第1章25節:不穏な影
私が屋敷に戻った日、すぐさま両親にも話がいき、押し潰されるんではないかと心配するほど家族の抱擁を受けた。
各地に派遣されていた捜索隊は戻され、そして、エクスティアからヤーコンたちが戻ってきた。
一瞬で帰れる鳥の印持ちのマーカスが裏切ったせいですぐに帰れず、また、エクスティアやその他の町で、人を運ぶ運送屋の鳥の印持ちが、不足していたため、余儀なく馬車で帰る選択を取らされたらしい。
通常であれば、各町に運送屋があり、自身で鳥の印持ちを確保できない人が、鳥の印持ちを雇えるようになっている。
ただ、運が悪いことに、アナタリナ教の礼拝堂巡回の時期と重なっていたらしく、数百名にもおよぶ使徒が鳥の印持ちを雇いきっていてしまったため、すぐに帰ることができなかったそう。
そして、すぐに騎士団の団員がフォーカルドに送られ、取り調べを受けた。
リツさんとシーア様のことは一切話さず、自分で逃げ切ったことを伝えた。
険しい顔をしながら、私の言っていたことを書き留めていたけれど、見た感じ疑われている気はしなかった。
すべての情報を伝えたわけではないことに罪悪感があるが、これは恩人であるリツさんを困らせないために、私が精一杯できることだ。
「ここ最近目まぐるしかったわ……。」
一連が終わるまでに一か月ほど有した。
まるで飛ぶように日が過ぎたことに驚いてしまう。
助けられたことがずいぶん昔のように感じるくらい。
ため息を吐き、ティーカップをテーブルに置く私に、イリアが微笑みかけてくれる。
そっと私にお代わりの紅茶を注いでくれる。
「イリア、傷の具合はどうですか?」
「お気遣いありがとうございます。少し痛む時はありますが、今はもう問題ないです。」
イリアがお腹を手で軽く押さえながら言った。
バッカスに刺され、一時は倒れたイリアだったが、ヤーコンの適切な判断と処置により無事に帰還していた。
しばらく休養していたが、働かないと気が済まないと言って、わずか数日で働き出した。
とんでもない体の持ち主である。
「無理はしないでくださいね。またあなたを失ったかもしれないと思うのは、悲しすぎます。」
「勿体ないお言葉です。そう思っていただけることが、私は幸せでございます。」
優しく笑うイリアを見て、少しだけ安心し、紅茶に口をつけた。
爽やかな香りが鼻を抜けていく。
そして、この屋敷を去ったヤーコンのことを思う。
ヤーコンは、二度も私の誘拐を許したと自分を責め、責任を取る意味で辞職した。
一度目はシーア様の魔法で、二度目は仲間の裏切りでと、私から見るとむしろ防ぐ方が困難なのではないかと思い、本人を引き留めた。
詳しいことは言えなかったけれども、ヤーコンがいたからこそ守られたものもあったはずだ。
それに、ヤーコンは何年も一緒にいる護衛だった。
「理由はどうであれ、誘拐を一度のみならず、二度も許したことが護衛として恥ずべきことなのです。」
彼はそう言い、私に何度も自分の至らなさを謝罪した上で、去ってしまった。
いつも傍に彼が控えていたことを思うと、心に穴が開いたようで苦しかった。
つい部屋の隅に目をやるが、彼がいないことで落ち込む自分がいる。
自分の至らなさが招いた結果だ。私はもっと強くならなければならない。
あんな風に簡単に私自身が攫われてしまうこと許してしまうようでは、この先、生きていけないし、今回のように周りの人に迷惑をかけることになる。
魔法を封じられただけで、バッカスには一撃で体勢を崩されてしまった。
大男一人相手にすらうまく対処できない。
面の女性が――それも、体系や背丈、髪色が全く一緒であった人間が数名いたことを考えると、組織的なものの動きを感じる。
しかも、あの面の女性の動きや速さ……リツさんに敵わなかったとはいえ、戦い慣れたというか、相当鍛えぬいていることが伺えた。
それに、なぜ私のことをお母様と呼んだのか。
ひょっとして転生関係で、何か私から生まれたのか?
