第2章17節:地竜
脳を前後に揺さぶられるような衝撃を受け、反射的に体を起こした。
ぼやける視界の前に、真っ白い足が見え、誰かが立っていることが分かる。
どうなっているのだろうか……。
たしか、私はリツさんと一緒に落ちたような気がした。
リツさんは大丈夫なのだろうか。
そう思いながら目の前に立っている人に目を向けると、その人が気が付いたのか、振り返った。
「シーア様…。」
「アーリア、気が付いたようだね。」
私の前に立っていたのはシーア様だった。
シーア様がいるということは、私が危機的状況にいたから…ということだろうか。
「ここはどこでしょうか。リツさんはどこにいるかご存知でしょうか。」
「ここはまだ遺跡内だよ。君達がいた場所からここに転移してきたんだよ。リツは今この遺跡の地竜と戦闘中。ここに転移した時に地竜が待ち受けていてねぇ。気を失っているアーリアを見ててほしいと頼まれたんだよ。」
「地竜!?」
信じられずに聞き返す私に、シーア様が笑いながら彼の背後を指さした。
目を向けると見たことを疑いたくなるような巨大な黒い塊がそこにはあった。
端から端まで大声を出さなければ声が届かなさそうな広い空間いっぱいに黒い塊が、その体に似合わない速さで動いている。
地竜は、リツさんの攻撃を避けるように目にも止まらない速さで躱していた。
頭と思われる場所が先ほどからリツさんを追っているが、目も鼻も見当たらず、まるでナマコのようであった。
体は土の属性の加護の魔法がびっしりと張り巡らされており、魔法をかなり重ねている様子からも、簡単に攻撃を与えることはできないことが見受けられる。
それなのに、リツさんは飛び上がると、そのまま右足を振り下ろし、更に重ねて左足を打ち付けるように蹴り込む。
リツさんの蹴った場所から電気がほとばしり、地竜の赤黒い血が体から噴水のように噴き出た。
以前の私であれば、その血の量に気分が悪くなっていたかもしれないけれど……3日間魔物達が討伐され続けているところを見たからか、いくらか耐性がついているみたいだった。
少し体に震えがくるけれど、見ていられないほどではない。
この状況に慣れつつあること自体に、嫌な気がするけれども。
苦しそうな叫び声をあげ、その塊は振り払うように体を大きく揺らすが、リツさんはすでにその場にはいない。
「あははっ。余裕だねぇ。もっと派手にやればいいものを。」
シーア様が楽し気に笑っていた。
私はというと、楽しんでいられるほどの気力はない。
いきなり地竜との戦闘になったことにも頭が追い付いていない上に、地竜とリツさんの大きさの差を思うと、気が気じゃなかった。
リツさんの戦いを見ていれば、心配はないことぐらい知っているし、それに、リツさんと初めて出会った時よりも、今の方が比べ物にならないくらい速く、また、強いことは分かる。
けど、彼が少しでも危ない目に晒されていることを目の当たりにすると、心がじりじりと痛む。
リツさんは一瞬で地竜の顔だと思われる前に現れ、体を回転させながら腕を右、左と振り下ろす。
振り下ろされた腕から強い光が放たれ、地竜の頭と思われる部分がぐらっと揺れる。
再び赤黒い血が破裂したように飛び散り、リツさんが地に着地すると同時に地竜の頭も地に落ちた。
地竜の体を纏っていた土の加護もそれにあわせて弾け飛び、体も力を失ったように地に広がった。
リツさんは気を休めることなくすぐに腕を振り上げ、手のひらから火の魔法を地竜の死体に放った。
リツさんから放たれた火は竜巻のように渦巻き、大きく広がり、そして地竜を飲み込む。
あっという間に地竜の死体は炎に覆われていた。
地竜は完全に体を消滅させなければ再び蘇る特性がある。
蘇りを防ぐためにもやったことであろう。
火が完全に地竜を包んだのを見届け、リツさんは私の方に走ってきてくれる。
戦い終えたばかりで疲れているだろうに…無事そうなリツさんに安堵する。
「アーリア、目が覚めたのか。体に何か異変はないか?」
「私は大丈夫です。リツさんはどうでしょうか?」
