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2 祭儀

 リズムを刻む太鼓の音。耳につく笛の音が、神殿内に響き渡っている。

 いつもの騒々しい祭儀だ。神殿に入ったとたんに、ツァイの耳が痛んだ。

 今月は月に一度の例祭の他に、キュベレーの御神体が降臨した日もあり、祭儀が二度もある。


 歩くたびに背中の傷が引きつり、思わず顔をしかめる。


(でも、今日はヒューリと話すことができたわ)


 ヒューリの声は素敵。昔はもっと声が高かったように思うけれど。年を重ねるたびに、彼の声が低さと深さを増していく。

 普段はほとんど喋ってくれないから。女神はヒューリの声が素敵すぎて、奪ってしまったのじゃないかと心配したほどだ。


「ツァイさま。どうかなさいましたか?」

「い、いえ」


 隣を歩くサドリが声をかけてくる。長い黒髪を一つに結び、ヒューリによく似た黒い衣をまとっている。違うのは、司祭であるサドリの衣には、衣と同色の糸で緻密な刺繍が施してあることだ。


「何か嬉しいことでも?」

「え、どうして?」


 背の痛みを堪えているから、眉根に力がこもっているのが自分でも分かるのに。それでもサドリは目敏く、ツァイの変化を読み取る。

 サドリの声は苦手だ。体が細いことも関係しているのだろうか。妙に不安定で落ち着かない。


「たかが着付け師などに、気をとられるものではありませんよ」

「でも、あと一月でわたしはお役御免になるわ」


 ツァイは歩調を緩めず、前を向いたままで反論した。

 そう、少し我慢をすればふつうの少女に戻れる。

 祈りと祭儀に明け暮れる日々も、もう終わるのだ。


(自由になったらヒューリに好きだと伝えよう)


 もう何年も前から、ツァイは決めていた。ヒューリとはほとんど話をしないけれど。それでも着付けを通して、彼がどんなに優しいかは伝わってくる。


(話しかけても無言のことが多いけれど。嫌われてるって思わない方がいいのよ)


 つい、自分と話をするのが嫌なのだろうと皮肉を言ってしまうのは、寂しいからだ。構ってほしいからだ。

 まぁ、その作戦はあまり上手くいっていない。


 傷を負い疲れ切ったツァイを気遣ってくれる、ヒューリの手。祭儀で少しでも苦しまないように、胸の下の紐をゆったりと結んでくれる指の動き。

 今日も飛び散る鏡の破片から、守ってくれた。


 常に白い手袋に包まれているけれど。布越しでも、彼の体温が伝わってくるようで。とても嬉しくなってしまう。


 ツァイは自室の箱に入っているものを思い描き、小さく微笑んだ。

 きっとヒューリはびっくりするだろう。褒めてはくれなくても、真剣な気持ちは伝わるかもしれない。


(でも。気持ち悪い女だと思われないかしら)


 幼い頃から、ずっとヒューリに着付けてもらって。司祭のサドリを除いては、たった一人の近しい人間の男性だ。会話はあまりしたことがないというか……ツァイが一方的に喋って、ヒューリはただ頷くだけだが。


(あれ? やっぱり好かれてはいない? わたしが一方的に慕っているだけなのかも)


 思考がぐるぐると渦を巻く。

 いや、ひるんではダメだ。マグナ・マテルの神殿の双子、アメトリン達も言っていたではないか。


 ――女の子から告白されて、嬉しくない殿方は数少ないだろう。どんどん押せばよいのだ。

 ――で、いつ告白するの?


 兄のアメシストと妹のシトリン。彼らは人の姿をしているが、元は一つの宝石に宿る精霊だという。


 アメトリンという石は、アメシストとシトリンという紫色と黄色の水晶がまじりあった貴重な宝石らしい。

 このサラーマの地は、建国前からの原始的な女神信仰が根付いてる。女神マグナ・マテルは自由な気風で、彼女の子ども同然である双子が、象に乗ってツァイの元へ訪れてくれる。


