第2章27節:前日
イルドレッドからの手紙が届いたのは、テリューア教皇が視察にくる前日だった。
手紙を受け取り、すぐ部屋に引き上げて読むと、やはり兄からの情報が記されている内容だった。
兄が調べた情報によると、シルビアータの生き残りは要伝書に記されている通りにテリューア教皇以外いない。
ただ、年少期に取引のため、シルビアータに訪れたことがある商人がいたそう。
テリューア教皇より数年年上で、シルビアータを訪れた記憶があるらしい。
何もないという理由から滅多に商人が寄り付かない村に興味を持ち、その商人の父親が取引に訪れたそうだった。
よくそんな人物が見つかったなと、兄の情報網に驚きを隠せない。
失礼かもしれないけれど、商人の名前を見ても、ぴんとこなかった。
今まで魔道具を売るにあたって、イグスレー商会を通じて多くの商人を相手にしてきた。
驕っているわけではないけれども、その経験故、結構幅広く商人の名前を把握している。
それでも分からないということは、兄は相当苦労したはずだった。
忙しいのに…時間を割いてくれた兄に心の中で感謝する。
その兄が調べてくれた商人曰く、彼が訪れた際にそもそも子供がその村にいたような記憶がないそうだ。
歓迎を受けて、村の催しに参加したそうだが、子供がいたとしても成人前であったりとで、村人から子供である自分の遊び相手がいないことを謝られたそうだ。
村の人口がそもそも低く、血のつながりのある者ばかりが住んでいる影響からか出生率が下がっていたそうで、存続の危機に陥っているというのが理由だった。
彼がシルビアータを訪れた年は、テリューア教皇が6歳になっているべき年――。
補足の情報として、その商人の父親はシルビアータを訪れた数年後に橋の上から転落死している旨も書かれていた。
ぞくりと、背中が粟立つのを感じた。
テリューア教皇は、シルビアータの人間ではない、という事実。
どうしてそれを隠す必要があったのか…元々の出生が隠さないといけないものだった?
なぜ…。
考えても答えが出ない問いが頭の中にぐるぐると回っている。
兄が得れた情報もそこまでだったが、引き続きテリューア教皇の出生を探る旨と私の心配をする内容があって手紙が終わっていた。
部屋の中にある蝋燭に手紙をかざし、燃えていくのを見ながらため息をつく。
「何か嫌な内容でもあったの?」
私のベットに寝そべりながらシーア様が問いかけてくる。
何と答えるべきかは分からないけれども、シーア様は私がテリューア教皇のことを探ってることを知っている。
リツさんが戻ってきていないことを見まわして確認し、口を開く。
「テリューア教皇の出生が残されていた物とは違うことを知りました。ますます彼が誰だかわからなくなりました…。」
「極端な捉え方かもしれないけど、人間に善人はいない。ま、それはどの種族を見ても言えることだけど。ただ、善人と周りに称えられている人間ほど善人を演じる癖が自然にできている。それだけ内と外の皮が分厚い。僕が長年人間を見て思ったことだけど。」
「そうかもしれませんね。」
燃えゆく手紙を見ながらそう返す。
明日のテリューア教皇の視察がどんどん不安になってきた。
リツさんは護衛の総責任者として忙しくなり、傍を離れることが多くなった。
視察が終わるまできっと会えないスケジュールだ。
彼の出生が要伝書にあったものと違うことは分かったが、それ以上の情報がないため、不安が強くなる一方だ。
「シーア様、明日私はこの部屋を出ます。テリューア教皇が視察を始める頃に抜ければリツさんやソウマさんに気づかれないでしょう。構わないでしょうか?」
「僕は人間とやらのルールに興味はない。守るべき君が望むのであれば、お供するよ。君を守ってほしい、がリツの願いだからね。部屋から出るのを止めるな、とは言われていない。」
シーア様は、悪戯をしたかのように笑う。
「でも、何でリツに言われたことを守らないという結論に至ったのかは知りたいな。」
「私は今まで何度か目的が不明な者に襲われていますが、考えればアナタリナ教と関わりのある人物が背後にいたことが多いと気が付いたのです。そのアナタリナ教の上に立つ人間が視察に来る…悪い予感しかしません。それなのに私がいるとされる部屋で、私が籠るのは狙ってくれと言ってるようなものではありませんか?」
「まぁ、そうだろうね。ただ、この部屋は特別寮の一室。下手したら研究所のどの部屋よりも頑丈にできている。それに、君が研究所に入る前に、リツが護衛しやすいよう、彼の魔力が部屋の壁に練り込まれている…つまりは、彼の力が発揮しやすい場所でもある。彼が一番君を守りやすい場所だよ?」
それでも…それでも部屋を出たかった。
私が敵を狙うとしたら、敵が絶対に大丈夫だと思うところを突く。
余裕によって油断が生まれ、また、意図しない場所からの奇襲は敵を鈍らせる。
「それでも、私はここを出ます。もう彼らの思い通りになりたくない…。」
考えすぎかもしれない。何も起こらない可能性も十分にある。
テリューア教皇の視察の際に何か起これば、黒幕が自分が黒幕だと言っているようなものだ。
リツさんに部屋にいてと言われたのに、私はそれを破ってしまう。
彼のことは信じているはずなのに…自分でもそう思う。
でも、考えればこの結論に行きつくのだ――彼のいない場所が怖い、と。
彼のいない場所であるからこそ、自分の身は自分で守らなくては、考えて動かなくては、と。
