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無印の呪い  作者: J佐助
国立王都研究所編
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第2章26節:希望の光

「構わないが…。」


少し首をかしげて不思議そうにするリツさん。

そのまま彼を引っ張り、空いてそうな部屋を探しながら廊下を進む。


「何だか僕邪魔そうだし?気になることがあるからここで失礼ー。」


「あっ。」


振り返ってシーア様を見ると、軽い笑みを残して背景に溶けるように姿が消えた。

気を遣っていただけたのだろうか…。

本当に気になることがあったのかもしれないけれども、ちりっと罪悪感が胸を刺す。


「気にするな、シーアはやりたいことをやっているだけだ。本当に気になることがあるから去っているのだろう。」


顔に出ていたのか、リツさんが軽く頭を撫でてくれる。


「部屋を探してるのか?なんならここを少し行った先にある。来て。」


今度はリツさんが私の腕を引き、廊下を進む。

一言も発していないのに、こうして見透かされると恥ずかしいような、嬉しいような、変な複雑さでとても奇妙だ。

長い脚でずんずん進んで行く彼に遅れをとらないように小走りで彼に続く。


「ここなら誰も使ってないはずだ。」


リツさんが部屋の戸を開くと、薄暗く、うっすらと薬品の匂いがした。

リツさんから光を灯す魔法が飛び、辺りが明るくなると、乾燥した草のようなものを詰めた瓶があちこちに並べられているのが見えた。

天秤やフラスコがあちこちに乱雑に置かれていて、調剤をしていたような形跡が見受けられるが、あたりが埃かぶっている。

研究所にもこのような打ち捨てられた場所があるのだと驚く。


「こんな場所もあるんだ。」


「ここだけじゃない。新しい研究が始まる度に研究団が作られて部屋が与えられるが、結果が出なかったりすると早々に解散される。ここはその跡。まぁ、新しい研究がまた始まれば清掃が入ってここも使われるだろうけど。」


近くの椅子を掴み、丁寧にリツさんが埃を払っていた。私たちが座る場を整えてくれているのだろう。

ただ、その埃を払う手の甲で印がちらちらと動いているのが見え、再び胸がじりじりと痛む。

物静かに過ごすリツさんの心をこうして動かすものは何なのだろう。

きっと聞いてもあのお茶会があった日のように強く拒絶されるだろうけれども、どうしても気になる。だが、聞く勇気は持ち合わせていない。

リツさんを想って動いているのか、自分がかわいいだけなのか…いや、後者なのだろうと思い至り自分の卑しさに唇を噛む。


「令嬢が座るような場所ではないかもしれないが、一応座れるようにはしてある。どうぞ。」


「ありがとう。その前に。」


胸元からハンカチを取り出し、リツさんの手を取る。自分の卑しさを少しでもかき消すかのように彼の埃を払った手を拭う。

ハンカチの周りを興味深そうにちらちらと印が彷徨う。

何か生き物の尾のような見た目をしているなと脳裏を過る。


「そこまで気にすることはない。」


汚れを拭う私の手を、空いている方の手でつかみ、引き寄せられた。

驚く私はあっという間に彼の隣に座らせられる。

ぴたりと彼と私の腕が密着するほどの距離であると気づき、急に頬が熱を持つ。


リツさんはこの距離に何か思うところはないのだろうか…。

いや…考えてみれば、抱きしめられたり壁に追い詰められたりしたことがあったなと思い出す。

彼はもともと距離感を詰める人なのかもしれない。単に私の気にしすぎなのかもしれない。

自分にしっかりするよう喝を入れるように息を吸い、私の方から口を開く。

密着していることを少しでも長く忘れていたい。


「えっと…リツさん、私、ずっと考えていることがあって。リツさんの狂化のこと。」


「俺の狂化?」


「うん。私だったらだけど、自分が溢れる可能性があることを考えながら生きていくのはすごく神経が削られるなって。だから、勝手なことしてるって知っているけれど、何か対処法はないかなと考えているの。」


さらに胸元から魔統文字が書かれている紙を取り出す。

リツさんは目をその紙に向ける。


「狂化すると体内で魔力が爆発するって言っていたし、さらには体質で魔力が生成され過ぎるわけよね…だから、薬で魔力を抑えていくより定期的に外に逃がしたり、もしくは活用できるのであれば別の方法で余剰の魔力を活用できないかなと思っていて。そのためにも、闇の魔法を使えるようになりたいと試行錯誤しているの。」


