第2章3節:成人の儀
海の底の色を拾ったような深みのある青いマーメイドラインのドレスに、太陽の光を受けて煌めく宝石を埋め込んだネックレスを首にかける。
鏡に目を向けると、いつもとは大分違う、着飾った私の姿があった。
プラチナブロンドの髪は結い上げられ、ほんのりと目元に化粧がされているけれども、口には目の色と同じ紅が塗られていて妙に目をひいた。
自分で言うのもおかしい話だけれども、着飾るときちんと貴族に見えるのだなぁ…と。
いや、貴族ではあるんだけれども。
「アーリア様、お美しいです。目を離すことができませんわ。今日は息を突く間もないくらい声がかかるのではないでしょうか。」
「そんな大袈裟な。誰も無印になんて興味はないですよ。実際、お見合いの話も一切きていないのですから。」
「それは、皆様がそれだけのことで判断しているからでございます。実際にアーリア様に会えば覆るでしょう。本当に世の男性は何を見ているんでしょうか。全く呆れるばかりです。こんな美しくて聡明で、お優しい、それなのに謙虚なお方、どこを探しても見つからないと言うのに!」
イリアがイライラしながら世の男性への不満をぶちまけてくる。
聞いているだけで恥ずかしく、どう返していいか分からないので、そのままにしておく。
リツさんから貰ったネックレスは、少し紐のサイズを調整して今だけ手首に巻いていた。
それだけなのに、緊張していた気持ちが和らぐ。
今日、私は成人の儀を執り行う。
成人の儀は、国教でもあるアナタリナ教の司祭が女神アナタリナに私の成人を告げ、祝福を授かる一連の流れのことを指す。
祝福を授かれば、もうこの世界での成人として認められる。
この儀の後には、屋敷で私の成人の儀の晩餐会があるため、今日は休む間もないだろう。
それに、今日は貴族や領民、教会関係など色んな人間を呼んでいる。
いくら警戒していても、敵が紛れる可能性は十分にある。油断はできない。
ドレスを少しめくり、普段持ち歩いている短剣を内太ももに隠すように巻き付ける。
物騒ではあるけれども、もう私は誘拐を許す甘さは出さない。
「それでは、そろそろ参りましょう。」
◇
フォーカルド家の屋敷に一番近いアナタリナ教の教会で成人の儀が執り行われた。
今日は晴れ渡っており、太陽の輝きが教会のステンドグラスを通して教会内を照らしている。
聖歌隊が女神アナタリナに捧げる讃美歌を歌い、神秘的な空間が創り出されていた。
私は宗教にそこまで関心を示す方ではなかったため、アナタリナ教については一般的な教養しかないのだけれども、この雰囲気を味わうと、なるほど女神が存在するような気持になるのは理解できた。
一般的には家族が見守る中で成人の儀が執り行われるため、今日は父親と母親、そして兄と数名の使用人達が教会の席に着いて私のことを見守っていた。
ただ、気になる人物が一人、教会の一番後ろの席に座り、私を見ている。
銀髪の短く、流れるような髪に、雪のように白い肌、琥珀を目に埋め込んだような黄色い目が印象的な男性だ。
見た感じだと私よりも数年年上であるような印象を受ける。
微笑むように私を見ており、わずかに弧を描く目を見ていると虫も殺せないような優しそうな雰囲気が彼から溢れ出ているが、油断ならない理由としては、彼が国立王都研究所の副所長であるからだ。
彼の名は、ソウマ・K・レイヤード――騎士爵を持つ人だ。
幼い頃に両親を事故で亡くしたらしく、その流れで孤児院にいたところ、彼の印に惹かれた国の役人から声がかかり、年少期に騎士団に入ったそう。
身体能力も抜群で剣技は他を圧倒するが、それよりも魔法の扱いに長け、国一番の魔術師だともいわれている。
一人で数十人を圧倒できる力の持ち主だが、彼も特殊な体質で被験者であり、若くはあるが副所長の座にまで昇り詰めたらしい。
