第一章『緋色に見た夢』
俺は、彼奴とは長い付き合いだった。
友情とか、親友とか、そういう感じではなかったが……。所謂、腐れ縁って奴だった。
だから解る。
彼奴は余りにも、頭の切れる奴だった。
俺よりも先をよく見通して、俺よりも多くのものを見てこなかった。
ただ無邪気で、好奇心が強くて……所謂、子供のようなやつだった。
今でも思う。
彼奴の心の奥底に、もっと早くに踏み込んでやればよかったと、
今でもそう思う。
1
「ふぁぁ~~」
教室に、ひときわ大きな欠伸が響いた。
それは、俺の隣で、しかも窓際の一番後ろという極めて良いポジションに席を持ち、教科書を閉じたまま机の上に置き、唯大きな欠伸と共に身体を心地よく伸ばす少年がそこにはいた。
ただ、それを咎める人間は誰もいなかった。
その理由は明白だ。そいつを咎める理由がなかったのだ。
奴の名は国分浩史。高校三年で、俺の同級生にあたる少年であった。顔や手足には不可解な包帯が巻かれており、その下に傷があるのかもわからないが、痛む痛まないに関わらずウンッと体を伸ばしていた。
奴は成績優秀者だった。
だが一度も努力はせず、ただ純粋に才能とセンスだけで学年上位に躍り出る、唯々優秀で、弄れた男だった。
「いやぁ、良く眠れた……あたっ」
小さく息を吐き捨てながら呟くと、頭の上にポンッと一冊の本を彼の頭に叩く男がいた。
「よく寝たのはいいが、その分黒板の問題をきっちり解いてもらうぞ」
「えぇ~~」
気怠げに吐き捨てた国分を、呆れたような声でため息をついた男、名を福田七花。国語をメインに、歴史を担当とした初老の厳格そうな男だった。だが厳しい先生というわけではなく、それなりに愛好的な部分もあり、生徒には慕われることが多かった。
それ故にか、俺も国分も何かであの先生に咎められたことは一度もない。
教室では気怠げに黒板に向かう奴を見てクスクスと笑う同級生たちの姿があったが、別に貶している訳ではなかった。ただ、国分浩史という男が、余りにも変わり者だっただけなのだ。
ヤツもヤツで気にもとめず、スラスラと黒板に回答を書いていく。凄い男だ。国語の授業だというのに、文章も何もなく、ただ問題文だけで解き出すのだから。
「これでいいですか?」
「ああ、正解だ。わかっていればそれでいい」
福田先生も何も咎める事はなかった。
そう、これが日常的なのだ。
これが俺たちの日常だった。
「阪之助~。やはり休み時間前の授業というものは眠たくてしょうがないね」
「そうか? 俺は休み時間明けの方が眠いが」
「そうだね、そっちの方がもっと眠いね~」
「そうだな、どっちも眠い」
授業中ということをお構いなしに、小さく談笑する。
二人のやり取りは不完全燃焼のまま、授業が終わるまで国分は窓の外を眺め続け、俺はというとただ黒板の文字列を唯々板書し続けた。
2
昼休みといえば、屋上で飯を貪るのが当たり前だろうか?
