土曜日 ひみつ
音楽の試験は、グループごとに練習を行った後、一曲ずつ合奏し、即座に音楽教師が採点を下すという方式だった。
上総の入っていた班は演奏するのが一番最初だった。ちなみに美里は二番目、貴史は三番目だった。男女混合六グループに分かれている。
「じゃあ、音楽委員と評議委員、悪いけれど準備室からリコーダーを持ってきてもらえますか」
二十四人分のリコーダーを運ぶべく上総は美里と顔を見合わせ、席を立った。アルトリコーダーは自分で購入する決まりだが、ソプラノ、テノール、バスは学校ですでに用意されているものを使う。
練習の前には水道できちんと吹口を洗うのが約束だった。
つばを抜くために、終了間際には鳥の悲鳴に近い音を出す。
四人も人手はいらなさそうだった。すでに音楽委員はリコーダーを運び終わり、評議委員の手伝うことはないように見えた。
「もう、運ぶものってないよね」
美里が音楽委員に尋ねた。
「あるよ。音を録音するための、カセットレコーダー。二台必要だって。あとさ、テープだよ。全員のを録音して、後で全員分まとめて配ってくれるんだってさ。三十本持ってきてって言っていたよ」
リコーダーの重さでふらつきながら音楽委員は出て行った。
上総はまず、ラジカセらしきものがどこにあるかを探すことにした.
薄暗い中、ほとんど掃除もしていないとみえて綿ぼこりが舞い上がり、思わず咳き込んだ。楽器が狂っておかしくなるんでないだろうか、と思うくらい湿気のひどい部屋だった。
上を見上げ、棚をしらべ、アコーディオンやシンバルの陰に隠れていないか、美里とふたりで丁寧に調べた。
「探し物が得意な清坂氏ならば、だいたい嗅覚で気付くんじゃないか」
「犬じゃないんだから」
ばたばたと棚をいじっていた。扉をきっちりと閉めてくれたので、どのくらい時間が立っているのがわからなかった。
上総はようやく見つけたカセットレコーダーを引っ張り出し、ハンカチで埃を拭いた。
「使ってないよな、この状態って。持っていく方の身にもなってみろよ」
「服汚れるの、気にしてるの?」
「まさか、ただ、こういう埃っぽいところに長くいると、咽がおかしくなってしまうんだよな」
手を動かし続けていた。絶対に目をあわさずに話し続けていた。
背中で美里が動き回っているようすが感じ取ることができた。 たぶん、テープ三十本を探しているのだろう。想像はしていた。
「あのね、立村くん」
「テープはここにないよ。もう一方の棚じゃないか」
「ううん、みつかった。私の嗅覚で発見ずみ」
振り向くと、美里が真後ろで新品のカセットテープを籠にまとめて立っていた。表情は相変わらず、いたずらっぽそうな瞳が目立っていた。
「さすがだよな。昨日といい今日といい」
昨日、と口にしたとたん、美里と見詰め合ってしまいすぐにそらしたくなったのをこらえた。
いくらなんでも目を合わせないでいるっていうのは失礼だ、
「立村くん、あの、いいかな。ちょっと相談なんだけど」
「え?」
瞬間、雲がかかったように見えたのは気のせいだろう。
「昨日のことなんだけど、あのあと、誰かに話した?」
「あ、あのことか」
すぐに反応してしまった自分が情けなかった。上総は表情を崩さぬよう言葉少なめに答えた。
「いいや、話してないよ」
「そうなんだ、話すようなことじゃないよね」
「悪いこと、するわけじゃないからさ」
「そうよね、悪いことなんて、してないよね。私たち」
私たち、という美里の言葉に、再び上総は戸惑った。
「それだったら私も、言わないでいるから。別に隠すことじゃないけれど、立村くんもあまりそういうこと言いたくないタイプかな、と思って」
「別に、俺はかまわないよ。あまり気にしないから」
「でも、話してないんでしょ。貴史にも誰にも。私にちょっかいだしてこなかったところみると、たぶん立村くん、内緒にしてくれたんだろうなあって、思っていたんだ」
「ひとりで決められることじゃないからな。清坂氏は、どうすればいい」
他人に下駄をあずける自分の優柔不断な性格。
つい上総はためらった。
──まるで、自分で物事を決められない奴みたいじゃないか。
どう振舞うべきか判断ができなかった。
「そうね……私だったら、しばらくは内緒にしておいてもいいな」
「それで、いいならそうするよ。わかった」
上総はしっかり目を見つめて、うなづいた。少しだけ安堵のため息がもれたのを、美里に気付かれないようにしたくて、ふたたび棚の方を向いた。
「じゃあ、教室に行こうか」
「うん、一緒に行こうね」