その特殊な体質が何であるかというと、彼は二つ印持ちなのである。
二つ印持ち――それは、名の通り、二つの印を体に刻まれている物を指す。
二つ印持ちは、歴史を遡るといなかったわけではないが、竜の印持ちよりもさらに稀少で、数百年に数人いる程度だと言われている。
稀少であるが故に、それがどのような効果をもたらすのかは詳細が分かっていないのだけれども、爆発的な力を手にすることが多いようだ。
通常の印持ちよりも何倍も印の効果を得られるみたいだけれども、詳細はあまり公表されていないため、色々探ってもこれぐらいの情報しか得ることができなかった。
そんな彼が私の成人の儀にいる。
許可なくというわけではなく、事前に話があり、私達家族も承諾した――というより、承諾するよう王家の命として出ていたから承諾せざるを得なかった。
どうやら私が成人したことを目視するために寄越した人物らしいけれども、それだけのために副所長である人が来るのも怪しい。
私は成人の儀を迎えた翌日、つまりは明日、王都に向かうことが決まっていた。
抵抗するわけでもないのに、どうしてこんな力のある人物を寄越し、私が成人する過程を見守る必要があるのだろうか。
言葉がなくとも、思いっきり監視していることを伝えているようなものだ。
彼に目を向けていると、優しく微笑まれ、手を振られた。
気さく……なのだろうか。分からないけれども、何だか落ち着かない。
軽く会釈をし、目を前にいる司祭に向ける。
女神アナタリナに向けて、私が成人した旨を伝えており、その言葉に流れにあわせて少しずつ教壇上にいる司祭に向かって歩みを進める。
最後の締めの言葉にあわせて、司祭の元にたどり着くように進む必要がある。
聖歌隊の歌声が一段と高くなり、女神への賛美を送る。
ふと目を向けると聖歌隊の一番左奥にいる女性と目があった。
相手は祈るようにしずかに目を閉じたけれども、一瞬私を射抜くような目線であったことが少し気にかかる。
歩みを進めながら、その女性に目を向け続ける。
念のために歯の奥に挟んでいる錠剤の薬を噛み潰した。
以前私を治療するためにリツさんが私に処方してくれた薬の材料を私が覚えていた。
リツさんの存在は伏せたまま、材料を母親に伝え、作ってもらっていた。
これによって仮に魔法の発動を封じられるような行動をとられても防げる。
そんな行動をとる自分に気づき、自分の成人の儀であるのに、嬉しい、寂しいなどの気持ちがないことに我ながら呆れてしまう。
ただ周りを警戒して、ただ儀式を執り行う。
ここ数年で警戒心が強くなってきているが、その代わりに大事なものを失っている気がする。
「アナタリナ様の祝福を、アーリア・E・フォーカルドにお与えください。永遠の繁栄を心から願います。」
その司祭の言葉で、我に返った。
こんな時に私は何をもたついているんだ。
教壇上に上がり、司祭に傅いた。
司祭が手に持っている杖を私の頭上にかざし、祝福を受けると成人の儀は終了だ。
杖の先には神守石という構成がついており、女神アナタリナの祝福を受けると光り輝くと言う。
私もこの鉱石の仕組みが気になって調べようとしたけれども、神守石の所有権はすべてアナタリナ教に属していたため、なかなか手が出せなかったのだ。
女神アナタリナが本当にいるならば、彼女の発する魔法の周波数に反応している仕組みなのだろうかと興味が湧く。
せっかくだからこの神守石を近くで見てみたいが、祝福を受けている最中は顔を上げることが禁じられているため、ぐっと堪える。
「おぉ…この輝きは……素晴らしい。」
地が光に照らされており、太陽が一気に射したと思うような明るさだった。
これが祝福の光だろうか…想像よりも明るい光で驚いた。
心なしか体が温かくなるような感覚がある。
その温かさを感じていると、ふと気を配っていた聖歌隊で人が動く気配を感じた。