俺にしてみれば、それはロマンでもなんでもなく、唯いつもの場所がそこであっただけであった。
そこには、俺を含めた三人の男がいた。
「いやぁ~よく寝たのだよ、本当に良く眠れたねぇ~~」
コイツは国分浩史。
追先ほどまで授業を爆睡で終わらせた、成績優秀者で子供のような男だった。
「全く、少しはちゃんと授業を受けたらどうですか?」
共に弁当を啄み、呆れたような声で彼に吐き出すメガネをかけたこの男は、藤崎航斗。成績で言えば、学校トップの所謂ガリ勉男であった。此奴は至極真っ当に勉強を行い、生徒会会長であり、落ち着いた男であった。大概藤崎が国分の行動に口を挟むが、この光景は慣れたものだ。
「いいじゃないか、成績はこれでも良い方だよ?」
「自分で言いますか……、いつも勉強している僕の身にもなっていただきたい。ねぇ、織田君」
「ん? 俺は別に、構わないが?」
俺は、織田阪之助。
親に昔、ある文豪作家の名を連ねて付けられた名だが、別段気にしたことはない。成績は平均的、やることも平均的だ。自分で言うのもなんだが、あまり大したことはしていない。やっていることといえば、昔ある武道の道場にかよっていたせいか、体格はそこそこいいし、武道の心得もある。
「まったく……君が彼へのツッコミを疎かにするから、私だけが突っ込む羽目になるんですよ」
「いいじゃないか、その方が阪之助らしい」
「そうだな、俺らしいな」
「織田君……」
本当に、これだけだ。
中学の頃からの付き合いで、成績も性格も趣味もてんでバラバラなはずの俺たちがこうしていつも同じ場所で語り合う、慣れた光景で、心地よい場所だとも思っていた。
秋の真昼の屋上には俺たちだけだった。俺たちの独断場だというわけでもなかったが、寒くなり始めたあたりから誰も寄り付かなくなったこの場所は、俺たちにとっては行きつけのバーのような場所だった。
ただ、俺たち三人の学生生活最後の一年は、ひどく騒がしい一年になった。
「っと、僕はもう行かなくては……国分君、授業はサボらないでくださいよ」
「ちゃんと行くって。ね、阪之助」
「ああ、そうだな、眠くはなりそうだ」
「全く……」
藤崎は、パパッと弁当袋を仕舞い込むとその場を立ち去る。
成績優秀で生徒会長ともなると、それほどに忙しいのだろう。前に話した時は「次代生徒会長への引き継ぎが面倒」だと愚痴をこぼしていた。だが、時期に終わればまたゆっくりできるとも言っていた。
「この屋上は、いつにもなく静かだねぇ」
「そうだな」
「ねぇ、阪之助。寂しいと思わないか?」
「寂しい?」
「そう。私たちの最後の高校生活もじき終わる。僕らの将来は一体どこへ向かっていくんだろうね」
国分は空を眺めながら言っていた。
だが、その顔はどこか楽しげに言っていた。
未来に何か期待しているのかは知らないが、そいつは、純粋な好奇心で空を眺めていた。……だが、どこか切なさも少し感じたような気がした。
「さぁな。俺もわからん」
「えぇ……もう秋だよ? 進路は決めてないの?」
「特にこれといったのはないな。お前も決めてなかったろ」
「そうだね、でも、わからない方が楽しみだと思わないかい?」
「……そうだな」
―――それも、良いかもしれない。
3
「ふぁぁ~~。終わったねぇ」
「とっくにな」
放課後の教室では、眠りから覚めた国分が体を伸ばしながら言っていた。
織田はというと、手に持った本に栞を挟み、国文の方に振り返る。既に教室には誰もいない。皆下校か部活に勤しんでいる時間だろう。
「阪之助はバイトはいいの?」
「今日は遅めだからな、本を読んでいた」
「へぇ、熱心だねぇ」
「いや、つまらない」
「……なら、なんで読んでたんだい?」
「……、」
国分が阪之助の回答に目を見開いたようにキョトンと反応すると、その回答に対しての返答にまた織田もキョトンと顔を返す。
そして、数秒の間の後、
「わからないが、読みふけっていた」
「……ふふっ、そうかい」
「? 何かおかしいか?」
「いや、何でもないよ」
不思議には思ったが、聞き返しはしなかった。
「さて、それじゃあ俺はバイトに行くか」
「良かったらまた余り物を恵んでくれないかい?」
「いいが、家に帰らなくてもいいのか?」
「今日は親が遅いのでね、適当なものでも食べたい気分なのだよ」
「そうか、なら適当なものでも出してやろう」
「お、やった!」
「いや~、ここの料理は本当に美味しいね~」