いつもだったら、荷物の少ない方がさっさと教室に向かう。 この日は美里が上総を待ってくれていた。 一緒に音楽室へ戻ることになるのは、めったにないことだった。 なんとなく自然に思えて上総も従った。
「教室に入る時、悪いけど扉を開けてもらえるか」
「もちろん、そうさせていただきます。私もラジカセ、半分持とうか」
「いいよ、なんだか、みな清坂氏に任せっぱなしのようで抵抗あるから」
少しゆっくりめに歩いていたのは気のせいだろう。
重たいラジカセを両手にぶら下げているゆえに走ることもできなかった。
美里はテープのたばをかごに入れて歩いている。
上総の目をしっかと見て、楽しそうに笑っていた。
音楽室ではすでに、全員がリコーダーの練習にいそしんでいた。やかましい笛の音に耳をふさぎたくなった。
まだ準備ができていないこともあって、音楽教師も暇を持て余しているようだった。上総はラジカセ二台をグランドピアノの蓋に置いた。美里はかごのテープレコーダーを全員に配っていた。
「ありがとう。それにしてもずいぶん遅かったなあ。評議委員コンビ」
にやりと目線を向けてきた。
「早く呼びたかったら、音楽準備室の棚をなんとかしてください! わかりずらいったらなかったよね、立村くん」
口は達者な美里が、さらっと言い返した。
言いたいことをきっぱり言うのに、なぜかいやみにならないし、先生も笑って聞いている。
どうしてだろうと、上総はうらやましく思っていた。自分が発言すると、なぜか教師一同はまじめな顔をしてうなづいたり、叱ったりする。 特に担任の菱本先生は、上総に対してきつい言葉を向けることが多い。 たぶん嫌われているんだろう。
美里が言うには、
「単に立村くんのことを気にしてくれてるだけじゃないの?変な意味じゃないくて、ひいきされてるんだよ」
とのことだが。
さっさと自分の席についた。あれだけ騒いだのに結局一回くらいしか稽古できなかったテノールリコーダーを組み立てた。借りてきたリコーダーは、つなぎ目が堅くてはめるだけでもかなり苦労する。
継ぎ目を握り締め、うまく差し込むべく悪戦苦闘していると、バスリコーダーパートの南雲が寄ってきた。耳もとにささやいた。
「相変わらずだなあ、立村は。一体準備室で何してたんだよ」
「ラジカセを探していたんだよ。探すの大変だったんだ」
「違う違う、清坂さんとふたりっきりだったんだろ」
ぴんとこなかった。
「ひとりで全部持ってくる根性なかったからな」
「全く、とぼけちゃってるんだからなあ。立村は何気なく、うまいよな」
「だから何が」
「ポーカーフェイスですることしてるしな」
音楽準備室で長居しすぎたのがまずかったのだろう。ようやく気付いた。 自分の鈍さにあきれた。 きっとみな、想像をたくましくしているのだろう。最近のD組連中は、恋愛沙汰の話題にずいぶん敏感だ。 一年の頃だったら全く気にしなかったようなことをチェックする。
もっとも南雲はさんざんな目にあった奴である。
見かけはきざっぽく見える。そんな南雲には以前、別のクラスに彼女がいた。とりわけ美少女というわけでもないが、並んで違和感のない感じの子だった。
しかしいきなり心境の変化があったらしくその女子と別れ、なぜかクラスの奈良岡彰子に告白してしまった。
奈良岡彰子が前の彼女以上にきれいな子だったら誰も驚かなかっただろう。 確かに飾らない、性格としても気持いい女子だった。
だが、体型がぽっちゃり、を越えてかなりのビール腹タイプだった。 面食いの男子だったら、一歩ひいてしまうタイプだろう。
しかし、本気で奈良岡に惚れた南雲は、理科実験室でアルコールランプを取りに行った際に告白してしまった。
かわいそうにタイミングが悪すぎた。 同じD組の男子がその衝撃的な場面を目撃したのがまずかった。
話によると相当、恥ずかしくなるような言葉を吐いていたと聞く。
二人が戻ってくるまでの間に情報は流れ流れてD組始まって以来の大騒ぎと相成った。 『理科実験室告白事件』として、当時の学級日誌にはひっそりと書き残されている。
「南雲、お前と一緒にするなよ。人は人、自分は自分だろ」
そのことに触れられると、南雲も力抜いたような顔で、情けなさそうに笑った。
ばれた当時は開き直って堂々と
「そうだ、俺は奈良岡のことが好きだ!」
と言ってのけ、奈良岡をすっかり困らせてしまった。そういう対象にされていること自体、奈良岡も想像していなかったようだった。
もっとも、単なる受け狙いではなく本気だったということが、二年D組男子の協力もあって奈良岡に通じ、今では公認のカップルとして和やかに過ごしている。
「まあ、立村、先輩として言っておくけどな」
