第2章20節:安息
シーア様には丁重に謝ったけれども、リツさんにはまだ不満そうな顔を向けていた。
リツさんは気にしないとでも言いたげな顔だったから、シーア様は諦めるようにして視線を私に向けた。
「狂化って、そう簡単に対処できるものじゃないよ、アーリア。過去にリツが一度だけ狂化したことがあったみたいだけど、鎮静薬を何回投与しても落ち着かなくって、最終的には意識を落とした上で数十回投与した。すべてを知っていた僕が言えることじゃないけど、それでもリツが護衛にいていいの?軽視してたら……死ぬよ?」
リツさんが暴発したと考えると、誰も抑えられないかもしれない。
私の身に危険が及ぶかもしれないけれど…でも、裏切られるのとは遥かに違う。私にとっては。
リツさんから得られるこの安心感は、私にとっては心の拠り所で、何よりも重要で……。
「ご心配ありがとうございます。ただ、軽視しているわけではありません。狂化のことを含めても、リツさんに護衛にいてほしいと思っているのです。前々からリツさんの魔力が作り出され続けることに何らかの対処法を見つけようと思っていたのです。狂化もそれとあわせて策を考えます。幸い、この遺跡にはヒントになるような情報がたくさんありますので。」
飛んでいる闇の魔法の魔統文字に目を向ける。
空間の魔法……これはうまくいけば、有効活用できる。
まだ構想の段階だし、うまく説明できるわけではないから、誰にも明かせないけれども、この魔法を扱えればうまくいくかもしれない。
シーア様は私を青い澄んだ目で見つめ、考えを探ろうとしているのが分かる。
シーア様は、ただ私を否定しているのではない。私のことを思って警告してくださっているのだ。
しばらくそうやって目があっていたけれども、息を吐いてシーア様がその視線を外した。
「まぁ、アーリアは時々びっくりすることやってのけちゃうからねぇ。様子見としますか。」
「ありがとうございます。」
シーア様が一先ず許してくれたことにほっとする。
「話は逸れたが、この破壊の魔女が十二の印を持ってたと思う理由だけど…狂化してたと思うから。狂化していると、何も考えはない。ただ思うがままにすべての力を外に出すことだけの行動をとる。考えもなく、意思もなく、思いもなくって部分がそう感じる。それに、後に魔神となるイリテメイドが相手になったんだ。相当強力だったんだろう。そう考えると十二の印を持っていたのも頷ける。」
「なるほど。それに、国同士の争いというのも気になりますね。戦争があったということでしょうか。それに、その戦争を魔女が止めたということになりますね。」
「イリテメイドが生きていたということを考えれば、百年戦争じゃないか。」
1,000年前に起こったとされる百年戦争。それで魔族も絶滅した……はず。
壁に書かれた内容を見る限り、破壊の魔女が戦争を止めたように見える。
それに、魔族であるイリテメイドが魔女に勝利しているから、魔族は絶滅したわけではない?
本当に魔女が百年戦争を止めたのか。それとも、戦争が止まったのは一時的なもの?