「余り物だがな」
喫茶店の対面式のテーブル席で一人席に座り余り物の盛り合わせを食らう国分と、それを眺めながら言葉を吐き捨てるエプロン制服姿の織田がそこで話していた。
店の客はそれほど多いわけではなかった。
喫茶店というだけあって、物静かな雰囲気がなかなかに心地いい場所だ。
「働かなくてもいいのかい? 阪之助」
「殆どやる事がないからな。注文を受ければそっちに行く」
「君も働き者だねぇ」
「そうか?」
「ああ」
本当に何もない会話だった。
有り合わせの料理を口に頬張りながら、国分は口軽そうな物言いで会話を楽しんでいる。彼にとってはこれが日常的なのか、そうではないのかは知らないが、国分浩史は普通というものに楽しみを抱かない男だった。常に好奇心旺盛ながらも、その冷静で食えないような態度は生まれつきであった。
「すみませ~ん!」
「はーい! 少し外すぞ」
「ああ、行ってき給へ」
そそくさとその場を後にして、織田は注文を受けに行った。
国分はといえば、有り合わせを食し終わり、満足そうに溜息を吐き捨てていた。
そして、お冷の入ったグラスを指先でツイッと撫で回しながら店内を眺め見渡す。ここは彼にとっても心地よい場所であったのは確かだった。
織田は偶に目にしていた。
和やかな表情で絵になるように此方を見る、国分の姿を。
4
夕日が沈むと同時に、国分浩史は店内を出た。
『それじゃぁ阪之助。また明日』
『ああ、またな』
二人の別れは本当に淡々とした掛け合いで終わる。
それからバイトが終わるまで織田は余りやる事のない職場で働き、仕事が終わる頃だった。
店を出て、帰路に着く。
肌寒くなるこの季節、夜の道はやはり寒さが身にしみて痛かった。服装は学生服だけという軽装ながら、彼は自分の家へと歩いていた。
家は一世帯には十分な一軒家で、不備も何もなく現代的な家であった。鞄の中から鍵を取り出すと、玄関の扉を解錠する。
「ただいま」
第一声はそれだった。
当たり前のように織田は発したが、帰ってくる声はなかった。
小さくため息を吐き捨て、廊下から二階の自室へと向かう。その間の照明を通り過ぎにつけながら、自室に鞄を投げ捨てベッドに横たわった。
(静かだ……)
織田阪之助。
彼の両親はとうの昔に他界していた。
両親と妹を含めた四人家族ではあったが、不慮の事故で彼だけが生き残ってしまう結果になった。それは彼がまだ小学生の頃の話であったために、今では広々とした家に一人というのはもう慣れていた。
「……、もう寝るか」
5
「ふぁぁ~……よく寝た」
「といっても、もう三限目の終わりだがな」
国分浩史は、授業の終わりと共に目を覚まし、織田阪之助に声をかける。
授業中はといえば、うつ伏せのまま微動だにもしなかった。本当に死んでいるのかとも思わせるように、彼は本当に静かに眠っていたのだ。最初は死人のような静かさに違和感こそあったが、織田も藤崎もそれはもう中学の頃になれた。
唯一、三人とも同じクラスになったことがあったのは、中学の始めと高校二年の頃だけであった。現在はといえば、藤崎だけが別のクラスにいる。
「次の授業はなんだったかね~」
国分は鞄から時間割を探し出す。ゴソゴソッと鞄の中を漁るが、一向に見つからずにいた。
「あれ? 忘れたっけかな?? そもそも持ってきた記憶がないや」
「ほらよ」
「お、ありがとう阪之助。同じ授業受けてて良かったよ」
「まあな、俺もお前もロクに進路決めてないからな」
クラス分けは、高校の三年だけが方針によって分かれる。
織田と国分は一般クラス、要は全体的にバランスを取ってどこにでも行けるようにするクラスだった。言い換えれば、未だ進路が明白になっていない人間が集まるような場所だった。
対し藤崎は進学クラス。基本的に大学に行く人間の中でも難関を目指す人間が先行するようなクラスだった。
「ん? 次は体育か~」
「お前、体操着は持ってきてるのか?」
「もちろん、置いてある」
「そもそも基本見学だしな」
「持久走とかそういうのは退屈だしね。でも今日は参加しようかな」
「やけにやる気だな……?」
「なんて言ったって、今日はバスケなのだよ! それも、そのあとにはお弁当があるし、更には午後の授業はぐっすり眠れそうだ♪」
「なるほど、体を動かしたあとは気持ちよく寝られるな」
「そうと決まればさっさと行くよ!」
「おー、今行く」