バスリコーダーを加えながら南雲はささやいた。
「学校の中でしくじるののだけは、絶対、やめとけよ」
「了解」
それ以上は無視して、上総はふたたびリコーダーと格闘しはじめた。
たぶん美里が話していた『最近噂される』というのは、南雲のいうような類のことなのだろう。
こういうことだったら、上総も覚えがある。
一年の頃は貴史に散々からかわれ、どう言い返せばよいのかわからなかった。
「絶対、美里はお前のこと意識してるよな」
「お前はどうなんだよ」
「ま、悪い奴じゃないからさ」
「でも将来は怖いぞ。お前の性格だと尻に敷かれるな」
無表情のまま話を聞くことが多かったのもあって、上総はただ、
「羽飛、なぜ、そういう話題を俺に振る?」
と、尋ね返した。それが他の連中からは
「ポーカーフェイスを気取っている」
と言われることもあった。
「あまり女子のことを考えたことないから、よくわからない」
「普通に話していればいいのにな」
上総からすれば、自然な感覚で答えているつもりだった。
でも貴史はどうも言葉どおり受け止めてくれない様子だった。疲れることもしばしばだった。
「好きだったらお前から言っちゃえばいいのにな」
「俺からみたら、ばればれなのにな」
貴史の態度は親切の押し売りに思えるときも、しばしばあった。
美里とくっつけようとする懸命な態度が、なんとなく不自然に感じられた。
きっと上総のことを大切な友達だと思っていてくれるからだろう。 それは純粋にありがたい。
──でも、こちらの考えていないことを先回りして準備する必要はないんじゃないか。羽飛。
『付き合う』という言葉が飛び交い始めたのは、二年に上がってからだろう。
それまでは誰も、言葉に出さずにアイドル歌手やタレントの話題で盛り上がっていた。自分の好きな女子が誰かを口にするなんて、考えたこともなかった。
アイドル歌手を隠れ蓑にして、似ているクラスメートのことを語ろうとする大馬鹿者もいたが、一発で見破られ、からかわれるはめになったのはいうまでもない。
上総も芸能界の情報には疎いこともあって、ただ話をあわせているだけだった。
だが二年に進級した頃から、それぞれが、自分の『お気に入り』を心のどこかに隠していることがうっすらと見えてきた。よそ見していても平気な英語の授業中、上総は気になる奴らの様子を、後ろの席からいろいろと観察してみたものだった。
授業中、先生の顔を無視して他の女子を、背中が突き抜けそうなほど見つめている奴がいる。かと思えば、手紙を書いて後ろへ送っている女子もいる。授業の最初の号令をかけていると、先生に頭を下げている間にじっと見つめている背中とか。
つい気を取られて、よく
「立村、暇なのはわかるがよそ見するな」
と叱られたものだった。
叱る方が別だろうに、と思いつつも、上総は何も言わず語らずのままでいた。
南雲の状況も早い段階でだいたい勘付いていた。
もともと奈良岡と仲が良かったのは確かだし、噂で前の彼女に『好きな子が出来た』という理由で別れたとも、直接聞いていた。 なにせ同じ班だ。
だがその『好きな子』が奈良岡だとはなかなか決め付けられずにいた。
どちらかいうと、羽飛貴史と清坂美里のように、親友のような感じなんじゃないだろうか。
上総としてはそう判断していた。第三者から見ても、顔が女子受けする南雲と、愛嬌はあるものの美人とはお世辞にも言えない奈良岡とは、見た目どうもつりあいが取れていないふうに見えた。
当然理科実験室での告白事件ではどぎもをぬかれた。
と同時に南雲を改めて見直した。
その後起こったクラス中の冷やかしムードも、結局は奈良岡を混乱させないためにということをメインに、南雲の心境を正確に伝えるべく行動し、無事収まった。
たかがクラスの色恋沙汰という無かれ。
表だっては言えないが、これも評議委員の『影』の仕事である。
青潟大学附属の校訓。
「誇り高い紳士であれ、淑女であれ」
D組の男子に関してのみ言えば、この意識はかなり浸透している、上総は確信していた。
クラス内のカップルは増えては減りと増殖していった。
結果の出た連中については、大体様子を見ていればわかるし楽しめるところもある。観察者としてははおもしろい。
しかしいったいどこでどう手続きをしているのか見当がつかなかった。 南雲のようなわかりやすい告白を、どこでみなしているのだろう。教室か、もしくは部室か、委員会の帰りなのか。 気が付けばいつのまにか、お付き合いらしい顔をしてたむろっている連中が増えていた。
──なにをすれば、付き合ったということになるのだろう?