まだまだ分からないところが多くあるけれども、この内容が見つかったのは大きな収穫だろう。
「リツ卿ー!アーリア様ー!」
ふと私達を呼ぶ声が聞こえた。この声は…ランドグリス氏だ。
すぐ近くまでいるのだろうか。この部屋への道が開けているからちょうどよかった。
「人間がうじゃうじゃとやってくるねぇ。僕はここで消えておくよ。」
シーア様が私に手を振ると、すっと体が消えていった。
シーア様を纏っていた魔統文字もあわせて溶けるように消えていく。
「危険だから奴らに自己判断で再び遺跡に入ってほしくなかったんだがな。そろそろ合流して、他の人間にもこの部屋を見てもらおう。」
リツさんは弱く笑いながら、首元に落ちている布を顔を隠すように巻き付けた。
心なしか、少しだけ嬉しそうにしているような気がした。気にかけてもらえて嬉しかったのかな。
きっとランドグリス氏達に心配をたくさんかけた。早く皆の元に戻ろう。
リツさんの手を取ると、体が震えたような気がした。
それでも私は構わずリツさんと手を繋ぐ。
安心したのか分からないけれど、何だかこうしていたい気分だったのだ。
リツさんは振り払うことなく、手を繋ぎ続けてくれた。
◇
破壊の魔女のことが記されている部屋を調査メンバーに見てもらってから数日後に私達は王都に帰還した。
他にも部屋がないか休息をとりながら遺跡を調べてみたけれど、目に見える階段はすべてフェイクで、地竜と何度か遭遇した。
その度にリツさんが地竜を跳ね退けたけど、新しい部屋が出てくることもなかった。
調べつくしたとの判断が出て、王都への帰還が決定した。
私はというと、魔族語の調査とは別に、闇の魔法の魔統文字を見つけられるだけ見つけ、ある程度残しておいた。
たぶん…だけれども、闇の魔法の魔統文字も50文字存在する。
それと、あの遺跡には光の魔法は存在していないと思われる。
浮いている魔統文字を一つ一つ記録していくと、同じものがない魔統文字が50存在した。51個目の文字は確認できなかった。
それに、見つけた50の魔統文字は必ず何らかの魔法を発動するために、他の魔統文字と一緒に浮いていた。
物を投げ込むなどの実験で何らかの反応を見てみたけれど、物が消えることはあっても時間が巻き戻るような光の魔法に関係すると思われる反応はなかった。
後は遺跡にいる中で調べ上げた情報を一つ一つ洗い出して使えるかどうかを見てみるしかないと思う。
「信じられないです。こんな情報が眠っていたなんて…。これは大発見ですよ、アーリア。今度はこの情報が正しいものであるのかを検証して報告しなければ。あぁ、素晴らしい!」
私達が持ち帰ったものを見て、ソウマさんは頬を赤らめながら喜んでいた。
報告書を愛おしそうに眺めている。
それを隣で土の精霊王であるグヴィード様が嬉しそうな顔で見ていた。
彼女が現れるのを見ることはあんまりないけれど、ソウマさんの喜んだ顔を見たくて出てきたのかな。
そう思ってしまうくらいに、彼女の顔は幸せそうだった。
もしかして、グヴィード様、ソウマさんのこと……
「報告は一通り終わった。そろそろ俺達も休もう。アーリアも研究所に着いてから休んでいないはずだ。」
私の肩に手を置きながらリツさんがそう言ってくれた。
考えてみれば、王都に着いてからソウマさんへの報告や調査団の皆へお礼に回ったりと忙しくしてたような気がする。
必死だったから自覚はなかったけれども、そう言われてみると疲れたような気がする。
「そうですね。休みましょうか。リツさんも私をずっと守ってくださり、ありがとうございました。リツさんがいなければ何も成し得ることができませんでした。」
皆がんばっていたけど、何と言っても一番はリツさんががんばっていた。
贔屓しているとか、そんなものではなくて…実際そうだった。
最終的に討伐した魔物は地竜を10体以上、ゴーレムも数十体、他の魔物までカウントに入れると3桁いくかどうか。
もちろん他の護衛メンバーも力を尽くして魔物を討伐していたけれど…地竜を跳ね退けられたのはリツさんだけだった。
地竜を退けられなければ皆生きて帰ってこれなかったわけで…。
簡単そうにすべてをこなしてしまうけれど、考えてみるととんでもないことだ。
