸で一度に引き揚げられているような不気味さがそこにはあった。


「さあ、お逃げなさい。恐怖に捕まってしまうよ。騎士団に助けを求めましょう。」


さらにテリューア教皇が指を振り、続けて女たちの体が反応した。

そして――耳をつんざく悲鳴が一斉に聞こえた。


「ぎゃぁああああああああ」

「お母様、おやめください。どうか、どうか。」

「私たちの希望を…どうかぁ!」


各々が叫び、絶望し、泣きわめき、震え、発狂していた。

おぞましく、まるで地獄のような光景に胸の奥からふつふつと吐き気が込み上げてくる。

テリューア教皇が何をしているのかは分からないけれど、彼の力が恐ろしいと思った。

敵の感情に直接触れているようだった。


「アーリア、大丈夫か?」

「大丈夫…ありがとう。」


リツさんに心配をかけないよう、なるべく声を抑えて返事をするも、うまくいかなかったらしい。背中を優しく撫でられた。


「テリューア教皇は、馬の印持ちだ。敵を追い払っているが、何があっても俺が守るから、安心してくれ。」


耳元に顔を寄せ、リツさんがそっと教えてくれた。

その温かな柔らかい声に、気持ちが少しだけ和らいだ。

馬の印――相手に幻覚や幻聴をみせることができる印。

加えて相手の精神に影響を与えることができるため、戦場や拷問などの際に駆り出されると聞いたことがある。

ただ、長く力を使い続けてしまうと、持ち主の精神が今度は侵されてしまうというデメリットがある。

知識としては知っていたけれど、目の前にすると恐ろしいところがある。

相手が完全にテリューア教皇に惑わされていた。


「逃げなきゃ!逃げなきゃ!」

「誰かぁ!助けてぇぇええ!」


頭を抱え、震え、身を捩る女たちが我先にとこの場から逃げ出し始める。

お互いを押しのけ、踏み越えながらこの場から逃れていく。

きっとテリューア教皇が言葉を吐いた通りに、騎士団の元に自ら突っ込んでいくのだろう。

一度に多くの人を相手に恐怖に陥れ、操るところをみると相当力の強い持ち主であることが伺えた。

自分の力に強者故の自信があるから、この場まで来ているのだろう。

体が緊張するのを感じて、服の裾を握る。

リツさんの力を疑っているわけではないけれど、精神面への攻撃は防ぐのは難しくはないだろうか。


「さて、敵も自首させましたし、研究所を襲っている残りの輩を相手していきましょうか。」

「教皇様、いけません。あなた様はここを離れなければ。」

「ほう。まだ言うようだね。私は大丈夫だよ、リツ卿。」

「いいえ。私に見つかったのが運の尽きでしたね。無理にでも連れていきます。」

「はぁ、君は頑固だ。頑固者だ。」


口を尖らせてテリューア教皇が不服そうにする。

その表情ままに瞳がぐるりと回り、私と灰色の目が合った。

そして、彼は柔らかく安心させるように笑う。


「そう心配そうなお顔をなさらないでくださいませ、フォーカルド家の令嬢殿。」

「え。」

「先ほどから眉が下がっています。私の術がそんなに怖かったですか?令嬢殿に力を振るうことは決してないのでご安心ください。どうかその美しいお顔を曇らせないで。」


リツさんに向けるものとは別の、温かみのある優しい声。

先ほど敵の精神を操ったとは思えない聖職者らしいとも言える雰囲気に、先ほどとの差に困惑する。

しかしながら、戸惑っている場合でもない。

息を吐いて気持ちを落ち着け、彼の目を見返した。


「申し訳ございません。お恥ずかしい姿をお見せしました。お初にお目にかかります、アーリア・E・フォーカルドと申します。お会いできて光栄に存じます。今はこの研究所に身を置いています。」

「話は聞いていますよ。文明の女神であると使徒たちも口を揃えて言っているのを聞きます。それに、あなたの父上である伯爵殿からも。とてもあなたのことを誇りに思っていると。」

「恐れ多いです、教皇様。」


頭を下げて礼を返す。

文明の女神…まだそう呼んでいる人たちがいるのか。

むず痒く思いながらも、顔を上げると再び目が合う。

再び穏やかな笑顔で返され、ふと気が付いた。懐かしさの原因が分かったのだ。

彼、テリューア教皇は、白い魔女に似ていると。


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