「俺も特に問題はない。ただ、他の者達とはぐれてしまったな。どうやら遺跡内の別の部屋に飛ばされてしまったようだな。」
頬についた血を拭いながら、リツさんが辺りを見回す。
戦闘のせいか、今まで口元を覆っていた布もはだけていた。
地竜が燃えていること以外に、特にこの部屋に特別なものはなく、出口も入口もない、ただの広い部屋だった。
他のメンバーは無事だろうか。意識を失う前の状況では判断ができず、心配になる。
「鳥の印の効果を発動させてこの部屋から出ることも可能かもしれないが、ここに飛ばされる前にその力が何かに侵食されたことを思うと、試すのは後の方がいいかもしれない。今回は一緒に飛ばされたからよかったものの、今度何があるか分からない。」
「そうですね…。印の力が何かに侵食されることってあるんですね。」
「侵食されるなんてこと、聞いたことがない。この遺跡に何か仕掛けられていたとしか考えられない。」
印が侵食されるなんてこと、私も文献などで見たことがない。
私よりも実戦経験が遥かにあるだろうリツさんが言うのだから、きっとないのだろう。
魔族の遺跡ということは、魔族は何らかの方法で印をコントロールできる力があるのだろうか。
安易に印の力を頼らない方がいいのかもしれない。
「いやぁ、でも本当にさっきは懐かしいものを見たねぇ。闇の属性の魔法……あんなのがまだあったなんてねぇ。」
ぽつりとシーア様が呟いた。
闇の属性の魔法……どういうことだろうか。
この世界には4つの属性魔法しかないはずだ。闇の属性なんて聞いたことがない。
シーア様と目が合うと、口角を釣り上げて愉快そうに顔を崩した。
「百年戦争のせいで失われた魔法だよ。本来属性魔法は、火、水、土、風、そして、光と闇の六つ存在するんだよ。」
「六つですか…。」
「そう、六つ。光は時間に関わる魔法で、闇は空間に関わる魔法。癪だけど、他4つの属性とは比べ物にならないくらい強力でねぇ。ただ、百年戦争で光と闇の精霊王が殺されたことで消滅したはずなんだけど…どうして発動してたのかなぁ。生きてるのか、エグレイド。」
そんな魔法があったのか。それに、精霊王が殺されるとその属性魔法が失われるだなんて…初めて聞くことばかりだ。
リツさんに目を向けるけれども、特に驚いた様子もない。
知っていたのかな…。よく分からないけれど、きっとこの内容は限られた人しか知らないのかもしれない。
さっき私が見た見知らぬ文字はきっと闇の属性のものだったのだろう。
「あれ…?」
リツさんの背後で燃えていた地竜に上から光が注がれているような気がした。
さっきは光が差し込んでいただろうか…というより、先ほどまでは出口も入口もなく、天井も岩のようなもので覆われていて光が差し込むような状況ではなかったはずだ。
私が背後に目を向けていることに気づき、リツさんも振り返る。
「あの光はどこからきているんでしょうか。」
「地竜を倒したことで道が開けたのか。行ってみよう。」
私が頷くと、リツさんが難なく私を抱え上げた。
恥ずかしくて抵抗したかったけれども、リツさんの顔が真剣で、言えるような雰囲気ではなかった。
何だか私を抱え上げるのが当たり前になっているかのような……。
「リツは相変わらず抜け目ないねぇ。さり気なく触ってるよ。」
「シーア、置いて行くぞ。」
「はいはい、僕も行きますよっと。」
ふわりと風が私たちを纏い、宙に浮く。
一瞬で地竜の死体の上に飛ぶと、天井に丸く光が溢れていた。
微かに頭上から風が流れてくるのを感じる。ここから出られそうだった。
「アーリア、また俺に捕まっておいて。今度は何があるのか分からないから。何かにこう試されるのは気に入らないけど。」
「分かりました。」
正しい階段を選ばなければ地竜に襲われるって話だけれども…さっき地竜に襲われたし、それにこの出口は階段ですらない。
変な道に誘導されているような気がするけれども、テレポートの能力が現状信用できるようなものではない以上、こうやって進むしかない。
再び気を失わないよう強く気持ちを持ちながら、私達は光の中に飛び込んだ。




