第1章20節:黒い少年
返事をしようにも、喉が痺れているせいで声が出せなかった。
というより、体が動かせない。
よって拘束を解かれたのに、地面に転がったままという不格好なままで彼の前にいる。
吸い込まれそうな黒い目が、私の様子を伺っている。
雰囲気からして、敵ではないのかもしれないが……彼の情報が一切ない。
ただ、私が今まで戦う姿を見た中の誰よりも強いということだけしか分からない。
「……動けないのか?」
そう問い、彼は私の様子をじっと見る。
ここで彼を信じていいのかは分からないけれども…今の私には彼しかいない。
どうして彼がバッカスや面の女性を撃退したのかは分からないけど……。
非力である自分が悪い。
今は彼を信じて縋ってみようと決めた。
頷くことさえできない私は、伝わってほしいとの思いを込め、何度か目を瞬かせる。
不思議そうに顔を傾げていたが、気づいたのか、目つきが鋭くなった。
「俺の言うことが正しい時は、2回瞬きして。違うなら1回して。分かったら瞬き2回。」
分かったとの意味を込めて、2回瞬きした。
「君は呪いで動けない?」
1回瞬きをする。
彼は顎に手を当てて、少し考え込んでから口を開いた。
「何かを飲まされたの?」
少し悩んだが、2回瞬く。
飲まされた訳ではないが、とにかく何か体に入れられてしまったことをアピールしたかった。
その後も、体が一切動かないのか、熱はあるのか、吐き気はどうか、眩暈はするのか、魔力が抜けていく感じがするのかなど、色々質問を受けた。
まるで、診察されているようだ。
時折、私に断りの一言を入れてから、心臓辺りに手を当てる仕草をとったりしていた。
彼の触れたところは淡く白く光り、シーア様に体の中を探られたことを思い出した。
一通り私に質問を繰り返した後、彼は困ったように息をついた。
「毒薬を飲まされてると思う。ただ、何を飲まされたのかさっぱり分からない。魔力がある状態で魔法が使えなくなる毒薬なんて聞いたことがない。」
顎に手を当てて、彼は目と瞑る。
眉間に皺が寄っていく様子を見ていると、私はやっぱり状況としてはかなり厳しいのだと再認識する。
毒薬か……魔法が使えなくなるなんて、やっぱり毒薬の部類か……。
そう思っていると、彼が私に向き直り、思いつめたような表情をした。
少し困っているような、言いづらそうな、そんな印象を受ける。
「今から君にすることは、危害を与えるものではない……って先に言っておく。君を助けるためにすることで、つまりは毒薬の成分を知るためにやることだ。だから、俺のやることを信じてほしい。必ず助けるから。」
何をしようとしているのか、全く分からないけれども…強い意志を感じた。
私は今は彼を信じるしかないのだ。覚悟を決め、2回瞬きを返した。
彼は驚いたかのように少し目を見開き、息を吐いた。
彼の体から魔統文字が紡ぎ出される。
見ていると、どうやら外からの攻撃を守るもの、そして私たちの気配を消すような隠蔽の効果のある結界を作っているようだ。
たしかに今は森の中にいるようだから、魔物の襲撃を受ける可能性はあるし、私を攫ったやつらの仲間が潜んでる可能性はある。
私自身の気配を消されることに少し不安があったが、今の私ではどうすることもできない。
色々と考えていると、いつの間に彼が私の顔に自分の顔を寄せていた。
彼の長い睫毛が見え、黒い瞳が微かに揺れる。
その視線が何だか私を射抜くような気がして、どきりと心臓が激しく跳ねた。
そのまま頬にそっと手が添えられ、ぐっと彼の顔が近づき、一瞬の間に唇を奪われていた。
驚いて彼を見返すが、閉じられた目からは彼の様子が分からない。
ただ、睫毛が長くて、色っぽく揺れているだけだった。
すぐに私の唇がこじ開けられるような感覚がし、口の中に何かが入ってくる。
口の中が麻痺しているから、細かい感触はわからない。
ただ、頬の内側や舌の上を何かが動いているのは分かる。
何か……ではないか……。きっとこの状況からも彼の舌が入っているのだろう。
そう自覚すると、体の奥から熱くなるのが分かった。
この少年に……キス、されている。
頭の中に閃光が走ったような衝撃を受け、パニックになった。
前世は生き抜くのに必死だったせいで、恋人がいたことがない。
よって誰かとキスをした覚えもない……。
つまり、今が私の初めてのキスだった。