リツさんに目を向けると何かを考えているかのように部屋の隅に目を向けていた。

感情を読み取ることはできないけれど、私の話は聞いているようだからそのまま続ける。


「未知の魔法だから、まだちゃんと発動できてはいない。けれど、さっきこの紙が熱を持っていたの。シーア様はエグレイド様の気配がしたって仰ってて。発動の条件が分かれば、魔力で負担に感じている部分を抑えられると思うの。」


ふとリツさんの手の甲に目を向けると印は動いていなかった。どう思っているかは分からないのは変わらないままだけれど、少しだけ安心した。


「何も成果が出せていない中でこの話をするのもおかしいとは思うけど、希望の光が一切ないわけではないってことを知ってほしくて。何かあるかもって希望があった方が生きやすいかなって……っ。」


リツさんの体から魔統文字が飛び、部屋に気配と音を消す結界が張られるのを見たかと思うと視界が回った。

よくわからないまま、背には冷たい感触があり、顔を上げると黒い目の中に困惑している私が映っていた。

少し間を置いて、リツさんに組み敷かれているのだと理解した。


「リツさん」


「どうしてこう、的確についてくるのか驚く。」


「え。」


何を的確についているのか…分からないけれど、リツさんが眉間に皺を寄せ、唇を強く噛んでいる。

どこか苦しそうな顔に私が何か嫌な部分に触れたのかと焦る。

本人が一番気にしている、他人に触れられたくないことに触れてしまったのだろう。

それもそうだ…自分が暴発することなんて、誰だって気にかかる。

それを赤の他人に色々掘り返されれば、放っておいてほしいとの気持ちにもなるだろう。

私は何て馬鹿なのだろうか…呆れてくる。

自分の中の温度が急激に下がっていくのを感じた瞬間、足元のドレスがたくし上げられるのを感じた。外の空気が足に直に触れ、晒されていることを知る。


「え、何が、え。」


混乱してうまく言葉を吐けないまま慌てる私に、冷たい手がそっと太ももを這うのを感じだ。

状況的にもこれは、リツさんの手。

息を呑むと彼の目と合う。彼の目が少し潤み、熱を持っている気がした。


「突然ごめん。だけど、誰もいない部屋に二人きりで煽ってくるアーリアが悪い。俺がどれだけ色々抑えてきたか。」


絡み合った視線が外れたかと思えば、リツさんの頭が今度は私の首元に移動する。

髪がくすぐったいなと反射的に思った後に、濡れた感触が首に張り付くのを感じだ。


「あっ。」


太ももを撫でる手と首に重ねられる濡れた感触。

蝕むように彼の唇が首の上で動いていると気づいた時、沸騰するような熱さが身を襲う。

混乱しているはずなのに、身体が歓喜に震えていた。

彼に触れられている一つ一つが嬉しいと、触れられた場所が溶けそうなほど熱く痺れる。

何が起こっているのだろう、私は彼を怒らせたのではないのか、違うのか、どうなのか。


「リツさん、熱い。おかしくなりそう。」


「おかしくなって。俺は構わない。」


彼を止めようと吐いた言葉なのに、止まる様子はなく、今度は甘く顎を噛まれる。

たまらず息を吐くと、その息を丸ごと飲み込むかのように彼の唇で塞がれる。


彼の口の中は、もっと熱かった。


太ももをなぞっていたはずの手がそっと私の髪を梳いているのが分かる。

熱いと思いながらも、その優しい手つきに心臓が潰れてしまいそうになった。

好きな人にこんなに優しく扱われて死なない人はいないんじゃないだろうか。

抵抗しない自分にそんな言い訳をなぜかする。

彼の舌が口内のすべてを奪いつくすような勢いで入って来て、一気に苦しくなる。

苦しい中でも思い出したのは、彼と始めて会った時にされたキス。

あの時とは全然違う荒々しい彼に、痛いほど心臓が嬉しさを訴える。

熱さに溺れそうな中、ふと彼の唇が離れた。

眉を垂らして、でも熱を含んだ目で彼が私を見る。


「ごめん。どうかしてた。」


深く息を吐きながら、目尻にキスをされる。

そして、少し髪を撫でられるとリツさんが体を起こしてくれた。

突然終えた熱さに、私は何がどうなっているか頭が追い付かないまま彼の隣にまた座っている。

経験がないせいで、どう振舞えばいいか分からず非常にもどかしい。

前世の私、もっとがんばるべきだったのではないか。


リツさんは私との間に少し距離を空けて座り、悩まし気な息を吐く。