考えれば考えるほどよく分からなくなる…。
ただ、私のやるべきことは決まっていた。
情報を得ること、そして、自分の力をもっとつけることだ。
「アーリア様、イルドレッド様が来ました。」
「ありがとうございます。通してもらえますか。」
実は、今日はイルドレッドと会う約束をしており、私が誘拐されてからこれが初めて会う機会だった。
私が帰ってきてからすぐに、父親が家族と信用のおける一部護衛、そして使用人を除いて、外部の人との接触を禁じていた。
バッカスのように、怪しい人物が紛れていないかを警戒したためである。
父親は、私の身近な人を一人一人調べ上げ、結果としてイルドレッド一家が問題ないとの結論が出たため、こうしてやっと機会を設けて会うことができる。
何度か会いに来てくれたみたいだけれども、その度に追い返されていたことを聞くと、かなり胸が痛んだ。
イリアに通されて、イルドレッドが戸の陰から体を出した。
赤みの強い金髪が可愛く揺れ、いつもは吊り上がっている目が、今日は変に垂れ下がっていた。
私は、イリアを見て頷くと、彼女は使用人を連れ、数名の護衛を残して、部屋を出てくれた。
使用人が去ったのを見て、私は口を開いた。
「イルドレッド、久しぶりだね。ずっと会えない状況で、申し訳な…」
「ごめん…!」
イルドレッドが私の引き、私を強く抱きしめてきた。
あまりの力の強さに、心臓が潰れるかと思ったけれども、彼が微かに震えているのを感じて何も言わなかった。
「同行していながら何もできねぇで……本当にごめん。」
「そんな、私を守るのは護衛の役目だし、私も自分自身の身を守れるだけの力をつけているべきだったんだよ。イルドレッドは何も悪くない。」
「でも、俺は男だ!一緒にいる子一人も守れねぇでどうするよ!?」
掠れた、苦しそうな声を聞いているだけで、私の心も軋むように痛い。
彼は疲れ果てていたし、自室で休んでもらってたから仕方ないことなのに…。
ただ、それを言っても何の慰めにもならないどころか、むしろ侮辱してしまうかのようにも思えた。
彼の背にそっと手を伸ばし、宥めるように撫でた。
「イルドレッドは、これまでに私を色んな場面で助けてくれたし、心を許している数少ない友人だと思っているよ。イルドレッドがいなければ、私は魔法が使えないままだったかもしれないし、魔道具も形にできなかったかもしれない。」
「そんなことはねぇ。お嬢さんは、俺がいなくともいずれは目的を達成できたはずだ。」
「それは買い被りすぎだよ…。私はそれだけイルドレッドのことを頼りになると思っている。今こう言われてもしっくりこないかもしれないけど、私はイルドレッドにいつも守られていると思っているよ。」
今私が言えること、思っていたことをそっと彼に伝える。
今は伝わらないかもしれないし、この苦しさは彼で区切りをつけるしかないのだと思うけれども…彼は一切何もできなかったわけではないことを知ってほしかった。
心を包む気持ちで、抱きしめ返した。
◇
「あああああ!」
手に持っていたワイングラスを目の前の顔のない女に叩きつける。
激しく音をたてて割れ、その破片で切ったのか、その女から血が流れる。
かわいそうだとは微塵も思わない。自業自得だ。
この出来損ないを今にでも捻り殺したい思いだ。
「申し訳ございません、お父様。」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!そう思うなら、結果を出せ!今回が絶好のチャンスだった。それをお前はつかみ損ねた。おかげで今はかなり警戒されて近づけなくなるわ、あのクソみたいな男と接触されて迂闊に手が出せないわで、最悪の結果になった。同じような手は二度と使えない!」
「申し訳ございません。」
それしか言うことができないのか。
クソみたいな女を作ったものだな、私は。
込み上げてくる怒りを抑える気などなく、机の上に置いていたナイフを首を狙って投げる。
ナイフは見事に喉の真ん中に突き刺さり、女が膝をつきながら血を流す。
そう…自分の行動を悔い改めろ。
あのリツだとか言う男に、今まで散々邪魔され、追われ、今回に至っては危うく辿り着かれるところだった。
邪魔で邪魔で仕方がない。呪い殺してやりたい。
あんな子がせっかくこの世に誕生したかと思ったのに、やっと私の願いが叶うと思ったのに、どうしてこうも邪魔が入るのか。
込み上げてくる憎悪が抑えられず、近くにあった机を持ち上げ、壁に投げつける。
勢いよく壁にぶち当たった机は、粉々に壊れ、壁にも大きな窪みができていた。
まだ紛れない。
「いいか。相手が行動に移す前に、成人前に、アーリア様をここに連れてこい。こっちの姿は晒すな。これすら守れないのであれば、お前らまとめて殺してやる。」
声が出せないのか、礼をする女。
しっかり返事できないその姿にも苛立つが、ここは辛うじて抑え込む。
この危機感でよく動いてくれる可能性がまだあるため、堪えた。
女は再び一礼すると、その場から離れ、駆けていく。
あぁ……私のアーリア様、会いたいよ。
いつも読んでいただきありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです!
もしよろしければ、感想や画面下部にある評価をいただけると嬉しいです。
励み&参考にさせていただきます。