机の横にかけられた体操着の袋を片手に、二人は教室を飛び出した。
ある意味、何時も気怠げな国分がここまでやる気を出すのは驚かなくもないが、理由はわかっていた。
彼はただ純粋に好きなものには興味があるのだ。
バスケなどのようにスポーツ競技は、学校での体育という授業の中でも典型的な持久走や二〇〇メートル走、マット運動などとは違い、自由性溢れるものだろう。
部活の指導などではなく、純粋に楽しめる。ある種そういう価値観で見れば、学生達が授業を苦行と言い切る中での唯一の娯楽だと思う。
「ヘイ! 阪之助パス!!」
「おう!」
ボールを国分から受け取った織田は、そのままゴール近くまで走りボールを放りシュートを決める。他のクラスメイトよりもずば抜けて身長と体格が良い織田は、ある意味スポーツにおいては無敵だった。
「いやー、阪之助がいると本当に楽だねぇ~」
「なんだ、楽しみとか言っていなかったか?」
「私は体をぶつけ合うんじゃなくて、いいところにボールを投げてシュートを打たせたり、フリーになってたら決めるくらいがちょうどいいのさ」
「そうか、それならいいか」
「ああ、良いとも」
二人はあどけない会話をするが、周りからしてみればあの二人をどちらかのチームに入れた時点で試合が決まるようなものだった。
だからこそ多かったのが、
「たっく、お前らふたりして片方に入るなよー」
「えー、ジャンケンで決まったのだから良いじゃないか」
「というか、なんでどっちも部活入ってないのにそんな動きいいんだ?」
「さあ?」
「ムカつく!! よっしゃ! もっかいジャンケンだ!!」
「おうさ、何度でもやろうではないか」
「……、」
国分とクラスメイトは再度腕を振るう。織田はそんな光景を眺めるだけであった。
再度チーム替えをした結果、別々に分かれ、なかなか良い試合をしたらしい。
「うーんっ! 疲れた!!」
「俺もだ」
体育館の隅で、授業が終わる数分前の時間に彼らは話していた。クラスメイトたちも、機材を片し終え、片付けを行なっている時であった。
「阪之助~、今日はいつもの屋上でいいかい?」
「俺もその予定だ」
「そっか~~……陽気もいいし、屋上で寝てしまいそうだねぇ~」
「久しぶりに暖かいしな」
彼らがそんなあどけない話をしていると、ふと別の同級生が何か話をしていることに気が付く。猫のようにピクンッと反応した国分は、彼らに近寄っていく。
「何を話しているんだい?」
「ああ、浩史か。実はさ、この学校の裏の山に旧校舎在るの知ってるよな?」
「まあ、耳にはしたことはあるけど……ねえ、阪之助」
「聞いたことはあったな」
「でさ、昨日山の近くに住んでる友達が夜歩いてたらさ、昨日一瞬だけ山が光ったように見えたって言ってたんだ」
「山が光った?」
「ああ、なんて言うんだろうな、マッチを暗いところでつけたように一瞬小さくボワッとらしいんだけどな」
「そしたらこいつ、妖怪じゃねーかって言い出してよー」
先程まで彼と話していた同級生が、彼の話に口を挟んでくる。
「えー……でも、そうだったら世紀の発見だと思うんだけどなぁ~~」
「ありえねぇって! そもそも、あの山は地主さんがよく巡回してるって言ってたじゃないかよ」
「そういやそうだったな……じゃああれは懐中電灯か何かだったのか?」
「じゃねーの?」
彼らは淡々と話を終わらせた。
織田も興味なさげにはしていたが、一瞬国分の顔を見た瞬間だった。
小さく、そしてあくどい顔で笑っていたのだ。
6
「ねーねー、旧校舎の話知ってる?」
昼休みの屋上で、国分は藤崎に問う。
「ああ、耳にはしてますよ。まあ、地主さん辺りではないですか?」
「そうだけどさぁ、行ってみないかい? 今夜」
「は?!」
藤崎は余りにも大声で驚く。
そのせいで、織田は落ちかけたウインナーを片方の手に持っていた弁当でキャッチすることには成功したが、煮物ので汁と合わさったケチャップウインナーは見るも哀れな状態になっていった。
「面白そうではないかい!」
「いや行きませんよ!!」
「えーなんでー」
「僕は仮にも生徒会長なんです。行かないったら行きません」
「……じゃあ、私と阪之助だけで行ってしまおうかなぁ~」
「えぇ!? いやいやいや!! 織田君も行けるんですか?」
「んあ? ああ、イケルな」
悪巧みを企むような顔で国分は藤崎を見る。