そんなに今さっきの状況は彼的に困ることだったのだろうか。

そう思うと先程まで歓喜に震えていた自分が恥ずかしくなってくる。

この短い間で嬉しかったり焦ったり恥ずかしくなったりで感情が非常に忙しい。


「あの、リツさん、今のどういう…」


「感情ままで動いてしまった。本当にごめん。結構自分で制御できてるつもりだったのに。」


リツさんが荒々しく首の裏をかく。目を向けると耳が真っ赤だった。


「最近の仕事にイライラしてて、何事もうまくいかなくて。アーリアから離れる時間も多くなっていくし、自分でもどうするべきか真っ暗な状態だった。」


彼の葛藤が伝わるかのような重い言葉。

言いづらそうにしながらも、考えながら吐かれる言葉であることが分かる。私は黙ってそれを聞く。


「足掻くけれど、その中でも自分のことを想って必死に何かをやってくれてる人がいたって気づくとおかしくなりそうなほど幸せになった。それも、一番守りたい人が俺のことを考えてくれてると思うと、今まで感じたことがないくらいの幸せでいっぱいになって。そういえば、部屋に落ちてた紙も、今もらった紙と同じようなことが記されていたなと思い出せばさらに思うところがあって。」


一番守りたい人、という言葉に再び熱さが染みるように肌に広がっていく。

何もできていないのに、この言葉の嬉しさを受け取ってもいいのだろうか。

それが罪深いことのような気がして後ろめたいのに、その言葉が耳の奥で響き続けている。


「衝動ままに動いたらいつの間にアーリアに触れていた。守る側の人間なのに、本当にごめん。」


目を向けると、眉を垂らして本当に申し訳なさそうにリツさんの表情が崩れていた。


「もし護衛を変えたければソウマに言ってくれれば手配してくれる。」


「私は、護衛を変えるつもりはないよ。リツさんがいい。」


すかさず否定する。

彼の行動は驚いたは驚いた。護衛であれば正しい行動ではなかったのかもしれない。

でも、傍にいるのは彼がいい…彼でなくてはだめなのだ。

否定はすぐできたけれど、残りの言葉は恥ずかしいのか、後ろめたさを感じているのか、言葉に出すことは躊躇われた。

ただ、理解してくれたかのように「ありがとう」と隣から聞こえた。

離れる様子がないことに安堵して息を吐く。


「あと、さっき言っていた俺の魔力の活用の話だけど、その活用先をアーリアにしてもらうことは可能?俺の魔力をアーリアに補充できないかということ。いつもアーリアが不思議な玉で魔力を補っているように。」


不思議な玉――魔封石のことだろう。

リツさんの魔力を私に流すといったことは考えなかったわけではないけれど、厚かましいような気がしてすぐに頭の中から追い払った。

魔力をどうやって受け渡すかにもよるかと思うけれど、空間の魔法を使うのだから、私の体内に魔力を流す空間を展開すればできるのかもしれない。


「リツさんの魔力の発生源と私の体内の器を繋げるような形で空間を展開するとか。どれだけ体に負担があるのかは未知数だけれども、それができれば可能だと思う。」


実行に移す時には細心の注意を払わなければならないのは言うまでもなくだけど。

でも、私でいいのだろうか。リツさんの魔力を私が自分のものとして使うのだ。


「よかった。もし安全に魔力が渡すことが可能であれば、ぜひそうしてほしい。」


「そう言ってもらえて嬉しいけれど、私でいいの?リツさんの魔力のレベルであれば、国の施設を動かすくらい難なくできると思うけれど。」


「もしアーリアに渡しても余るのであれば好きに使ってほしい。ただ、第一にアーリアに恩恵を受けてほしい。アーリアだから、受け取ってほしい。」


力の籠った強い眼差しが私の目を刺す。

彼が本当に私に魔力を渡したいと思ってくれていることが痛いほど伝わる。

そこまで考えてくれていることに胸が熱くなりながら、私は視線を床に向ける。


「わかった。もし問題なくできそうであればそうする。……ありがとう。」


照れで掠れた声を聞かれて、少し笑ったように隣の彼が息を軽く吐いたのがわかった。

彼に少しでも安心できる要素を渡したくてこの部屋に来たはずなのに、私が何かをもらっている気がして困ってしまった。


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