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無印の呪い  作者: J佐助
国立王都研究所編
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第2章28節:被害者のような

部屋の外に出ると、いたるところに面の女がいた。

リツさんがここに来るまでに相手をしたのか、床に血を流し倒れている女が数人、そして、私の部屋に向かってくる女が数人いた。

どれもみんな同じ面を被った女。

ここの床も血の海であることに、きりきりと胃が痛むのを感じる。


「煩わしい。」


リツさんがそう呟くと、彼の体から魔統文字が飛ぶ。

私とリツさんの身を守る結界が張られ、そして、リツさんの額の前に別の魔法を発動しようと魔統文字が集う。

彼が許可をするように大きく腕を振り下ろした瞬間、目の前が白く光った。

同時に私の意思とは関係のない力で強制的に瞼が下りる。


「あああぁあああああ……!」


喉を削ぎそうな叫びが響き、胸が苦しくなった。

聞いているだけで死んでしまいそうな、苦しみを伴ったもの。

ただ聞いているだけでもこの場から逃げ出したくなるようなつらい叫び。

目から涙が零れそうになった瞬間、その叫びがぷつりと切れた。

同時に目への拘束がなくなったことを感じ、恐る恐る瞼を開く。


目を開いた世界は、嘘のように何も残っていなかった。

床に広がっていた血も、倒れていた面の女も、こちらに向かっていた面の女も…何もかも。

面の女が襲ってくる前の研究所に巻き戻ったかのような光景だった。


「行くぞ。」


リツさんが私の手を引き、走るところを見ると、襲われていたことは夢の話ではないことは確かだ。

現実のような夢のような嘘みたいな不思議な気持ちになる。


「さっきまでここにいた人たちはどうなったの?」


「全員消した。害あるものすべてを蒸発させた。」


冷たいリツさんの声に息が止まってしまいそうになった。

蒸発…つまりは、先ほどの叫びは……命を絶たれる前の苦しみの叫び。

耳の奥にこびりつく叫びにさらに具合が悪くなる。


こんな感情的になっている場合ではないのは知っているけれど、すべてがいきなり過ぎて追い付かない。

私はさっきまで部屋で兄からの手紙を読んでいたのに。

どう感じていいのか、どう物事を捉えればいいのか、すべてが霞んでいくような感覚。

リツさんに置いていかれないように必死に足を交互に出すので精一杯だった。


「アーリア。」


リツさんが足を止め、私に体を向ける。

急な停止に思考が追い付かなくなり、彼の胸にぶつかった。

ぶつかった私を彼がそのまま受け入れ、そして、抱きしめられる。

彼の香りと混じった血の匂いが鼻の奥を刺して、苦しい。


「ここからの光景は辛いものになると思う。だけど、相手も俺たちを殺しに来ている。加減は決してできない。」


リツさんが落ちている私の髪を一房手に取り、耳にかけてくれる。

一瞬触れた彼の冷たい手にぴくりと体が反応した。


「アーリアには辛い思いをさせているのは分かってる。ただ、俺は護衛である以上、二度とアーリアに害が出ないように徹底的にやつらを排除する必要がある。」


リツさんは屈み、俯いている私と目を合わせた。

黒いカラスの羽のような目が真っすぐと私を見つめていた。

何があっても逸らされることのないような強い目に私の視線は絡めとられる。


「やり方がむごいかもしれないが、俺はこうして生きてきた。守るためなら手段は厭わない。もしそんな俺と一緒にいるのが怖いなら、今からソウマにアーリアを預けて、その間に敵を一掃する。どうする?」