玄関で待ち合わせしている男女二人組がいれば、たぶんそれも付き合っているのだろう。
ロビーで手をつないでいちゃいちゃしているのも、付き合っているのだろう。
本条先輩のようにどうどうと泊り込み、することしているのも、付き合いのひとつなのだろう。
付き合う、という言葉でふくらむものが多すぎた。 昨日までは自分とは関係ない世界だと割り切っていたし、想像したこともなかった。
クラスの男子同士でしゃべっている時いきなり脈絡もなく
「立村、お前には清坂がいるんだろ」
と真顔で切り返されたこともある。 判断できないパターンは多々あった。
「嫌いじゃないけれどそれとこれとは別だろう」
と、流すのが常だった。
ひゅうひゅう言われるのは、いやだった。 『付き合い』、という言葉が気持悪かった。 主義に合わなかった。
上総の目に、『付き合っている』友達は誰も美しく見えなかった。
しかしながら、昨日の段階で、 『付き合っちゃおうか』という美里の言葉を受け入れてしまった自分が、今、ここにいる。
リコーダーを吹きながら、座っている。
ちらりと美里のいるグループを探してみた。 相変わらずはしゃぎ声がやかましい。 貴史が美里になにやらリコーダーを振り上げて威嚇している。
すぐにちゃんばらごっこと化している。 いつものことだ。 しゃれでやっているだけなので、すぐに収まった。
──付き合っている、ことになるんだよな。
親指で後ろの穴を抑え、微妙な音の違いを確認しながら、上総は『付き合う』という言葉をかみ締めていた。
自分の知らない響きのような気がした。
テストは無事終了し、使い終わったリコーダーを二十四本運び終えた。
音楽委員がほとんど片付けてくれたので、評議委員コンビの出番はない。ラジカセのみ、運んでいった上総に対して音楽委員はちらっと、
「相変わらすだなあ。二人ともな」
と言葉をかけ、去っていった。
「二人?なにが」
戻りながら上総は戸惑っていた。
「いったい、何が相変わらずなんだか」
隣にいた貴史につぶやくと、
「お前まだ気付いていないのかよ」
呆れ顔で頭を抱えられた。
「だってな、お前ら道具取りに行くのに、十分以上かけて戻ってくるなよな。音楽委員は先に帰ってきました、でも評議委員はふたりとも戻ってきません。なんででしょうって、そりゃ思うぞ」
「音楽準備室の棚を整理しない先生に文句を言ってくれよ」
「せめてひとりで持ってくるとかさ、しろよな」
「ラジカセ二台で両手がふさがっているっていうのに、テープの入ったかごをどうやって一人で持って来いって言うんだ。頭の上に載せろとでも言うのか」
ああいえばこう言い返すで貴史もうんざりしたのだろう。わざとらしくため息をつき、じろっとにらんだ。
「悪いけどさあ、立村。お前、『自業自得』って四字熟語知っているよな。覚悟しろよ。これから先」
「何を覚悟するってさ」
答えずに貴史は音楽室を出ていった。さっさと行きはしないで、追いつこうとする上総を扉の前で待っていてくれた。