 アメシストは少年ではあっても人ではないので、ツァイも面会することが可能なのだ。

 楽しそうに象に乗る彼らが羨ましくて、ツァイも一度、神殿の庭で乗ってみようとしたけれど。サドリに見つかってさんざん怒られた。


 神殿の奥、一段高くなった基壇には、薄い紗の布が掛けられている。

 薄布の向こうにうっすらと見える影が、女神キュベレーだ。

 聖女であるツァイですら、間近で顔を見たことがない。


(やっぱり包帯を巻いてもらわなくて、正解だわ)


 これから起こる儀式を覚悟して、ツァイはごくりと唾を飲みこんだ。


「司祭、サドリ。聖女をこれへ」


 女神キュベレーが口を開く。地の底から響くような声だ。

 基壇の階段を一歩ずつ上がると、ひんやりとした空気を感じた。


 壇の下ではすでに祭儀が始まっている。音楽に乗って踊る信者たち。鞭打つ音や血のにおいがツァイの元にまで届き、気分が悪くなる。


 キュベレー信仰は、その信心の証として自らの体を鞭打ったり、刃物で傷つける。

 これでもまだサラーマ王の規制で、マシになった方だと聞く。この地がどこの国にも治められていない時代には、男性はこの祭儀で自らを去勢したというのだから。

 それは女神の息子と同じ行為であり、賞賛されるものだったらしい。だがツァイにとっては、おぞましい以外の何物でもない。


(どうしてわたしは、他の女神の聖女に選ばれなかったの?)


 幼い頃から何度も何度も疑問に思っていた。もしマグナ・マテルの聖女であれば象に乗って、高い位置で風を感じることもできただろうに。


「さぁ、我が聖女よ。そなたの血を我に与えよ」


 紗の向こうから命じる声に、サドリが白い布を取りだす。


「ツァイさま。お声はお出しにならぬよう」


 差しだされた布を、ツァイは口にくわえた。基壇の上にしゃがみこむと、衣を通して足に石の冷たさが伝わってくる。


 ああ、せっかくヒューリが着付けてくれた衣が、また裂けてしまう。血を求める女神が、なぜ聖女が男性に触れられただけで、それを穢れというのか。ツァイには理解できなかった。


「失礼いたします。ツァイさま」


 サドリが、ツァイの細い背中に向かってナイフを振り下ろした。


 ◇◇◇


 ツァイが気づいた時には、自室に戻っていた。服は脱がされ、寝台にうつ伏せの状態で横になっている。

 鼻をつく消毒のにおい。

 肌に触れる布に包まれた武骨な手に、慌ててツァイは体を起こそうとする。


「……つぅ……」


 背中に走る激痛に、また寝台に倒れ込んでしまった。


「どうかそのままに」


 心配そうに顔を覗きこんできたのは、ヒューリだ。


「今日はいい日です……」


 ゆっくりと喋ると、息が熱を持っているのが分かった。ヒューリは水で濡らした布で、ツァイのおでこを拭いてくれる。


「……なぜ、良い日だと?」

「だって、またヒューリの声がきけたんですもの」


 ツァイはにっこりと微笑んだ。うまく笑えているか、自信はないけれど。

 ふいにヒューリがツァイから視線を逸らした。

 そのしぐさに、ちくりと胸が痛む。背中の傷とは、また違った痛みだ。


「俺にとっては最悪の日です」


 ヒューリの声は震えていた。腕と肘を使い、なんとかツァイはヒューリの顔を覗きこむ。彼の琥珀色の目には、涙が浮かんでいた。


「本当は祭儀に送りだしたくなかった。あのまま部屋で休んでいてほしかった……できることならば……」


 その先の言葉は、教えてはもらえなかった。


 手袋に包まれた大きな手が、ツァイの頬を撫でた。

 とても優しく、そっと指を添わせている。心地よくて、嬉しくて。思わず瞼を閉じてしまった。

 まるで愛しい者にするかのような触れ方に、今にも好きという気持ちが溢れだしそうになる。

 ヒューリとは長い付き合いになるが、こんな風に撫でられるのは初めてだった。


 ツァイの手当ての為だろう。寝台の側のテーブルには、清潔な布が重ねておいてある。ヒューリはその布を一枚取ると、ツァイの顔にふわりとかけた。


 視界が白に閉ざされる。

 その時だった。布越しに額をかすめる感触があったのは。


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