愚かなのかもしれない…でも、ずっと襲われている身であることにうんざりしているのだ。
私はただ、安定がほしいだけなのに。
考えれば考えるほど落ちてしまいそうになるのを感じ、思考を停止する。もう決めたことなのだから、考えるのはやめよう。
「アーリアの意思はわかったよ。明日はここを出よう。目的地はある?」
「あります。実は……」
考えていた場所を述べようと口を開いた瞬間、シーア様がふと視線をずらし、窓に目をやった。
その表情は険しく、一気に攻撃的な雰囲気を纏う。
「シーア様…?」
「アーリア……伏せろ!」
その言葉を言い終えるか否かのタイミングでシーア様の手が伸び、頭を地面に押し付けられる。
途端に窓ガラスが激しく割れる音が聞こえた。
「敵襲!アーリアは伏せておいて!リツを笛で呼んで!」
シーア様の手が頭からさっと離れ、気配が離れるのを感じた。
そのすぐ後に女のつんざく悲鳴が部屋に響き、何か液状のものが噴く音が聞こえた。
私とシーア様以外に誰かいる…。
その事実に体が一気に冷えた。私はまた襲われているのだ。
シーア様に言われた通り、伏せながらも首からかけている笛をとる。
震えながらも口元に持っていき、力の限り息を送り込み、吹いた。
「うっ…!」
頭を刺激する小さく、でも、鋭い音が辺りに響く。
笛から溢れた魔統文字が浮き上がり、目にも止まらぬ速さで私の目前を通りすぎる。
「お母様ぁあああ!」
女性の叫ぶような声が聞こえ、割と近くで何かが落ちるような衝撃があった。
恐る恐る顔を上げ、目を向けると、真っ白な顔に血しぶきを受けた頭が落ちていた。
その顔は見覚えのあるもので…体が硬直した。
この顔を持つ女を知っている…11歳の頃に私を連れ去ろうとしていた女と同じ顔をしている。
正しく言えば、顔ではなく、真っ白な面を被っている女。
私を連れ去ろうとした女は死んだはずだけれども、こうして同じような面を被った女がここにいる…。
倒れた女からどくどくとこぼれる血と連れ去られた時の恐怖があわさり、体から力が抜けていくのを感じた。
精一杯手を動かし、離れようとするけれども、鉛のように体が重たい。
まるで悪い夢を見ているかのようだった。
「愚かな人間共め…この僕が傍についている時にやってくるとは浅はかにもほどがある。死ねよ。」
冷たく低い、だけれどもどこかこの状況を楽しんでいるかのようにも感じるシーア様の声が聞こえる。
次々と敵を攻撃しているのか、風の唸る音とその後に破裂したような液体が飛び散るような音が続いている。
顔を上げて状況を見ると、目をそむけたくなるような光景があった。
さっきシーア様と話していた時まで白かった壁が真っ赤に染まっている。
まるで部屋の中で雨が降ったかのように地面も濡れていた。
シーア様の周りには白い面を被った女が何人も倒れていて、窓からその面の女が次々と部屋に入ってくる。
シーア様は何一つ汚れておらず、美しいままであるのに、嘘のように周りは血濡れている。
地獄のような光景に、胃がむかむかとし、この場ですぐに吐き出したくなった。
頭上で魔法が飛び交う中、私はシーア様の足手まといにならないよう部屋の隅まで這っていく。
冷たい体に何とか熱を集め、攻撃を防ぐ結界をかけようとしたが、すでにシーア様の魔法で私の周りに結界がはられていることを知る。
こんな時こそ落ち着いていかないといけないのに…。
何のために私は自分を守る術を身につけたのか。
いざこういった過酷な状況になると弱くなる自分に失望する。
「アーリア!」
私の部屋の戸が蹴破られ、リツさんが現れた。
部屋を見渡し、私をすぐに見つけると傍に駆け寄ってくれる。
「大丈夫か?」
「リツさん。」
私の手を取り、体を優しく起こしてくれる手つきに酷く安心した。
今まで吸えていなかった息をやっと肺に送り込めたような安心感。
「すまない。研究所内では鳥の印が遮断されてしまうから遅くなってしまった。急いでここを出よう。研究所内が敵だらけになっている。」
「敵だらけ…。」
「あぁ。どこもかしこもこの女がうじゃうじゃいる。研究所内の人間と手分けして追い払っているが、数が多い。時間がかかっている。」
私の部屋だけじゃなく、研究所内も。
この国立王都研究所の警備は決して甘くない。
重要な情報を取り扱っている故王城並みに警備はしっかり敷かれている。
そう簡単にまるで乗っ取られているこの状況はできないはずだ。
それだけ敵は強力であるのだ。
「アーリア、俺と来て。研究所を出ることになるけど、絶対に守る。俺を信じてくれ。」
私の手を強く握りしめ、彼の目が私に深く刺さる。
強い固い意思がその目から伝わる。逸らすことができないほどのもの。
私はこの人の言うことに逆らって、明日部屋を出ようとしていたのだ。深い罪悪感が胸を刺す。
うまく言葉が出せず、私は頷くことで返事をする。
「立てるか?」
再び頷いて、足に力を入れる。
一度安心したからか、先ほどよりも体に力を送ることができた。
「アーリアは俺について来るだけでいい。道は俺が開ける。鳥の印が使える場まで移動する。行くぞ。」
力強く引かれ、私も彼に後について走る。
振り返るとシーア様が飛び掛かってきた女の首を丁度射抜いているところだった。
私の視線に気づき、笑いながら手を振られる。
彼の前では人間は皆塵になってしまうのだという恐怖が心臓を撫でつつも、助けてくれている故の行動だと自分に言い聞かせ、礼を返した。
私はリツさんに引かれ、部屋の外に足を踏み出したのであった。




