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16 孤高の司祭

 

『決心したようじゃの』


 アメシストに問いかけられ、ツァイはうなずいた。


「あなた達を使うことになるけれど」

『よいのじゃ。そもそも我らが望んだことだからの』

「マグナ・マテルの望みではないの?」


 柔らかな布から長剣と短剣を取りだして、掲げ持つ。ずっしりとした重み。

 これが女神の命を奪い、一つの信仰を終わらせる重さだ。


『無論、我らが女神の命じたことではあるが。あの方には微笑んでいてほしいのだよ』

『そうそう。あたしたちみたいな子がこれからも生まれるなら、おばさんは必要な存在だよ。ただ精霊には慕われるだろうけど……人にはどうかな』

『神殺しを、精霊やその聖女に命じるマグナ・マテルの信頼は、地に堕ちるだろうの。信仰が失われれば、神はその姿を保てなくなる。あの方は、自らの存在と引きかえにしても、キュベレーを放置してはならぬと判断されたのだよ』


 二本の剣を、ツァイは抱きしめた。

 その時、ふわりとツァイの体も包み込まれた。

 びっくりして顔を上げると、半ば透きとおったアメシストとシトリンが、二人でツァイの頭に手を回している。

 ふわふわした金色の髪の、そっくりな双子。懐かしい顔を久しぶりに見た。


『済まぬな。完全に外に出ることは叶わぬのでな』

『でも、あたし達にとってツァイは特別。この先、誰があたし達の剣を持ったとしてもね』


 これまでも声は聞こえた、話はしていた、傍にいた。でも、懐かしい姿を目にして、ツァイはすみれ色の瞳に涙を浮かべた。


「大好き。二人とも」

『まったく、そのような子どもっぽいことを申すでないわ』


 文句を言いつつも、アメシストはツァイの額に頬を寄せている。


『んーっ』


 シトリンはというと、ここぞとばかりにツァイの額や頬にキスの雨を降らせている。その様子を、ヒューリは腕を組んで眺めていた。


「……何か言いたそうですね」


 目をすがめたサドリが、ヒューリに問いかけてきた。


「いや、なにも」

「精霊は、おおっぴらにいちゃいちゃできて、羨ましいとか?」

「別に。ただ俺は、ツァイさまが嬉しそうなら、それだけでいいんだ」


 まぁ、サドリの指摘も一理あるが。それは敢えて口にするほどのことでもない。


「そんなことより、本当にいいのか? お前は司祭なんだぞ。仕える女神を裏切ることになるんだぞ」

「……裏切るとかどうかよりも、解放してあげたいんですよ。もう」


 サドリは睫毛を伏せた後、決意を秘めた顔でヒューリを見上げた。


「あなたがツァイさまの幸せを願い、精霊たちがマグナ・マテルの笑顔を望むように。私にも女神を救いたいという願望があるのです。ただ、女神はそれを望んでいないかもしれませんが」

「キュベレーの解放とか、救うとか……お前は女神の何を知っているんだ?」


 女神と司祭とは、そんな近しい関係にあるものだったか? いや、むしろサドリは、女神を人のように考えているのではないか。


 サドリは一歩、ヒューリに近づいた。

 他には聞こえぬような微かな声で、小さく呟く。

 その短い言葉にヒューリは瞠目し、額を指で押さえた。


「……幸せになっているとばかり思っていた」

「あなたもご存じでしょうが。私は幼い頃から体が弱く、大人にはなれないだろうと言われていました。ですがツァイさまと同じく、聖女や生き女神になれば莫大な報酬が家族に入ります。そのおかげで、私は医者にかかることができ、こうして成長できました」

「司祭を務めるのは、恩返しなのか」


 ヒューリの問いかけに、サドリはうなずいた。

 だが、そればかりではないだろう。きっと女神に一番近い場所にいたいと願い、彼女を支えたいと思ったのだろう。


「人の体に、狂乱の女神を宿らせることがいかに負担であるか。平穏な心を保ち続けることがいかに難しいか。私はずっとそれを見てきました。だからもう、終わりにしたいのです」


 サドリのことを、躊躇せずに祭儀でツァイを傷つける冷酷な司祭だとばかり思っていた。だが、彼の中には今もか弱い少年がいる。

 その子は、たった一人で歩き続けていたことに、ヒューリは初めて気づいた。

 誰も頼らず、孤高の司祭として。


 ◇◇◇


 誰かに相談できたなら、少しは楽に生きることができたのだろうか。

 サドリはため息をついた。


 常に幼い聖女を支え、けれど親しくなりすぎないように距離を置いていたかつての学友、ヒューリ。

 あんなにもよく喋り、自信に満ちていた彼は、聖女に対しては可能な限り、無言を通していた。

 その態度を、女神が勘違いしたとしても無理はない。


 着付け師は、聖女を嫌っているのだと。幼い聖女に価値がないと思っているからこそ、着付け師自らが祭儀に臨んだのだと。

 そこに深い愛情があったなど、当の聖女ですら気づかなかったことだ。

 滅多に接することのない女神ならば、なおさらのこと。


 サドリは深呼吸すると、神殿の重い扉を開いた。その後ろを長剣を手にしたヒューリと、短剣を握りしめたツァイが続く。


 神殿の中は物が散乱していた。すべての燭台は倒され、窓にかけられた日よけの布は破れている。

 しかもタールの入った桶も床に転がり、石の床にべったりと黒い液体が広がっている。

 異様なにおいにサドリだけでなく、ツァイたちも顔をしかめた。


「キュベレーさま。何か気に染まぬことでも?」


 神殿内の惨事に眉をひそめながら、サドリは奥へと進んでいく。タールがまき散らされた床は、掃除しても完全にきれいになることはないだろう。


 紗の奥に引きこもった女神の返事はない。サドリはその薄布の前でひざまずいた。


「御用がありましたら、なんなりとお申し付けください」


 自分で言っておいて、白々しい。

 女神がヒューリを慕い、ツァイを憎んでいると知っていて、あえて二人の仲が良いことを見せつけたというのに。

 

 もう未練を残さぬように、と。


(ですが、大丈夫です。あなた一人ではいかせませんから)


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