「俺はすべきことをしただけ。大したことじゃない。」
「大したことなんですよ。もっと自分を褒めてあげてください。」
そう言ってもリツさんはぴんと来ないらしく、表情は変わらないままだった。
本当にすごいことを成し遂げたのに…。でも、何だかリツさんらしくて思わず笑みがこぼれる。
リツさんはそんな私を不思議そうに見ていた。
「今日はお休みするとして、後日たくさんお礼させてくださいね。外出の許可が出れば外で食べに行きますか?」
そう言った後に、しまったと気づく。
外に出たらリツさんがもっと警戒しなければならない状況を作ってしまうのであって…それはお礼とは言わないんじゃないのか。
自分の失言と完全にリツさんに頼りきってしまっている思考にげんなりする。
「あ、外出はリツさんの負担になりますね…。すみません。考えなしでした。」
「いや、そんなことはない。二人で出かけることができるならばそうしたい。」
項垂れていたが、思いもよらない返しに驚き、リツさんを見る。
相変わらず表情に変化はないから不安になるけれども、たしかに「そうしたい」と言ったような。
リツさんと二人で出かけられる……そう思うと羽ばたいていけるような、そんな浮き立ちそうな気持ちになった。
手が微かに震え、心臓が異常に大きな音をたてる。
リツさんにお礼をする意味も込めてのお誘いなのに、私が喜んでどうするんだ。
「よかったです。では、後程日にちを決めましょう。それでは、部屋に戻りましょうか。」
足を踏み出した途端、後ろに引かれる感覚があった。
振り返ると、リツさんが私の服を掴み、自分の方に引いていた。
どう、したのだろうか。
まだ部屋に戻れない理由があったりするのかな。リツさんのお薬の時間だったり…いや、先ほど投与したばっかりだから大丈夫なはず。
「礼……がしたいのなら、一つ願いがある。」
考えを巡らせていると、リツさんが消え入りそうな声でそう呟いた。
あぁ、私、勝手にどんなお礼をするか決めてしまったけれど、もちろん本人に色々聞くのが正しい。
つくづく私は勝手だと再び自分に失望する。
「すみません。勝手にお出かけするとか決めてしまいましたね。どんなことでしょうか?」
「いや、出かけたい。けど、もう一つ願いが、ある。」
すごく言いづらそうに、リツさんが一つ一つの言葉を区切る。
頼みづらいことだったりするのだろうか。口を開きづらそうにしているリツさんを見ながら思う。
心なしか、少しだけ耳が赤い気がするのは、私の見間違えだろうか。
「もっと、こう…砕けて話してほしい。」
「え?」
驚いてリツさんの目を見ると、慌てて目を逸らされる。
リツさんの顔は真っ赤だった。もしかして、これは照れてるんだろうか。
「俺に向かって丁寧に話す必要はない。もっと砕けて話すというか……何て言えば伝わるか。」
リツさんが珍しく困っているような仕草を見せた。たまらなくなって、思わず笑ってしまう。
なかなか言いたいことを伝えられていないリツさんが何だか可愛く思えてきたのだ。耐えられなくても仕方がないと思う。
つまりは、リツさんは私に敬語はやめてほしいと言いたいのかな。
それは、私としてもすごく嬉しいことで……。むしろ、こちらからいいのかと聞き返したいほど。
少し照れ臭いけれども、それを胸の奥にぐっと押し込める。
「こんな風に話してほしいってことかな。」
さらっと口に出してみて、思いのほか恥ずかしくなる。
何だかいてもたってもいられない感じだ。
砕けて話すのはイルドレッド以来だろうか…。
「うん…。それがいい。そのままでいて。」
先程まで慌てた様子だったリツさんが落ち着きを取り戻したのか、穏やかそうな顔をしていた。
砕けて話せるのがそんなに嬉しいことなのかな。
でも、それほどまでに私と仲良くなろうとしてくれてることに単純に嬉しく思う。
家族と話す時でさえも敬語で話さなければならないこの世界に、イルドレッド以外に思うままに話せる人がいることが嬉しい。
「わかった。恥ずかしいけれど、これでいくね。」
照れを噛み潰しながらリツさんにそう声をかけると、頷き返してくれた。
これでは私が何かをリツさんから貰ったみたいだな、と思いながら二人で部屋に帰るために歩みを進めた。