彼は気づいていたのだ。私がこの光景に怯えていること、体調を崩し始めていること。

そんなこと、気にしている場合ではないはずなのに。

彼の目に映っている私は、酷くやつれた顔をしていた。


そんな自分を見て思った――何のために私は今まで自分を鍛え上げてきたのだと。

そして、なぜ被害者のような立場で怯えているのだろう、と。


迫りくる女たちは以前私を襲った人間と同じ姿をしている。

私を追う理由は分からないけれど、今研究所が襲われているのは私が原因と考えても誤りはないだろう。

それなのに、リツさんの後ろに隠れ、守るために力を振るう姿に怯え、震え…一体どこまで第三者でいるつもりなのだろうか。

守られている安心感に溺れて大事なことを忘れてしまっていたらしい。


「リツさん、ごめんなさい。私、足手まといで…。でも、ソウマさんのところには行かない。」


まだ冷たい自分の肌。微かに震える指先。

でも、ここで逃げたら何か自分の大事な部分がなくなっていくような気がした。


「リツさんの殺し方が怖いと、正直思ってしまった。でも、このまま守られているばかりで何もできない自分の方がもっと怖い。」


私は私の幸せを自分の手で作って、切り開いていきたい。


「私もリツさんを守れるように精一杯力を振るうから、だから、一緒に戦おう。」


目を逸らさずに彼をまっすぐ射抜く。

彼の目に映る私はまだやつれていて不格好だけれど、その姿で少しでも彼に何かが伝わればいいと思う。

リツさんは私をただ静かに見返していた。私の気持ちを探っているかのような感じがする。

ただ、遠くで何人もの人間が走る音が聞こえ、現実に戻されたように振り返った。


「さっきので大部分を一掃したはずだが、どんどん増えてきているみたいだ。アーリアの気持ちは分かった。俺についてきて。」


リツさんの手が私の手を掴むために伸びてきたけれど、それを断るように首を振った。

自分の足で何とか彼についていく。

引っ張られたままでは、きっと彼の邪魔になる。


「リツさん、きてる!」


廊下の先にあの面の女が溢れそうなくらいの人数で現れた。

それぞれの手に、それぞれの魔統文字が集う。どれもここを明確に攻撃するような大きな魔法で、足がすくみそうになる。

発動しようとしている魔法を一身に受ければ、確実に死ぬだろう。


「リツさん、今相手の全員が魔法を展開していて、ほとんどが火と水の魔法。当たれば死ぬのは確実だと思う。」


「全員魔法か?印の効果を発動しようとしている人間はいる?」


「いないと思う。見える範囲では全員の手元に魔法が展開されてる。でも、私は印の発動は察知できないから。」


「分かった。アーリア、俺に策があるから、何もしないで俺の後ろにいてほしい。魔法は絶対に発動するな。逆に死ぬ。」


そう言い終えるか否かの内に、相手から魔法が発動され、攻撃がここに向かってくる。

全員の水と火の魔法が交じり合い、まるで龍が廊下を駆けるかのように、うねりながら私たちを狙う。


リツさんはその魔法を見つめ、ただ立っていた。魔統文字は一切彼から放たれていない。

どんどんと威力を上げて、魔法の塊が迫ってくる。

熱風が押し寄せ、思わず立っていられなくなるのを足に力を入れて耐える。

リツさんはそれでも動こうとしない。

大丈夫なのかと不安が頭を過ったけれど、彼は策があると言った。

私はリツさんを信じる。


攻撃が当たるかと思ったその一瞬の間にリツさんが指先を直線に振り下ろす。

目の前が青白く光り、薄く白い壁が私とリツさんの前に現れる。

その壁が魔法を受け止めた瞬間に、更に青白く光り、私達に迫っていた魔法がいつの間に敵の方に逆走していた。


このリツさんの力は…ウシインのものだろう。

牛の印は、外部から魔力を受けるとその力を利用、もしくは反射できる力を持つ。

普通であれば、牛の印持ちは魔力を使用できないというデメリットを持つけれど、竜の印を持つリツさんにはその枷がない。

牛の印を持つからといって、どんな力も利用できてしまうわけではない。

対人戦で一人か二人の魔法を利用できる程度なのが一般的だ。

自分のキャパシティを超える魔力は利用したり、反射したりできないけれど、あの人数の魔法で攻撃されてもリツさんは難なく跳ね返してしまった。

彼の力の強さを改めて見せつけられ、恐怖とは別の感情で鳥肌がたった。


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