4 双子の精霊
翌日、やけに神殿が賑やかだった。
祭儀の時にサドリに斬りつけられた背中が、今も熱を持っている。
侍女が朝食を運んでくれたけれど、やはり食欲はない。
「失礼いたします」
ドアがノックされ、ヒューリが室内に入ってきた。手つかずのままの食事を一瞥し、小さくため息をついている。
平パン、深鉢に入ったミルクと桃、硬い干し肉に胡桃。ヒューリは多くを語らないけれど、彼の苦々しい表情から「怪我人に干し肉はないだろう」と言いたい気持ちが伝わってくる。
ヒューリは椅子をベッドの側に置くと、そこに腰かけた。白い手袋をはめ、角盆に載せた器とスプーンを手に取る。
「今朝はご自分で召し上がれますね」
ツァイに確認してくるのに、視線を合わせてはくれない。昨日のキスのことを尋ねたいけれど、ヒューリは全身でそれを拒否している。
(ああ、あれはわたしのことが好きで……というわけではなかったのね。本当は後悔しているんだわ)
どきどきしていたのは、自分だけ。そう考えると、さらに落ち込んでしまう。
「無理です。食べさせてください」
ヒューリは言葉もなく固まっている。
(こうなったら、意地悪するんです)
一緒にいることのできる今くらいは、甘えてもいいはずだ。どうせ嫌われているのなら、さらに嫌われても同じこと。
ツァイはうなずくと軽く口を開いた。ヒューリはそんなツァイと、自分が手にしているスプーンを交互に見ている。
早くしてくれないと、口を開けっぱなしでは馬鹿みたいに見えるし、顎が疲れてしまうではないか。
痺れを切らしたツァイが、黒い袖に包まれたヒューリの腕を、つんつんと突いた。
聖女と誤って接触しても、男性の肌にじかに触れることのないように、ヒューリは常に長袖だ。
「……またですか。困ります」
聞こえてくる声は、かすれていた。
「ええ、困らせているんですもの」
ツァイは身を乗りだした。ヒューリはためらっていたが、器の中で桃を潰し、そこにミルクを混ぜた。
小さく息をついてから、スプーンをツァイの口元へ差し出してくる。
優しい甘さが口いっぱいに広がった。
懐かしい味に、ツァイはゆっくりと瞼を閉じた。
十歳にも満たぬ頃、過酷な祭儀に体が耐え切れずに、よく熱を出した。あの時も、ヒューリが潰した桃を食べさせてくれた。ツァイの好物を覚えてくれていたのだ。
(だめ、やっぱり諦めることなんてできません)
ヒューリのことが好きだ。こんなにも。
「騒がしいですね。見て参ります」
桃を食べさせ終えたヒューリは、立ち上がり窓辺へと向かった。
ドス……ドスン、ドスン。地響きを立てながら、何かが近づいてくる音がする。
ぬるい風に乗って、獣のにおいが室内に届いた。
広い庭には、場違いな象がいた。その背には華やかな刺繍の施された布が掛けられ、そっくりな顔をした双子が座っている。
庭に面した柱廊側の扉から、双子が勢いよくツァイの部屋に飛び込んできた。
「いやー、呼ばれたから来たわよ」
「我らは暇……いや、人々の願いや悩みに耳を傾けることが必要でな。ああ、そこのヒューリとやら、付き添いはいらぬぞ」
こほん、と咳払いをしたのは双子の兄のアメシスト。妹のシトリンはというと、嬉しそうにツァイの顔を覗きこんでいる。
ヒューリは命じられるままに、部屋の外へと出ていった。恐らくは扉の前で待機するのだろう。
「願いと言われても……」
「何を申すか。ツァイ。そなた、我らアメトリンのことを呼んだであろうに」
うっ、とツァイは言葉を詰まらせた。
他に相談できる人がいないなんて、恥ずかしくて言えやしない。
「ねぇねぇ、ツァイ。この印なぁに?」
金色のふわふわした髪を揺らしながら、シトリンが壁に貼った月のカレンダーを覗きこんでいる。
「どれ」と妙に老成した口調で、アメシストも妹の隣に立つ。見た目がそっくりな少年と少女にしか見えないが。彼らはあくまでも宝石の精霊なのだ。
マグナ・マテルの神殿から気軽に出歩く彼らは、決して姿を見せぬキュベレー神とは大違いだ。
「わたしもマグナ・マテルの聖女なら、もっと楽しかったのかもしれないわ」
思わず呟いた言葉に、アメトリンたちは顔を見合わせる。
「楽しいの意味が違うよねー」
「さよう。友はできようが、恋はできぬぞ。そなた、ヒューリと出会うことなく面白おかしく生きたいのか?」
いきなり真正面から突っ込まれた。精霊からしてみれば、ツァイの悩みなどお見通しなのだろうか。
そもそもなぜ別の女神の系譜に連なる彼らが、ツァイと仲良くしてくれるのかも分からない。
彼らはある日突然象に乗ってやって来て、ツァイと親しくなった。サドリは彼らの来訪を歓迎はしないが、あえて女神キュベレーにも話してはいないようだ。
キュベレーは神殿の奥から出てくることがないから、報告するようなことでもないのだろうが。
それはまるで、アメトリンの存在を隠しているかのようにも思える。
察しの良い双子は、ツァイの考えを読み取ったようだ。互いに目くばせすると、彼らは手と手を組んで頭を寄せあった。
「んー、あと一月なら、もう頼んじゃってもいいよね」
「ふむ。キュベレーの聖女に使われてこそ、我らの存在価値もあるというもの」
檸檬色の瞳と、葡萄色の瞳がツァイを見据えてくる。その口元は、まるで鎌のように笑っていた。