そっと動くようなものではなく、隊列を乱すような足音も聞こえる。
頭を上げてはいけないことは分かっているが、自分を狙ってくる可能性を思うと無視はできない。
太ももから短剣を取り出し、構え、聖歌隊の方に体を向きなおす。
先ほど私と目があった女性の手元に魔統文字が集まっていくのが見えた。
やっぱり……彼女は怪しかった。すぐに攻撃を防ぐ結界を張り、風を体に纏う。
「敵です!聖歌隊の左奥の女性!」
そう叫んで司祭を抱き上げ、その場から後ろに飛んで離れた。
その瞬間、後ろから閃光が私たちを横切っていった。
横切った閃光は魔法を発動しようとしている聖歌隊の女性にあたり、その衝撃で後ろの壁に弾き飛ばされた。
振り向くと、そこにはソウマ卿が立ち、手のひらからは閃光を放った名残の魔統文字が宙を舞っていた。
楽しそうに笑っているその姿は、少し不気味だった。
「いやぁ、フォーカルド家の姫君は素晴らしいですね。一瞬の内に敵に気づき、動かれた。なかなか貴族の令嬢にできることではありませんよ。」
凛とした声で、そう言うと、今度は体に風を纏わせ、一歩彼が踏み出す。
途端に風の横を突風が吹いたかと思えば、ソウマ卿の姿が消えた。
すぐさま聖歌隊の女性に目を向けると、ソウマ卿が片手で女性の両腕を背中に固定しながら、もう片方の腕で後ろから首を絞めていた。
「フォーカルド伯爵様、この者を騎士団に預けましてもよろしいでしょうか。」
あまりの早さで敵を拘束したソウマ卿を見て、父親は少し圧倒されていたが、気を取り直し、ソウマ卿にそれを許可した。
フォーカルド家で拘束したとしてもどのみち騎士団に引き渡すつもりであった。
「ありがとうございます。必ずやこの襲撃に至った原因を突き止めましょう。出てきてください。」
誰に話しかけているのだろう…。
誰もいないのに背後に人がいるかのようにソウマ卿が話しかけた。
すると、彼の傍の空間がぐにゃりと歪み、そこから黒い長髪の女性が出てきた。
陶器のような白い肌に、切れ長の真っ赤な目と唇が彼女の美しさを引き立たせる。
網目状の黒いタイトなドレスは女の私でも色気にやられそうなほど、魅力で溢れている。
ただ、シーア様と似たような加護の魔統文字が彼女の周りを飛んでいるのが気になった。
シーア様は風の加護だったけれども、彼女は土の加護……もしや……
「主、お呼びでしょうか。」
「グヴィード、こいつを騎士団に引き渡してください。言うまでもないですが、絶対に逃がさないでくださいね。」
「かしこまりました。」
優雅に彼女が一礼する。
周りにいる聖歌隊の男性がその仕草に釘付けになるぐらい、本当に美しいものだった。
こんなにすべての動作が優雅で、ため息の出るような女性はいるだろうか。
指先までの動きが計算されつくされたように動いていた。
そのグヴィードと呼ばれた女性の周囲に魔統文字が集まりだしたかと思えば、聖歌隊の女性が拘束されている場の土が盛り上がった。
その盛り上がった聖歌隊の女性の体を勢いよく飲みこみ、地中に引きずり込んだ。
拘束されている女性が叫ぶ間もなく飲まれ、蜘蛛が獲物を食らうようなその光景に悪寒がはしる。
「主、行って参ります。」
「はいはい。早く行ってきてください。」
笑顔でソウマ卿が急かすように言い、彼女は再び一礼をして、土の中に落ちていくように潜っていった。
一瞬の出来事にその場にいた皆が圧倒されていた。
ソウマ卿は恐らく……いや、確実に土の精霊王、グヴィード様と契約を結ばれている。
そして、この瞬く間に難なく敵を片づけた相当な力の持ち主。
話しは聞いていたけれども、実際目の当たりにすると震えがくる。
静まり返っている場を見て、ソウマ卿が皆に笑いかけた。
「成人の儀の続きをなさるなら、一先ず、姫君は司祭を降ろしてさしあげた方がいいかと思いました。」
「あっ…。」
……忘れていた。