藤崎からしてみれば生徒会長の地位としても生徒が勝手にどこか危ない場所に行こうとするのは放っては置けないが、長い間国分浩史という男を見てきた彼だからこそ、無理矢理にでも行こうとするだろう。その弱みに付け込んで彼は話を切り出したのだ。
織田はといえば、煮物の出汁ケチャップ付きウインナーをイケルと言ったのか同行するつもりかは皆目見当はつかないが、多分彼も行くだろう。
「~~~ッッ!! わかりました、同行しますが、変なことはしないでくださいよ?」
「やったぁ!! 阪之助、許可でたよ!」
「どこか行くのか??」
「そこからですかッッ!?」
待ち合わせは、織田の働く喫茶店でバイトが終わった時間帯に集まることになった。
そのため、織田は逸早く家に帰り、仕事終わりそのまま迎えるような服装になってからバイトに向かうために帰宅する。
「……、」
静かな家の中で、淡々と準備をしている織田。
持っていくものはむしろ無く、普段着に適当なものを持った感じだった。
無論、夜道を行くのでペンライトは持っていた。
そんなこんな必要なものを小さなカバンに入れると、家を出てバイトへ向かう。
だがやはり、家は静かであった。
7
バイトが終わる前の時間帯だろうか。
喫茶店の、いつも通りの対面式のテーブル席には国分と藤崎が席に座っていた。
「おーい♪」
「国分君、まだ織田君は仕事中ですよ」
「いや、一息ついたから大丈夫だ。賄い食うか?」
「やった~、夕飯が浮くよ」
「ああ、まぁ……もらっておきます」
「おう、ちょっと待ってろ」
そう言って織田が厨房に戻ると、少しして賄い盛り合わせをテーブルに運んでくる。まるで裏メニューかのように、それはどのメニューにも書かれてはいない。
「これは……いいんですか?」
「どうせ今日の余り物だ」
「はぁ……、有難うございま……」
「もぐもぐ」
「って、もう食べてるッッ!?」
藤崎がお礼を言っているにも関わらず国分は我関せずと賄い料理を頬張り食べていた。
「どうだ?」
「うん、やっぱりここの厨房の人はいい仕事をするねぇ」
「我が物顔で言いますか、国分君は……」
美味しそうに食べ尽くした国分に対して、藤崎は呆れ返った声で返す。
「そういえば、何だかんだで久しぶりにここに来るな、藤崎」
「そうですね……、二年の中盤に生徒会長になって、それっきりでしたか」
「前は、こんな風にいつも話してたねぇ」
「そうだな」
「まあ、次期生徒会に仕事の受け継ぎが終われば、また来ますよ」
「そうしたら、今度は受験じゃないか?」
「そうでしたね……、そもそも、二人共進路は?」
「まだ」
「だな」
「ハァ……」
織田と国分の即答に、藤崎は大きくため息を吐き捨てた。
「早く決めないと、後から面倒なことになりますよ?」
「そうだねぇ……」
「それこそ、今以上にここで集まれなくなるかもしれませんからね」
「そうしたら、俺はバイト辞めてるのか……」
「あ、集まる理由がなくなりますね……」
織田が進路に向けて勉強をし始めれば、今度はバイトしているからここに集まるという理由がなくなってしまう。そのことを思い出したかのように藤崎は「あー……」と少し陥落したような声を漏らした。
だが。
「そんなの関係ないさ」
「国分君?」
「いつでも集まればいい。成人になっても、中年になっても、ここに集まって、コーヒーでも飲んで、また同じように無駄話をすればいい」
「……そうだな、深く考える事もないか」
「まあ、そのためにはまず進路を決めていただかなくてはなりませんけどね」
「ぶー、そんな硬ッ苦しい話後にし給えよ~」
「まあ、今日ばっかりはそうですね」
「さて、準備は出来たかい?」
「ああ、大丈夫だ」
「ええ、構いませんよ」
本校舎裏にある山の前の小道の前で、織田と国分と藤崎は互いに確認を取った。国分は彼ら二人の返事を確認すると、クルッと前に向き直り、
「さぁ、退屈のない夜へ向かってみようじゃないか」
静かな夜の中、確かに彼らはその夜の世界の山の中へ歩を進め始めた。
8
ある夜。
ある場所。
そこで何かが起きた。
だが、誰も知らない。
だが、確かに起きていた。
それは、彼らの人生そのものを変えてしまう、運命の始まりであった。
国分浩史。
織田阪之助。
藤崎航斗。
彼ら三人の運命の歯車は、この夜、確かに動き始めた。
その三人のうち誰か一人が、先の時代でつぶやいた。
―――「きっともう、あの頃には戻れない」のだと。