恥ずかしさに耐えられず、目を思いっきりつぶったが、意識が口に持っていかれ、逆効果だった。
彼の動きが分かってしまう。
強引なものではなく、優しく確かめるように動く彼の舌。
息をどのタイミングで吸って吐けばいいのか混乱して、酸欠になりそうになる。
いっぱいいっぱいになっていると、そっと彼の顔が離れた。
ゆっくりと瞼が持ち上げられ、色気のある目で見つめられる。
「いきなり、ごめん。」
そう呟いて、彼は再び私に顔を近づけると、今度は唇ではなく、額に唇を落とした。
さっきとは違う恥ずかしさが込み上げてくる。
「薬の成分は分かった。よく分からない薬草だけど、解毒の薬はなんとか作れそう。待ってて。」
そっとそう言い、軽く私の頭を撫でると、彼の体が私から離れる。
ばくばくする心臓が抑えられず、目のやり場にただ困ってしまう。
いきなり過ぎて頭が追い付かなく、正直言ってパンクしそうだった。
だけど、今ので分かったと言っていた。
彼は、兎の印持ちなのだろうか。
今私の口内に触れただけで、毒となる成分を理解し、薬を作ろうとしている。
兎の印持ちは、薬を調合する能力に優れ、また、口にした薬も再現可能な能力がある。
毒と薬は表裏一体だと聞いたことがある。
同じ要領で毒を見破り、解毒の薬を作っているのだろう。
彼は懐から古びた革袋を取り出すと、地面に置き、開封し、広げていく。
試験管のような細い管がずらりとならんでいた。
そして、再び懐からすり鉢とすりこぎのような物を取り出し、同じく地面に置く。
彼はちらりと試験管のようなものに目を向け、複数本取り出すと、中に入っていたものをすり鉢にどんどん注いでいった。
彼の手からふわりと水の魔法の魔統文字が飛び、水を加えながら、すりこぎで潰していく。
何を混ぜたらいいか、どう潰せばいいか完璧に把握しているようで、手際よく作業していた。
時折私の方に目を向けて、無事を確認するような仕草を見せる。
目が合うと、安心したように彼の目が揺れているように感じるから、照れ臭くなる。
どうして私のことをこんなに気にかけてくれるのだろう。
私を放っておくこともできるのに……。
私を助けるメリットが思いつかず、困惑する。
「できた。」
そう彼は呟くと、人差し指をくいくいと動かし、水と風の魔法を発動しながら、すり鉢の中にある薬であろう物質を引き上げていた。
彼の指先で黒くどろりとした薬が渦巻きながら浮いている。
まるで呼吸をするかのように魔法を使う彼に目を奪われる。
彼のようにスムーズに魔法を使える人を見たことがない。
しかも水と風、火と風のような、異なる属性を混ぜ合わせた魔法は、発動するのは簡単ではない。
複雑ながらも明確なイメージが必要だし、魔力もその分多く消費する。
それなのに、調合した薬を取り出す行為のためだけに難なくその魔法を使ってしまう彼に驚きが隠せない。
こういう人を天才と呼ぶのだろうか……。
彼は私の傍により、片手で私の体を起こすと、調合した薬を私の目の前に持ってきた。
「解毒の薬だから。安心して飲んで……そう。」
彼の指で口を開けられ、するりと口の中に薬が入っていく。
薬が喉をすべっていくのを感じる。
「体内に入った薬は、俺が吸収率が良くなるように薬の効果を誘導する。だから、それまでの間はここにいよう。ただ、君の痺れは数日は引かないと思うから回復するまで俺の拠点に連れて行く。」
わかった?と聞かれ、瞬きで理解したことを返した。
私はここがどこなのか分からないし、ある程度力を取り戻したら行動したい。
彼に連れられるのは不安があるが、悪い感じは受けないし、一先ず警戒しながら彼と行動を共にしよう。
私の返答に満足したのか、小さく頷き、私の体を支えながら、彼が反対の手で私の体に手をそっと添える。
その手から淡い光が出て、体が温かくなるのを感じる。
薬の吸収率が良くなるように効果を誘導するって言っていたのだけれども……彼は人体の構造にも詳しいのだろうか。
人や魔物の治癒ができる能力を持つ、猿の印というのがある。
自分を治癒することができないというデメリットがあるが、人を癒す力があるのは、この印を持つ者だけなはず…。
でも、先ほど彼は、未知の毒薬の解毒の薬を生み出していた。
そこで、私はある可能性にいきつく。
人を癒す力があるのは、猿の印を持つ者だけ…だが、一つ例外な印がある。
それは、竜の印という印だ。




