第2章29節:待ち人
リツさんの跳ね返した力に呑まれながら、面の女たちが散っていく。
面の女たちの中に牛の印持ちが何人かいたのか、慌てて跳ね返そうと腕を振るけれど、耐えることができず体ごと吹き飛ばされていた。
建物の中に嵐がやってきたかのような壮絶な景色。
目を奪われそうになるけれど、廊下の奥からやってきた女たちの手に魔統文字が渦巻いているのが見えた。安心する間もない。
魔法が、と伝える前にリツさんが大きく腕を振った。
手から放たれた青白く光る何かが目にも止まらぬ速さでやってきた女たちの喉を貫く。
その流れで私を抱き寄せながら、窓をぶち破ってやってくる魔法を逆の腕で牛の印を発動しながら薙ぎ払う。
そっくりそのまま魔法が相手に返り、耳を裂くような悲鳴が聞こえる。
リツさんの動きには一切無駄がない。
流れるように攻撃を払い、時に撃ち返し、相手の急所を距離があっても的確に射抜く。
彼のためにこの場が用意されているような錯覚を受ける。
「走るぞ。止まっていると次から次へとやってくる。」
「待って。目的地まであとどれくらい?」
「廊下の突き当りで右に数十歩分くらいだ。そこから床を破ればちょうど鳥の印が使える広間に落ちる。」
距離は分かったけれど、床をぶち抜いて下の階にいくつもりなのか。
なかなか斬新な移動方法だ。
でも、それぐらいの距離なら魔力が持ちそう。
ポケットに手を伸ばし、持っていた魔封石に指を入れる。
どくどくと魔力が流れ込み、体が満たされていくのを感じた。
すぐに入れたばかりの魔力をかき集め、私とリツさんの皮膚を覆うように熱を広げていく。
舞っている空気の流れを掴み、リツさんの手をとって引き寄せる力で前にそのまま突き進んだ。
少し足に力を入れるだけで、数メートル分一気に進み、風が耳元で強く唸る。
足が未だに震えてうまく歩けない。けど、そうしていればリツさんの足手まといになる。
こうして魔法を使わなければ自力で進めない自分が情けないけど、今は少しでも彼の邪魔になりたくはない。
ほんの数歩で廊下の突き当りに辿り着き、風の流れに身を任せながら右に曲がった。
「ここだ。ありがとう、すごいよ。」
優しく私の頭を撫でられた。柔らかな笑みに、胸が締め付けられそうなほど苦しくなる。
何もしていないどころか、この状況を引き起こした張本人なのに。こんな笑みを貰う権利なんてない。
私の周りを回る魔統文字がリツさんの手元にすっと引き寄せられ、彼の魔統文字に書き換わる。
「俺に捕まっていて。」
捕まろうと手を伸ばすと、リツさんに小脇に抱えられるようにして捕まえられた。
彼の全身が力むように固くなり、足元に魔力強化の魔統文字が舞う。
そのまま床に足がのめり込み、貫くように落ちていった。
まるでアトラクションの乗っているかのよう。
リツさんから流れる身を守る結界の文字が宙を飛び、衝撃を和らげてくれている。
確かに床を突き破っているはずなんだけれども…。
自分の見ている状況を疑いたくなるほどにほとんど衝撃を受けないまま一瞬の内に床を突き抜けた。
無事床を抜けたかと思えば、真下に真っ白な頭が見えた。
誰か、いる。
リツさんもすぐに気づき、体を捩って部屋の隅に降りた。
すぐさま私を背に庇い、いつでも魔法を発動できるように腕を構えた。
「おや?騒がしいかと思えばリツ卿じゃないですか。驚かされる登場の仕方ですね。」
春の日差しのような温かな柔らかい声。
この場に似合わないゆったりとした動作で振り返る姿はどこか神々しい。
垂れ長の目が視線を流しながら私達を捉え、嬉しそうに口元が緩んだ。
まるで、女性のようだった。真っ白な、美しい女性。
先に声をかけられていなければ分からなかっただろう。
髪を長く垂らし、気だるそうな色気も感じる佇まい。
幸せそうに笑うその様子に目を奪われてしまいそうだった。
「何でこんな時にここにいらっしゃるんですか、テリューア様。」
威嚇するような低い声で問われているのにも関わらず、テリューア様と呼ばれた彼は一切動じていなかった。
むしろ喜んでいるかのような気もする。
「お邪魔しています。」
礼をする彼から目が離れない。
彼が、テリューア教皇。
私が恐れている、人。




